北朝鮮がグアム沖への発射を凍結した理由——トランプ「狂人理論」vs.北の核抑止力

相手を強く威嚇して、お互いに先制攻撃を抑え込もうとするアメリカと北朝鮮。

トランプ大統領と金正恩体制の間ではここ1週間ほど、核兵器の使用さえもちらつかせた激しい言葉の応酬が交わされた。「売り言葉」に「買い言葉」で緊張を増した米朝のチキンレース。

今回の米朝の緊張対立は互いに軍事力行使はできないだろうとタカをくくった中でのブラフ(脅し)の応酬にすぎなかった。

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オバマ政権で国防長官と中央情報局(CIA)長官を務めたレオン・パネッタ氏も8月11日、現在の朝鮮半島危機が1962年のキューバ危機以来、核戦争の可能性を含め最も深刻な危機を扱っている、とCNNのインタビューで述べていた。

しかし、吠える犬はなかなか噛まない。米朝のエスカレーションゲームが高まる中、誤解や誤算から生じる偶発的な戦争の可能性は残されていたものの、今回の米朝の緊張対立は互いに軍事力行使はできないだろうとタカをくくった中でのブラフ(ハッタリ)の応酬にすぎなかったと、筆者はみている。

朝鮮人民軍が8月中旬までに金正恩党委員長の判断を仰ぐと事前に公表していた中、北朝鮮の国営メディア、朝鮮中央通信(KCNA)は15日、金氏が「悲惨な運命のつらい時間を過ごしているアメリカの行動をもう少し見守る」と述べ、グアム沖へのミサイル発射を当面凍結する方針を示した。

挑発行動を続けてきた金委員長の強硬姿勢の後退、あるいは譲歩とも言える発言だ。これを受け、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は、北朝鮮がグアム沖へのミサイル発射計画の中止を決定したとさえ報じた。

トランプ大統領の「炎と怒り」発言から、金党委員長の柔軟姿勢までいったい何があったのか。

トランプ大統領が信奉する「狂人理論」

米朝の緊張が一気に高まったのは、トランプ大統領が8月8日、北朝鮮に対して「炎と怒りに直面する」と警告したことがきっかけだ。この発言から数時間後の9日朝には、朝鮮人民軍戦略軍が、中長距離戦略弾道ミサイル(IRBM)「火星12」をグアム島周辺に包囲射撃することを検討していると発表した。

北朝鮮に対するトランプ大統領の一連の過激な発言を受け、ドイツのメルケル首相は「米国と北朝鮮の対立に軍事的な解決策はない」と指摘、ロシアのラブロフ外相も「軍事紛争の危機が高まっている」と懸念を表明した。

しかし、トランプ大統領にとっては、常軌を逸した過激な言動を意図的に繰り返し、交渉相手国や敵対国に要求や条件をのませることは実業家時代から長年、日常茶飯事になっている。今さら驚くべきに値しない。

トランプ大統領は2007年に出版した自著『Think Big and Kick Ass in Business and Life』(邦題: 『でっかく考えて、でっかく儲けろ』 ) の中で、次のように述べている。

「相手から利益を得たい場合は、あらかじめ相手に脅しをかけておかなければならない。こちらの要望が通らなければ、そちらにも相応の痛みを感じてもらうぞ、と」

思い出してほしい。トランプ大統領はこの言葉通り、米大統領選挙期間中から、中国や日本、韓国、ドイツなどを相手に脅しの銅鑼(どら)をがんがんと叩き、相手国から通商問題や安保問題などで譲歩を引き出してきた。

これは、トランプ大統領が尊敬しているニクソン元大統領の 「マッドマン・セオリー」 (狂人理論) を実践しているに過ぎない。それは、ウォーターゲート事件で失脚したニクソン元米大統領が、外交交渉で重宝していた戦略だ。

リチャード・ニクソン

トランプ大統領が尊敬しているニクソン元大統領の 「マッドマン・セオリー」 (狂人理論) を実践しているに過ぎない。

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ニクソン元大統領の首席補佐官だったハリー・ハルデマン氏はウォーターゲート事件後に出版した回顧録『The Ends of Power』の中で、ニクソン氏が 「マッドマン・セオリー」 について次のように語ったことを打ち明けている。

「私が戦争を終わらせるためなら、どんなことでもやりかねない男だと、北ベトナムに信じ込ませて欲しい。彼らにほんの一言、口を滑らせればいい。 『ニクソンが反共に取りつかれていることは知っているだろう。彼は怒ると手がつけられない。彼なら核ボタンを押しかねない』とね。 そうすれば、 2日後にはホーチミン自身がパリに来て和平を求めるだろう」

ニクソン氏の策略通り、アメリカはパリ和平会議で北ベトナムに米国側の条件を承諾させることに成功した。

トランプ氏は大統領就任以来、ミサイル発射の挑発行動を繰り返す北朝鮮に先制攻撃をちらつかせながら、このマッドマン・セオリーを実践してきた。トランプ氏は、予測不可能で破天荒な異端児との自らの悪評を利用し、敵対国の北朝鮮をおじけづかせて譲歩するよう追い込んできた。

しかし、すでに叔父を含め、側近300人以上を処刑してきたとされる気性の激しい金正恩氏には、マッドマン・セオリーは効いていない。軍事、外交の両面で北朝鮮に「最大限の圧力」をかけてきたものの、北朝鮮に2度目にわたるICBMの発射実験を強行され、トランプ大統領は面目や権威を潰された格好だ。

抑制されていた北朝鮮の声明

北朝鮮が最近、アメリカに対して強硬姿勢を強めた大きな理由の一つとしては、8月に入り、グアムのアンダーセン基地に米空軍のB-1B戦略爆撃機6機が集結し、危機感を募らせたことがある。同基地からは、B-1Bが朝鮮半島上空に頻繁に威嚇飛行している。また、北朝鮮が嫌がる、8月21日からの定例の米韓合同軍事演習も米朝の対立をあおっている。

しかし、グアムをめぐる北朝鮮の国営メディア、KCNA(朝鮮中央通信)の8月10日付の声明をよく読むと、実際の「攻撃」というよりも、グアム沖に中距離弾道ミサイルを着弾させることを見せつける「脅し」や「威嚇」が示されていた。

島根や広島、高知の各県の上空をミサイルが飛翔することなど、声明が具体的な計画の詳細を述べていることは特筆されるが、記述のトーンは抑制されていた。特に最後の文章は「我々はアメリカの言動を注視し続けている」と述べ、アメリカの今後の行動次第で北朝鮮が強硬策に出ることを示していた。

トランプ大統領の北朝鮮に対する強い脅し文句を踏まえ、ボールがなおもアメリカにあることを示した様子がうかがえる。つまり、アメリカが北朝鮮への軍事攻撃の素振りや兆候を見せない限り、北朝鮮がグアム沖にミサイルを発射することはないと、筆者はみている。

火消しに回った国防長官と国務長官

北朝鮮から対応を注視されているアメリカはどんな反応を示すのか。注目が集まる中、トランプ大統領は10日、記者団から北朝鮮との交渉を検討しているかと聞かれ、「もちろんだ。我々は常に(北朝鮮との)交渉を検討している」と述べた。

また、アメリカのマティス国防長官とティラーソン国務長官は14日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙に連名で寄稿し、あくまで朝鮮半島の非核化を目的に、「平和的な圧力」の行動を展開していると説明した。

ティラーソン国務長官

ティラーソン国務長官は最近、北朝鮮との交渉に入る条件として、弾道ミサイルの発射実験の中止を挙げている。

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その中で、アメリカは北朝鮮のレジームチェンジや性急な南北統一に関心を抱いていないことを改めて示したほか、南北の非武装地帯(DMZ)より北方に米軍を駐屯させる理由はないと述べた。寄稿文は全体として北朝鮮に対し、アメリカは平和的な解決をめざし、北朝鮮が先制攻撃をしてきた場合に限って断固として力で撃退するとの防御的な姿勢を貫いている。

オバマ前政権をはじめ、これまでの米歴代政権は、北朝鮮が核ミサイル開発計画の放棄をするまで交渉に応じないと原則論を貫くことが目立ってきた。しかし、ティラーソン国務長官は最近、北朝鮮との交渉に入る条件として、弾道ミサイルの発射実験の中止を挙げている。かなりの柔軟姿勢だ。

マティス国防長官

マティス国防長官はティラーソン国務長官とともに14日付のウォール・ストリート・ジャーナル紙に連名で寄稿し、あくまで朝鮮半島の非核化を目的に、「平和的な圧力」の行動を展開していると説明。

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水面下で始まっている米朝交渉

北朝鮮は核保有国としての抑止力を高め、アメリカにいかなる軍事行動も思いとどまらせることを目指している。核を保有せずに悲惨な最期を遂げた、イラクのサダム・フセインやリビアのカダフィ大佐の二の舞には決してならないと金氏は思っている。

北朝鮮にしてみれば、核ミサイルを放棄した後に、アメリカとの平和条約や不可侵条約の締結交渉に臨むのでは、いつ何時途中でアメリカに体制転覆を図られるのかもしれない。

米当局は北朝鮮が保有する核爆弾を最大60発と推定している。米朝の間では核抑止力がすでに働いている。両者とも一発でも先に手を出せば、第2次朝鮮戦争が勃発し、いずれも多大な犠牲を払うことを熟知している。このため、両国とも互いに先制攻撃をしないようけん制し合っている。

CIAのマイク・ポンペオ長官は12日、北朝鮮の核・ミサイル開発をめぐって緊張が高まるなか、北朝鮮との核戦争の脅威は切迫した状態にないと断言した。ニューヨークを舞台にした米朝の水面下の交渉が報じられるなか、米朝に新たな展開が待ち受けている可能性がある。

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