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「劇薬を使ったからには最大限の効果を」  緊急事態宣言に感染症のスペシャリストが賛成した理由

世界的な音楽家が、感染症のスペシャリストに問いかける。「新型コロナ対策、やり過ぎじゃないか?」 指揮者の井上道義さんと岡部信彦さんという異色の対談がなぜ行われたのか、お二人にインタビューしました。こちらは岡部さんの応答の回です。

世界的な指揮者の井上道義さんが、感染症のスペシャリスト岡部信彦さんに新型コロナウイルス対策について疑問を投げかける異色の対談「のんちゃんとコロナ」が公開されている。

BuzzFeed Japan Medicalはお二人それぞれにインタビューした。井上さんの問いかけと共に、政府の専門家会議のメンバーとして対策を助言している岡部さんの応答をお届けする。

※岡部さんへの取材は4月14日夜にZoomで行われ、その時点での情報に基づいています。

【井上さんのインタビュー】音楽家が新型コロナ対策について感染症の専門家に問いかけた 「みなさん行き過ぎてませんか?」

医療体制を組み直すために緊急事態宣言に賛成せざるを得ない

ーー井上さんは新型コロナの対策で、公演が中止となり、仕事を奪われた立場で「ここまでやるべきなのか」という疑問を岡部さんにぶつけています。先生は政府の専門家会議のメンバーで「人との接触を8割減らす」ことを提言している立場であり、それを受けて政府は緊急事態宣言を出しました。先生は日常生活とのバランスを当初から訴えていましたが、今回の対策はどのように考えてのことですか?

1月の末から3月の初めぐらいまでは、基本的に日常生活を維持したまま冷静に対応できたらと思っていました。

一貫して言っているのは、患者の8割は軽症で大丈夫なので過剰に心配してもらっても困るというのが一つ。しかし、それと同時に、この病気の危険性もある程度お伝えしなければいけないという立場でした。バランスが難しい。

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YouTubeで公開されている「のんちゃんとコロナ」小学校で同じ楠組の同級生だったという二人の対談は、東京・世田谷区の砧公園の楠の木の下で行われた。「ミッキー」「のんちゃん」と呼び合う仲だ

呼吸器を必要とするような重症となる方は5%ぐらいで割合は少ないですが、感染者の母数が増えると大変なことになってくるので、医療がしっかり支える仕組みが必要だということも伝えてきました。

「医療崩壊」というのは、医療機関が新型コロナの患者でパンクするだけではなくて、それと同時に他の病気を診られなくなるということです。

ですから、全ての人にきちんと対応できる医療の仕組みを何としても早く整えなくてはいけないということもずっと訴えてきました。それは今でも同じです。

既にある法律を改正する必要はないと思っていましたが、非常事態となった時には特別措置法は必要です。

いよいよ緊急事態宣言が必要だと考えが変わったのは、ヨーロッパで流行し、アメリカにも広がりはじめてからです。ヨーロッパのように医療が優れているところで、ああいう感染が爆発する状況になりました。

日常医療ではない体制を作るためには、緊急事態宣言のようなものは必要にならざるを得ない。確かに今までの自主的な対応で、日本はくすぶり状態が長かったことは間違いない。

できるだけ多くの人に日常生活を送れるようにしてほしいと今も思っていますが、感染者数が増えていると同時に、緊急事態宣言に賛成しなければならないと思ったのは、多数の新型コロナの患者さんを診ている指定医療機関の医師たちが「もうベッドが一杯になってきている」と悲鳴を上げ始めたからです。

「ある病気がバーンといっぺんに来るか、じわじわじわと来るかで違うわけね。今の対策はスパーンと来るのを少しでも押しとどめて、そうするとうっかりすると(制限期間の)幅は長くなるかもしれないけど、いっぺんに数が増えれば病院がパンクしちゃうんだよね。いっぺんに重い人が来れば」(岡部さんの発言・対談より)

このままズルズル対応を変えなければ、病院がパンクしてしまう。「オーバーシュート(度を越した状態)」という言葉があります。患者が増えてオーバーシュートになり、医療が崩壊すると言われていることもあるようですが、僕はむしろ医療が崩壊するからオーバーシュートしてしまうと思うのです。

つまり患者を受け入れるところがなくなるからです。それを解消するには、日常の診療システムが立ち行かなくなる前に、新たなシステムを早急に作ることが必要です。それには法律による力が必要な段階になった。専門家会議でも「緊急事態宣言」に賛成しました。

遅くはなかった 「補償はできるだけのことを」

ーー遅かったのではないかという声もありました。4月1日の専門家会議のタイミングで出すべきだったのではないかと。

例えば、安倍首相の打ち出した学校の一斉休校は突然降って湧いた出来事で、学校現場も子どもを預ける親御さんたちもあたふたして、不安が広がりました。

緊急事態宣言も一般の人によく内容が理解されていないうちに、朝一番のニュースで「ついに日本も緊急事態宣言!ロックダウンだ」などと報じられたら、間違いなく日本中がパニックになると思いました。

ですから説明する機会や時間が欲しかった。

結果的に緊急事態宣言は、日本の人々に比較的冷静に受け止められたと思います。イタリアのように、疎開するために駅がごった返すというような動きはなかったし、スーパーに買い物客が殺到したり、買い占めるなども幸いになかったようです。これはありがたいことだと思いました。

ーーしかし、閉めることを要請された業種に、補償が十分なされていないことが今も問題となっています。

経済的にどんな補償ができるのか、国の財布の状況は私はよくわかりません。私たちの要望としては、プラスマイナスゼロまで補償できないにしても、潰れてしまうようなことは絶対に避けなければ、要請には実効性がないと伝えました。

経済的な支援は絶対に必要ということは政府への要望書の中に入れました。

ーーそれにも関わらず、補償が薄い、だから働かざるを得ないという声があふれています。それが8割減に至らない大きな原因の一つになっています。

そうですね。ミッキー(井上道義さん)との対談の時にも、「劇薬を使った」と表現しました。緊急事態宣言と休業要請はまさに劇薬で、本来ならば使いたくない薬です。

「劇薬を使ったと思う。ただ、劇薬を使った時に、できるだけの効果を引き出し、できるだけ余計な副作用を少なくしなければいけない。それは僕らがやらなくてはいけない。劇薬を使ったわけだから。それによる被害を最小にしなければいけない」(岡部さんの言葉。対談より)

でも、使うのであれば最大限の効果を狙いたいし、最小限の副作用にしたい。その場合、ちびちび使うこともあるけれど、やはり使うのであればしかるべき量を使わなければいけない。

クラスター対策班の西浦博先生が数理モデルで示した、8割減なら早く抑えられる、それより少なければだんだん収まるかもしれないけれど、かかる時間は長いというのは共感します。

8割減が実現するのかわからない。だけど、最初から5割でいいですというのはおかしい。やはり目標はしっかり打ち出した方がいいと思いました。

8割は達成できるのか?

ーーそもそも8割減というのは日本で達成できる見込みがあったのでしょうか?

デスクワークや会議は情報技術を使えば在宅勤務もできます。しかし、例えば製造業などは難しいでしょうし、うちの研究所もそうですが、試験管を振っている人などは減らすわけにはいきません。

行政もそうです。自粛によってイベントが中止になり、その人手は必要なくなったかもしれませんが、市民の資金援助をどうするかという相談窓口や、僕らのような検査をやる場所、保健所のような対応するところは8割減どころか120%ぐらい欲しい状況です。

でもそういうところも含めて、6割減でいいとは言えません。

ーー3月の3連休で気が緩んで感染が広がったのだという指摘もあります。

あの連休で、3つの密(密閉、密集、密接)を避けながら少し楽しんでもいいのではないかと僕は言いました。人間はリラックスすることが必要だという思いは、今でもあります。だから今回の対談も砧公園でやりました。

難しいのは、不便を感じながらもちゃんと気をつけてくれる人が多くいますが、そうでない人もいることです。少し楽しんだだけではなく、楽しみ過ぎちゃった人もいる。

でも小休止したのだから仕方ないと気持ちを切り替えて、それで感染者が増えたなら、その状況を脱する必要があります。もう少しきつい制限をかけざるを得ない。新しい対策を考えなくてはいけません。

もう少し、社会を不便にしながらもこの病気のコントロールをしなければならないだろうという思いに至ったわけです。

インフルや他の病気よりもリスクは高いのか?

ーー対談で、井上さんはインフルエンザの感染者数や死亡者数の多さと比べて、新型コロナの対策は行き過ぎているのではないかと疑問を投げかけていました。インフルはワクチンや抗ウイルス薬があるという違いがありながら、日本でも年間1万人が亡くなっています。それと比べて、この新型コロナはなぜここまでリスクを高く見なければいけないのでしょう?

例えば、エイズは先進国では薬でコントロールできる慢性疾患になりましたが、世界では今も年間100万人が亡くなっていることは知られていません。

新型コロナの感染者数が増えていくのは、多くの人にショッキングな出来事だと思います。アメリカの死亡者数は2万人を超えました。

普通のインフルエンザでは全米で死亡者は1万5000人出ているわけですが、新型コロナでは既にICU(集中治療室)が足りなくなる状況です。医療がパンクしています。

今の時点で、亡くなる患者さんはインフルエンザよりもずっとずっと少ない。普通の人がインフルエンザにかかる確率よりもこの病気にかかる確率はずっと低い。ただ、インフルエンザよりも重くなっちゃう人が多いのも事実(岡部さんの発言・対談より)


「しかし、今の状態で危なくないですよと言うのはとんでもない話。ほとんどの人は大丈夫だけれども、放っておくと一部の人は危なくなる。その人に対する注意です。我々の年代はしょうがないかもしれないけれども、周りがどんどん増えると若い人も犠牲者が増えてくる」(岡部さんの発言・対談より)

WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長も「インフルエンザの10倍ぐらいインパクトのある病気だ」と言っています。

日本でも日に日に感染者が増えていき、人々も医療機関も不安になっています。ウイルスだけでなく、社会全体に不安が蔓延している状態です。「落ち着いて」と呼びかける段階ではなく、その不安を鎮めるための具体的な対策が必要です。

やはり医療がしっかり対応できるようにしないと、もっとこの不安は酷くなります。だから医療を支える体制づくりにようやく動き出しています。

重症者と中等症者と軽症者をそれぞれ役割分担して診ていこうという体制です。

軽い人は家やホテルで様子をみてもらい、酸素吸入が必要なぐらいの中等症者は一般の病院で、人工呼吸器や人工心肺が本当に必要な重症者は設備も医療者も整っている医療機関で診てもらう。場合によっては臨時の病院などの増設もしなくてはいけないでしょう。

でもこの役割分担は通常の医療体制ではできないから、変えなくてはいけません。

ーー医療がパンクしないようにということと、医療がパンクすることによる社会不安を強めないために新型コロナに集中した対策が必要だということですね。

そうですね。

ーー軽症者は指定医療機関ではなく、一般病院や別の健康観察施設で診るべきだというのは、初期からずっと言われていました。体制づくりが遅かったのでは?

例えば、川崎市でも行動計画は早めに準備しており、他の自治体でも構想は持っていたと思います。ただ実態として、中国や欧米と同じように医療関係者でも感染者が出ていることはとても脅威で、患者さんを診るところが限られてきました。

それに加えて、医療者の感染を防ごうとする盾、つまり防護具も不足してきたことが、医療機関の不安を煽っています。

ーー大学病院でもいまだに拒否しているところがあるようです。それも影響しましたか?

2009年に新型インフルエンザが流行した時に、僕はむしろ大学病院は、当時の感染制御の体制からすれば、新興感染症は引き受けないほうがいいと言ったぐらいです。その代わり、他の重症患者を全て大学病院が引き受けてほしいと訴えました。

ただ、今は大学病院も感染制御の体制ができています。もし体制が整っていないならば、「引き受けないけれども、その他の重症の患者を一手に引き受けます」と手をあげてくれれば、新型コロナウイルスを引き受ける医療機関も余裕が出てくると思います。

そういうやりくりも緊急事態宣言が出るとやりやすくなります。

検査体制は変えるべきなのか?

ーー先生は、流行を食い止める時期と流行期では、体制を変えなければいけないとおっしゃっていました。今は国内で流行期が始まっているところですが、検査についても体制を変えたほうがいいですか?

最初から一貫して言っていることですが、具合の悪い人は全て検査をできるようにすべきです。最初の段階では検査体制も十分でなかったこともあり、検査は絞って、武漢市や中国帰りの人としていましたね。

その後、症状がある人は医師の判断で検査ができることになりました。でも、その検査の要請が十分受けられていないのは事実です。

ーーそれはよろしくないですね。

はい。検査体制の拡充は専門家会議でも強く要望しているところです。それは症状のない人も含めて全部やれということではありません。医師にはいろんな判断がありますが、患者が症状を訴えている場合、見当をつける必要はあります。

症状があって陰性なら、様子をみてもう1回検査をすることもできないといけない。陽性なら、軽い場合は家で様子を見てもらって、「重くなったら来てください。ベッドを空けて待っていますから」という状態にしないといけません。

しかし、どなたでも検査を受けてくださいとなれば、咳だけ、微熱だけで、あるいは症状はないけれどうつっているかどうか心配で「早く検査をしてほしい」という人が押し寄せるのが目に見えています。

広く検査をするのは、この病気がどこまで広がっているかを知るためには必要ですが、今はそれよりも優先することがあると思います。

ーーそれは検査のキャパシティが不足しているからですか?

キャパは広げることは必要なのですが、それよりも、症状が重い人、重くなりそうな人を最優先にしなければいけないからです。その人たちが後回しになってはいけない。

ーーそれは最初から変わらないですね。

検査の対象とすべき人については変わりません。でも検査結果が出るまで何日もかかるのではなく、即座に検査ができ、その日のうちに結果が出る体制は必要です。

それに検査は緊張が続くとヒューマンエラーがどうしても起きてきます。

ーー先日、愛知県衛生研究所で陰性の24人を陽性と判定するというミスが起きたばかりですね。

あそこは一流の研究機関です。想像ですが、おそらく忙しさの中から生まれた検体間の混入なのだと思います。PCR検査の宿命的なミスです。もちろんあってはいけないことなので、そこが一番人が神経を使って操作をするところです。

そういうことを考えると、一つの検査機関ができるキャパシティは決まってきます。民間を早く活用するために保険適用にしたところまでは良かったのです。でもまだ、検査はスムーズに行えていません。

ーー無症状の感染者を洗い出さなかったから、日本でこれほど感染が広がったのだと指摘する人たちがいます。

PCR検査の精度がそれほど高くないということに加え、無症状者で陽性が出る割合はわずかです。仮に陽性率が10%としても、そのために全員検査をするのはものすごく無駄です。

それに貴重な資源を費やして、緊張感が強いられる検査を数多くすれば過剰な負担になります。肝心な人の検査ができなくなり、ミスも増えるでしょう。試薬や、検体を取る綿棒や輸送の器具なども瞬く間に底をつきます。

もちろん将来的には、集団の中にどれほどの割合で感染者がいるかは絶対に知らなければいけないことです。症状がない人でウイルスがある人はどれぐらいの割合なのか。その人が人にうつす力はこれぐらいだというのは当然知りたいことです。でも今そこに力を割くわけにはいきません。

今、研究者は簡単にできるPCR法、PCRでない精度の高い簡易検査などを国内でも必死に開発しているところです。次の3波、4波には今と違う方法で立ち向かえるようになります。

人工呼吸器をつけるか否か 医療者に負担をかけてはいけない

ーー対談の冒頭、先生がご自身のお子さんを亡くされたという話が出てきたのは驚きました。

僕は医学部を卒業してすぐ結婚し、小児科の研修医をしている時に女の子が授かって、生後3ヶ月で亡くなったのです。病理解剖をしてもらい、先天性疾患が原因であることがわかったのですが、なりたての時とはいえ、小児科の医者が我が子の命を救えなかった。

その時は本当に医者を辞めてしまおうかと思ったのですが、「救える子は救いなさい」と、続けることを後押ししてくれたのもその子なんです。

ーー対談の中で、病気の子どもに「ダメだと言ったことはない」とおっしゃっていて、「どんな人でも明日、明後日に希望が必要なんだ」と語られていました。それが先生の命に対する姿勢のベースにあると感じました。井上さんは音楽家で音楽を奏でることは生きることと一緒だと思います。例えば、クラシックコンサートは普段でも咳を出すのも憚られると指摘されていましたが、気をつければ続けていけませんか? 今の対応は、健康な人にも全てダメですと言っていることになりませんか? 

やってみないとわかりませんが、3月の連休の様子を見ていると、「楽しむ」ということは感染対策が緩んでしまうことなのですね。それはそれで良いことなんですが、今の段階では緩みすぎてしまうと、抑えがきかなくなります。

抑えがきかなくなって、最初に大変になるのは患者さんを診る医療機関です。

僕はそうなるとやはり医療側に立ちます。自分がもし病院にいて、救急車が来たのに、もう病床がいっぱいで診られない、他に行ってくださいというのはすごく辛いことです。

今、病院で患者を診ている医師たちから聞いていますが、入れたいけれど引き受けられないストレスがあります。その側で亡くなっている人もいるのに、軽い人も含めてベッドが埋まり、全体が回らなくなりつつある状態なんです。

もう一つ、対談で倫理的なことも考えなければいけないという話もしましたが、現実として、僕らは呼吸器が出始めたばかりの時代はそういう選択をしていました。

二つしかない呼吸器を誰につけるかということで、3人目はつけられないから、手押しのバッグを使って、医師二人で一晩中交代で押したこともあるんです。

そういうことを経験している我ら旧世代としては、医者がそういう決断をしなくてはならない時があることはわかる。

しかし、今の世の中、そうして患者を亡くしてしまったら、「なぜやってくれなかったのだ」という声も遺族から出てくるでしょう。そうであれば医師の負担はものすごく大きくなります。

出来るだけそのような可能性をなくすためにはベッドが回るようにしなければいけません。急変した患者はきちんと担ぎ込める。そのためには病床に余裕を持たせる必要があります。

ーーそのためにも医療体制の役割分担と共に、感染者の母数を減らすことが必要なわけですね。

そういうことです。そして、母数である感染者数全体を減らすために、かかっていない人に制限をかけて迷惑をかけることになるのです。申し訳ないです。それは出来るだけしたくなかったけれど、せざるを得ない段階に入ったということです。

死なないのが当たり前の時代の死生観

ーー対談では井上さんは「人はいつか死ぬ」ということにみんな向き合っていないのではないかと話されていました。今の社会、「コロナでは絶対に死んではいけない」という空気がとても強いです。井上さんに「それは君の考えだ」という反論をなさっていましたが、やはり医師としては目の前の命は救うしかないわけですね。

死生観という意味では、昔の話を持ち出せば、私が医者になりたての頃は、「子どもが病気になると死んでしまうかも...」と思うぐらい怖かったわけです。その頃はお産も生と死の間だとよく言われていました。

子どもを救うかお母さんを救うかという選択もよく強いられていました。結核と言われたら、「もう俺はダメなんだ」と思う時代もあった。

しかし医療の進歩で、今は病気は治るのが当たり前の世の中です。がんでさえ治せるようになってきた。白血病だって昔は診断されたらもうダメだという病気だったのが、池江璃花子選手のようにプールにも入れる時代になりました。

こういう時代には、死ぬ恐怖はものすごく強くなります。僕だって怖いです。

それに対して、医者は「死んでもいいだろう」なんて腐っても言えないです。そこが彼の死生観と僕の死生観と違うところです。

ーー目の前の患者は救うしかないというのが医師の基本姿勢ですよね。

だってそのために医者になったのですから。

ーーしかし、いつか人は死ぬことも考えないといけない。

おそらく小児科の死生観と老年者を扱う医者と死生観は違うと思います。僕は小児科の出身ですから、子どもは絶対に死なせてはいけない。

ーー先生はとある宗教の信者であるお子さん本人が、輸血を拒否して亡くなった経験を話してくださったことがありました。本人の意向を受けて、納得できる死だったと。生きることだけが優先事項でない時がありますね。

第三者である自分が勝手に生きろと言えません。「諦めるな」とは粘りますけれども、医者がどれだけ医学的に良い方法だと思っても、本人が「もう結構です」というならやらないほうがいい場合もあると思うのです。

ーー今のうちに自分が最後までどのような医療を受けたいのか話し合っておくべきだという意見もあります。

それこそ個別の話だと思います。こうすべきだという教科書はない。

それは医師と患者の信頼ある関係で生ずることであり、もしかすると宗教家と一般の人との関係で決まるかもしれない。個別の丁寧な話合いの中で個々の意思を尊重しないといけないと思います。

ミッキーはがんになった時に、やけを起こした時もあったように見えたこともあったけれども、彼なりの考えで生き延びているわけです。

今後どうなる? みんなにお願いしたいこと

ーー最後に今後の見通しとみんなに今お願いしたいことを教えてください。

確かに、今後も患者さんは増えるでしょうし、病気なので亡くなる人も出てくるでしょう。でも、粘れば別の戦う道具が出てきます。治療法や検査法、ワクチンの開発が今、着々と進められています。

ぜひそれらには期待したいし、そういうものが出てくれば世の中は明るくなります。僕らは絶対に諦めてはいけない。

僕らは諦めないから、皆さんも未来の希望を見ていてください。

今はすごく多くの人に迷惑がかかっていますし、お金のことも心配だと思います。でもこの世の中の状態がずっと続いていくわけではありません。

それがどれぐらい続くのかいま示すのは難しいのですが、現在の状態はいつもと違う状態であることを認識していただいて、うつらない方法とうつさない方法を徹底し、重症になった人のためにベッドを空けておこうという気持ちを持っていてほしいです。

ーー予防策としてやることは一緒ですね。

一緒です。手洗いをきちんとし、症状が出ている人はマスクをする。3密や人との接触を避ける。

ーー個人情報を活用しようという動きが出てきています。監視社会になるのではないかという不安もあります。それは対策として必要ですか?

感染症対策としてはどうしても一定の個人情報は必要です。それを感染対策に限って使い、対策が終わったらその情報は消す。この情報を他の目的に使わない。どうしても嫌な人は参加しなくていい。そういう要件を決めることや議論が必要です。

ものごとを一度進めると、応用問題という毒物に手を出してしまうことがあることは僕も危惧しています。

それをさせない監視の目が必要ですし、法律的な解釈は厳密にやってほしい。道具として手に入れた人は、他に広く応用してはいけません。

ーー現政権は、公文書の取り扱いが極めて粗雑です。いったん情報を預けたら、いい加減な管理をしてしまうという懸念が拭えません。

それこそ勝手な利用に広げないよう周りが監視する仕組みが前提です。

ただ感染症は誰から誰にうつってどこを止めなくてはいけない、というデータが必要で、それはみんなの利益になります。安全性が担保される仕組みにして、使う側はそこをきちんと線引きして使わなくてはいけないと思います。

ーー井上さんとの対談はいかがでしたか?

「台本なしでやろう」と彼から誘われて、即、引き受けました。自画自賛ですが、本質を突いた質問に答える形で、話が展開したと思います。

【岡部信彦(おかべ・のぶひこ)】川崎市健康安全研究所所長

1971年、東京慈恵会医科大学卒業。同大小児科助手などを経て、1978〜80年、米国テネシー州バンダービルト大学小児科感染症研究室研究員。帰国後、国立小児病院感染科、神奈川県衛生看護専門学校付属病院小児科部長として勤務後、1991〜95年にWHO(世界保健機関)西太平洋地域事務局伝染性疾患予防対策課長を務める。1995年、慈恵医大小児科助教授、97年に国立感染症研究所感染症情報センター室長、2000年、同研究所感染症情報センター長を経て、2012年、現職(当時は川崎市衛生研究所長)。

WHOでは、予防接種の安全性に関する国際諮問委員会(GACVS)委員、西太平洋地域事務局ポリオ根絶認定委員会議長などを務める。日本ワクチン学会理事長(平成29年12月まで)、日本ウイルス学会理事、アジア小児感染症学会常任委員など。