マンガ雑誌、週刊「モーニング」といえば、懐かしいところで『課長 島耕作』(電機メーカー会社員、のち経営者)に『この女(ひと)に賭けろ』(メガバンク)に『沈黙の艦隊』(自衛隊)、新しめだと『宇宙兄弟』(JAXA)や『グラゼニ』(プロ野球)に『ギャングース』(犯罪者相手の窃盗団)と、広い意味での「お仕事」を扱う大人のマンガ雑誌だ。福島第一原子力発電所で収束作業に挑むルポ『いちえふ』も記憶に新しい。

 最近連載が始まって、なんだか妙に面白いなとはまっていたのが『八百森のエリー』(仲卸)、そして『ハコヅメ~交番女子の逆襲~』(以下、ハコヅメ)だった。どちらのマンガも、仕事の中で出てくる身も蓋もない苦労話を、からっと愛情を持って笑いに変えているところが個人的に気に入っていた。こういう、ユニークな業界の話を描ける作者さんをどうやって見つけてくるのだろう。特に、ハコヅメの作者の泰 三子さんはウィキペディアにも記載がない(2018年4月21日現在)し、新人さんだよね……。

 などと思っていたら、泰さんはもともと婦人警官で、しかもこれが初めて描いたマンガだという。えっ、安定職の公務員から腕一本のマンガ家に転身して、いきなりモーニングで週刊連載? それってすごいシンデレラストーリーじゃないの、どうしてそんなふうに才能に目覚めたの? 今時のあるあるで、ネットで作品を見た編集者がスカウトしたのだろうか。そう思って聞き始めたら、お話を通して警察で働くことの意外な実情も見えてきた。

泰 三子さん(以下、泰):はじめまして。

泰さんは、こちらが初めてのインタビューになるんですか。

講談社担当編集者のタブチさん(以下タブチ):初めてです。

:はい。緊張しております。

さっそくなんですが、顔出しNG、お名前もペンネームと言うことは、やはり『ハコヅメ』は、ご自身の体験記なんですか?

:まったくそのままじゃないんですけど、やっぱり経験を踏まえての話が多いですね。

ハコヅメ~交番女子の逆襲 第1巻

泰 三子(やす・みこ) 某県警に10年勤務。2017年、担当編集者の制止も聞かず、公務員の安定を捨て専業マンガ家に転身する。短編『交番女子』が掲載され話題になっていた「モーニング」誌上で、2017年11月より『ハコヅメ ~交番女子の逆襲~』の週刊連載がスタート。(第1話はここから読めます)

本当に警官からマンガ家になられた。しかも公開されているご経歴だと、10年お勤めになった。ご本人はそう思っていらっしゃらないかもしれないんですけど、外から見ると、警察って、超保守、超安定、ザ・大組織みたいな印象があって、そこから、反権力、水商売、一匹狼でフリーダムで腕一本みたいな世界に来られた。

タブチ:また並べましたね(笑)。でも、そのとおりですけれど。

もしかしてタブチさんが言葉巧みにこっちの世界に……。

タブチ:違います違います。僕はどちらかというと、いや、本気で必死に止めたんです。ご家族もあるし、成功が保証できる世界でもありませんし。

ですよねえ。しかも、10年やっていれば、どんなお仕事だっていいところも悪いところも、手の抜きどころも分かってきて、ある意味それほどしんどくなくこなせるようになるものじゃないでしょうか。せっかく慣れたのに……とか、お思いにはなりませんでしたか。

:いえ、警察の仕事は多岐に及ぶので、10年目でも、もう全然まだまだという感じでした。

そんなものですか。

:はい。異動もちょくちょくありますし。団塊の世代の先輩方がまとまって抜けられたので、確かに立場的には中堅だったんですけど、本当に仕事がいろいろあり過ぎるので。交通から刑事から、風俗事犯の取り締まり、普通の総務や経理、もちろん遺失物拾得も。もういろいろあるので、慣れてきて「回していた」という感じはまったくないですね。何とかかんとか毎日、自分の責任を果たすことに集中して、やっていた感じです。

タブチ:交番勤務もそのひとつですが、いろいろな部署の経験をしたことが今のネタになっているから、ラッキーでしたね(笑)。

そうなんですか。なんとなく、それぞれの部署がびしっと縦割りで動いているのかと思っていました。

:大都市だとまた事情が違うのかもしれませんけれど、田舎でちっちゃな所属をいっぱい回っているので、線引きがあいまいで、結構応援に駆り出されたりすることもあって、いろいろな分野に触れさせてもらいました。

なるほど。では、なぜ10年もお勤めになった警察を辞められて、モーニングでデビューしたのかを聞かせていただけますか。

:そうですね。ちょっと面倒かもしれないんですけど、何段階かありまして。

ゆっくりどうぞ。たっぷり伺いますので。

:すみません。まず警察官ってすごく忙しくて、いい人から死んでいくという感じで……。

 は?

:職場で自分を育ててくれた方、熱心に面倒を見て下さった方が、主に過労で現職中に亡くなっていくんです。

「自分には無理な仕事」と誤解されている

たとえ話じゃないんですね。

:私が産休を取っている間に、とてもよくしてくださった先輩が病気で亡くなられたりして、自分が休まなかったらもしかしたら……と、どうしても考えたりしてしまうんです。負担をおかけしたからじゃないか、と。もう、本当におこがましいんですけれど。

いえいえ。切ないですね。

:自分の子どもを見るたびにそういう気持ちになってしまって。復職して、どうやったら警察の過労死がなくなっていくのかなと思ったときに、「すごくたくさんのいい人が『警察官になりたい』と応募してくれたら、負担が減っていくんじゃないかな、それに役立つことができたらいいな」と思って。

(c)泰三子・講談社
(c)泰三子・講談社

警察官、就職人気は落ちているんですか。

:実体験なんですけれど、高校の就職説明に行って「この中で警察官になりたい人!」と言ったら、誰もいなくて。

あらら。

:でも、目の前に座っていた男の子が1人、ちょっとだけ手を挙げてくれたので「なりたいと思ってくれているの」と聞いたら、その男の子が、「実は小さいころから警察官になろうと思っていたんだけど、親に止められた」と。「お前みたいないいかげんな人間に、警察の大変な仕事はできない、と言われたので、別の分野を目指そうと思っています」って。運動もやっている、すごく精悍な感じの男の子で、非常に残念だったんです。

 それで、どうやったら、こういう男の子に振り向いてもらえるかなと思ったときに……。

思ったときに。

:「警察って、君が思っているより、もっとしょうもない人たちが、それなりに楽しく仕事をやっているし、そういう人たちが頑張って、世の中にとって大事なことをやっているんだよ」と、そういうことを伝えたいなって考えました。

ちょっと待ってください。「しょうもない」というところを伝えるのが大事だ、と思われたんですか。

:ええ。いい意味でしょうもない人が、日々頑張っている、そこが大事だと思います。

たしかに応募する側が、警察という職業に勝手にハードルを上げている面はあるのかもしれないですが、しかし……。

:そう思ったときに、どうすれば一番広報力があるかとなったら、マンガかなと。若い人たちは活字からも離れているというし。それでマンガを描こうと思ったんです。警察を広報するような。

「警察は(いい意味で)しょうもない人がやっていますよ」と世間に知らしめるような。

:そうなんです。自分が思っているマンガを描けたら、応募者の拡大にも、防犯広報も、交通安全の広報にも役立つと考えて、いろいろ自分で企画を考えました。だけど、いざ上司に決裁を上げようと思ったところで、「あ、これ、絶対に通らない」と気づいて。

気づくのが遅いと思います。たぶん弊社でも、講談社さんでも、いや、どこの会社でも無理じゃないかな。

:しかも、紙でも、ウェブも、どっちも警察にはすごくハードルが高いんです。予算が必要になるし。

 それで、前から酔っ払ったときにいつも同僚が、「モーニングとかで警察のいい感じのマンガが始まっていたら、警察にいい子がいっぱい来るのにね」と話していたのを思い出して、じゃあ、と、自分で描いて編集部に送ったんですよ。普段読んだこともないのに(笑)。

え、もしかしてマンガ雑誌読まないんですか。

:読まないですね。たまたま友人が知っていて、私も名前は知っていたのが、職業マンガが多いモーニングだったんですよ。知っていたと言いますか、ほかは知らなかった。そしてモーニングも読んでいませんでした。(タブチさんを見て)すみません。

タブチ:いえいえ、最近は新人賞に応募する方も単行本ばかりで雑誌は読んでいない人が多いです(笑)。

ちょっと話が横に飛んじゃうんですけど。マンガそのものには接していたんでしょうか? 例えば学生のころとかどうだったんですか。

:あまり読んでいなかったですね。

あまり読んでいない。じゃあ、絵を描いていたのは学生時代の余暇というか、趣味というか、暇つぶし?

:いやいや、学生時代も描いていないです。ずっと部活、剣道ばかりやっていました。

剣道少女で、家に帰ってきたら、ご飯食べて寝ちゃうみたいな。

:はい、そうですね。県予選で争うというようなレベルだったんですけど。ただ、好きだったので。部活の仲間も楽しかったですし。

じゃあ、そもそもマンガを読まない人だった。

女性警察官は「聖☆おにいさん」が好き?

:読んでいないです。有名どころは、たまにちらっと見ますけど。『進撃の巨人』は読んでいます。

もうひとりの担当編集者タカハシさん(以下タカハシ): 泰さん、『聖☆おにいさん』(中村 光作)は?

:あっ、聖☆おにいさんは読んでいました。楽しく拝見していました。

あっ、私も大好きです。でも、マンガ好きの人でもないのに、おにいさんを知っていたのがちょっと意外なんですが。

:最初は本屋さんの試し読みで、絵がインパクトあったので開いて読んで、面白いなと職場に持っていたら、「あ、それ私も好き」と言われることが多くて。私がいた職場での話ですが、女性警察官は聖☆おにいさんにはまっている人がたくさんいるんです。ストレスなく読めて、すごく楽しい気分になるという。相性がよかったです、つらい仕事と(笑)。

……なるほど。横道ついでに、ほかに男女問わず警察官の方に人気があるマンガとか、あるいは映画、ドラマって何かありました?

:進撃の巨人は、仲間内では敬礼はいつもアレでしたりしていましたけど……刑事系の方は、マンガもドラマも絶対見ないですね。ドラマ自体、あまり見る時間のない人たちが多いので。ただ、「踊る大捜査線」は別です。あれは「聖書」なので(笑)。

タカハシ:バイブル。

聖書ですか、あれ。

:いまだに刑事さんたちの中には、踊る大捜査線の着メロを登録している方がいます。特捜本部が立ち上がると、必ず1人は室井さんみたいな感じの刑事さんがいて仕切ってる。すごい影響力です。私のちょっと上の方々には、あれで警察に来た方、多いと思います。

おお、だから泰さんも「じゃ、私はマンガで」と考えたわけですね。

:はい、そういうマンガで職場紹介をしていらっしゃる県警もありましたし、やること自体は実は難しくはないのかもしれないんです。だけど、私が描きたかったのは、警察官のしょうもない部分というか。何ていうんですかね、高校生が言っていた、「自分のこともできないのに、俺なんかが」というのじゃなくて、本当にしょうもない人たちが、どたばた仕事に振り回されながら一生懸命、流れに身を任せてやっている感を伝えたかったので。

「そこはどうしても譲れない」という真摯なお気持ちが、言葉の端々から伝わってきます。

タブチ:でも、なかなかお役所だと予算が通りにくそうですよね。

:仮に私のマンガを見せたとしたら「このしょうもない警察官をもっと立派に描け」と言われるのが目に見えているので、それはちょっとな、と。

なるほど。それを言ったら、実は世の中で働いているのは、我々を含めてしょうもない人のほうが圧倒的に多いですからね。

:でも、結構警察は誤解されていて、「普通に働ける職場」だと思ってもらえない、それで嫌がられたり敬遠されたりだとか、そういうデメリットもあると思うんです。

タイミング的に申し訳ないのですが、お聞きしてしまいます。警官関連の不祥事が相次いでしまいましたが……。

:そうですね。実際にどういうことが起こっていたのかは分かりませんし、それぞれの職場の事情も分からずにお答えするのは難しいです。すみません。私が「しょうもない」というのは、仕事を不真面目にやっている、という意味じゃないんですよ。働いている人たちは、普通の、どこにでも居る人たちで、それが必死でストレスが多い職場で頑張ったり、その反動でぐったりしたりしているんだ、ということをお伝えしたくて「いや、しょうもないんです」と言っているつもりなんです。

ちょっと『福島第一原子力発電所労働記 いちえふ』(竜田一人作)のお話とも通じますね。原発事故収束現場で働いているのは奴隷でも英雄でもない、ただのおっちゃんたちが日常の仕事としてやっているんだ、と。

タブチ:そうですね。

:すごく分かります。

「これはアナウメにちょうどいいぞ!」

泰さんのお考えには個人的にとても共感しますけれど、確かに警察でそれをやりたいと言っても難しいでしょうね。それでモーニングに持ち込まれたと。で、具体的にどうされたんですか。

:最初、いきなりストーリーマンガを描こうしたんですけど、描いているうちに「編集の人に早く見てほしい」と思って、それはもうほっぽりだして、1つの話が1ページで終わるスタイルに変えて、16ページ描いて送り付けたんです。

(c)泰三子・講談社
(c)泰三子・講談社
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展開が早いですね。じゃあ、警察官としてマンガを描いて「しょうもない」実態を伝えるのは無理だと分かったら、自分がマンガ家になろうと思っちゃった、ということですか。

:いえ、マンガ家になろうとは全然思っていなくて、ただ、モーニングにマンガを載せてもらえないかなと思って、そのために編集さんと話をとにかくしたくて。それで「まず見てください」と思って出したんですよね。

それでタブチさんが担当したいということで、連絡を取った。

タブチ:編集長もわりと良い評価で。理由は、1ページマンガだから、他のマンガの連載がオチたときに……(笑)。

ページ数が何ページでも、片起こしでも見開きでも載せられる。なんてまあ、身もふたもないことを。

:引っ掛かったという感じですね、本当に。こちらも、下書きとかネーム(※)とかいう言葉も知らなかったので、1週間でわーっと。ともかく編集の方としゃべりたい、接点が欲しいという気持ちで出しましたから、背景もほとんど描いていなかったかも。直接、下描きも何もなしにばっと描き殴ったという感じで。

※ネーム:この場合はマンガのコマに台詞だけを入れたもの。お話の構成図となる。キャラクターの下絵まで入れたものを指す場合もある。絵コンテ、ラフ、とも言う。

私、最近のマンガ制作事情にとても疎いんですが……お話によれば、泰さんはこれまでマンガを描いたことがないわけですよね。なのに、1週間でマンガ編集者が評価する作品が描ける、って、天才か? って感じがするんですけど。

タブチ:いや、送られてきた作品は、現状よりまだまだ荒削りな段階です。

少し安心しました。紙とペンで描かれたんですか。それともタブレットで描かれたんですか。

:ペンで描いたのをスキャナーで取り込んで、トーンの色付けだけした感じですかね。

パソコンでやったと。

:はい。何も分からないので、参考書……というか、スマホで、マンガの描き方を解説したページを見ながらトーンだけは塗って、えいっと送った。

何か今の、すごいリアルでしたね。こうやってスマホを片手に持って、と。しかし、しかしですよ、例えば、いきなり人間の顔とか描けるものなんですか。

:私、似顔絵捜査官をしていたので……。

似顔絵? あ、容疑者の? それで人間の顔を描き慣れていたんですか?

:はい、そうです。ですので、悪いおじさんの正面の顔はめちゃくちゃ描いているんです(笑)。かわいい女の子を描くというのが、ちょっと苦手だな、と思いながら描いたんです。

そんな絵の上達法があったとは。じゃあ、かわいい女の子はどうやって描いたんですか。

似顔絵捜査官、ピクシブで今時のカワイイを学ぶ

:「かわいい女の子 画像」を「Google」や「pixiv」とかで検索しまして、何となく「あー、マンガのかわいい女の子はこういう感じなんだ」という雰囲気をつかんでから描きました。

うわー、年季が入った似顔絵と、今時の流行り絵がこうして合体したのか。細かいところに突っ込んでばかりで申し訳ないんですけれど、似顔絵捜査官というのは、どんな仕事ですか。

:刑事ドラマとかであると思うんですけど、目撃者とか被害者から犯人の特徴を聞いて、似顔絵を描いていくという。あと、変わったところで言うと、防犯カメラの画像で、ちょっと不鮮明な防犯カメラの画像なんかは、それを似顔絵捜査官が描いて分かりやすくして、捜査に流すとかですね。

描き方の教育とかを受けるんですか。

:事実上、ないです。新任の警察官が、「今から似顔絵を取らないといけないから、ちょっと描いて」と呼ばれて、その中で筋がよかった子が、そのまま残っていく。筋が悪ければ、次は呼ばれない。

筋がよかったんですね。

:よかったみたいです。学生時代のクラスでたぶん2~3番目には絵がうまかったので。1番じゃないですけど(笑)。

こいつは描ける、と思われたら、専門でやるんですか。

:いえ、普通の自分の業務と並行して、事件のときに呼ばれるという感じです。

さきほどお話に出ましたが、必ず正面顔なんですか。

:本当はそうです。でも私は「それだとちょっと弱いんじゃないかな」と思って、見たまま聞いたままの角度で描くようにしていました。

意外なトレーニングですね。こう言っては何ですが、登場する女性の体の線も妙に色っぽいと思ったりしているんですけれど。

:あれは、ただの私の趣味です。体のラインはですね、実は職場のおじさんたちが「やっぱり女の年齢は後ろ姿に出るよな」とか言うわけですよ。そこで、「あ、女の子を描くとき、後ろ姿で年齢が分かるようにしないといけないな」と思いましたね。そのときはムカッとして、うるさいと思っていたんですけど。やっぱり役に立つこともあるんだなと(笑)。

(c)泰三子・講談社
(c)泰三子・講談社

前向きだ。

タブチ:そうですね。ただ、Yさん、似顔絵を描くのとマンガの絵のうまさって、まったく別の技術なんですよ。そういうユニークな経験はあったとはいえ、泰さんは、マンガ家としてはゼロベースから始められたというのが事実だと思います。

でも、応募された時期から連載までそんなに時間なかったはずですよね。いったいなにがあったんですか?

(後編に続く→こちら

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