農業政策の目的は何か――。この連載を続けながら最近、とくにそのことを考えるようになった。今回はインバウンド(訪日外国人)を対象にしたJTBの旅行ビジネスがテーマなのだが、本題に入る前に農政について考えてみたい。

 そもそも農政は何のために必要なのか。例えば、農業は長い間、規制改革の対象とされてきた。農家の経営を株式会社に衣替えできるようにし、企業参入を促し、農協に改革を迫る。今国会では農地法が改正され、植物工場を造りやすくすることも決まった。

 筆者が初めて農業を取材したのは、1990年代半ばのことだ。そのとき、「育成」と言う言葉が政策のキーワードになっていることに、強い違和感を覚えた。民間である農家の経営を、政策で育てるとはどういうことか。何という上から目線!だが、政府による保護を強く求める農業界の姿を見ると、育成の対象とされるのも仕方がないように感じた。

 あれから20年以上たち、育成という言葉はあまり聞かなくなった。企業的な農業経営は今や当たり前になり、中には県の中小企業団体の代表を務める農家まで登場した。幾度もの挫折を経て、企業の農業ビジネスもだいぶ洗練されてきた。農協の意識改革も進みつつある。

 それではこの先、農政は何を課題にすべきなのか。農家の数が今よりずっと多く、しかも1つの選挙区から複数の代表が選出される中選挙区制のもとでは、「農家の票」には大きな意味があった。だが小選挙区制に代わり、農家数も劇的に減って、農家の政治パワーは弱まった。

 そこで引き続き、農政が必要だと考えるなら、政策のよって立つ基盤を再考する必要がある。「農家のための農政」から「国民のための農政」への転換だ。政策の目的もおのずと食料政策にシフトする。日本が国民への食料の安定供給を考えるべき時期に入ったことも、政策のシフトを促す。

 こう書くと、「日本は石油を輸入に依存しているのだから、食料問題だけ考えても意味がない」と思う人もいるだろう。正論だ。機械化が進んだ農業は今やガソリンが枯渇すれば成り立たないし、海外から食料を調達する経済力を失えば、日本人の食生活は破綻する。食料を輸入できる経済力は今後も必要だ。

 一方で、日本はシンガポールのような「都市国家」ではない。人口減少時代に入ったとは言え、1億人を超える国民を抱える以上、食料を100%海外に依存するわけにはいかない。国民に一定の食料を供給するポテンシャルの維持は、安全保障の観点からもどうしても必要になる。海外から輸入できる経済力と農地の保全という「二兎を追う」戦略が求められるのだ。

 だがここで、大きなジレンマに直面する。現状で日本は食料問題が顕在化しているどころか、大量の食料を日々捨てている「飽食の国」だ。農家が栽培技術と経営力を高めて生産を増やせば、食品過剰がさらに深刻になり、経営の足を引く。そこで、食料の供給能力を維持するには、新たに2つの戦略が必要になる。「輸出」と「農地のサービス業的利用」だ。

 最近、JTBの高橋広行社長にインタビューする機会があった。取材の目的は足元の旅行需要を聞くことにあったが、いつのまにか話題の中心は「食と農」に移っていた。高橋氏は、その中で「農業にはまだまだチャンスがある」と強調した。ではそろそろ、インタビューの中身に入ろう。

インタビューに応じるJTBの高橋広行社長
インタビューに応じるJTBの高橋広行社長

インバウンド需要が、日本人が気づかなかった日本の魅力を再発見してくれていますね。

高橋:関西で言えば、大阪の黒門市場は以前はちょっとさびれた飲食店や食品売り場の町で、一時閑散としていた。ところが今は、まっすぐ歩くのが大変なほど外国人であふれている。「食べ歩き天国」ということで外国人がたこ焼きや串カツなどの食べ物を「体験」し、SNS(交流サイト)を通して人が人を呼んでいる状態だ。シャッター通り商店街など、地方にも同じようなヒントがある。外国人が押しかけて、「どこそこの店の何がおいしい」とSNSで発信する。

 インバウンドの効果はたんに2017年に関連消費が4兆4000億円を超えたということにとどまらず、観光地の魅力発見や商店街の活性化にもつながっている。経済的な効果も大きいが、国民同士の文化交流につながっている点に大きな意義がある。

日本の農村にも観光地としての魅力がありませんか。

高橋:当社がプロディースした産品を「J's Agri」というブランドで提供している。全国の産地がおいしい果物や野菜を世界に発信したいと思っている。だが販路がない。それを我々がお手伝いする。

JTB J’sAgriのパンフレット
JTB J’sAgriのパンフレット

 例えば、体験農園で訪日客に苗を植えてもらい、収穫したものをその人のもとに送る。海外の人が農産物で一番注目しているのは、何とも言えずおいしい日本のフルーツだ。イチゴやナシ、桃、マスカットなどは間違いなく世界に誇れるほどおいしい。間違いなく売れる。

フルーツ農園とタッグ組み、海外に販路を拡大

 現実にフルーツ農園の皆さんとタッグを組み、海外に販路を拡大している。ツアーでイチゴ狩りに来てもらい、現地で収穫して食べてもらい、買い物をしてもらう。中国人が一箱1万円もするようなイチゴを買って帰ることもある。彼らは日本の農産物の価値をわかってくれている。

JTBの訪日客向け収穫体験ツアーの様子(イメージ写真提供:JTB)
JTBの訪日客向け収穫体験ツアーの様子(イメージ写真提供:JTB)

 旅行ビジネスには「旅前(タビマエ)」「旅中(タビナカ)」「旅後(タビアト)」の3つがある。タビマエの需要は出発地のエージェントが扱う。その先、日本に来たお客様にタビナカとタビアトでどんな提案ができるか。力を入れているものの1つが、越境EC。日本でおいしい、素晴らしいものを経験してもらい、帰国後にインターネットで申し込んでもらい、こちらから送る。

 海外に売ると言っても少量だから、1件1件飛行機に積んで運んでいると、コストがばかにならなくなる。そこは旅行会社ならではのノウハウがある。我々の持っているノウハウを活用し、航空会社と交渉し、非常に安い費用で輸送する仕組みを作っている。「J's Agriの」の奥の手の技だ。

収穫体験ツアーは農地のサービス業的な利用ですね。

高橋:とくに中国人が日本にわざわざ来て、農家民泊を体験し始めている。中国の富裕層が「東京には中国人がいっぱいいるから、旅行気分を味わえない」と感じている。そこで長野県の農家に泊まり、無農薬で作った野菜を食べる。当社もそのサービスに関わっている。彼らが日本に来る目的は、おいしくて安全が保証されている野菜やフルーツを「体験」するためだ。農家民泊のようなビジネスはこれから間違いなく、いろんな地域に広がっていく。

 アジアを中心とした各国から、日本の農産物に興味のあるバイヤーを集め、日本の生産者とマッチングするという試みもやっている。日本国内だけでなく、シンガポールや香港、マレーシアなどいろんな場所で商談会を開き、ビジネスチャンスを見いだしてもらっている。

これまでの旅行業のイメージを超えていますね。

高橋:この4月にグループを挙げて経営改革に踏み切った。たんなる旅行会社からソリューション会社に変貌する。世の中には国、社会、お客様などいろいろなレベルの課題がある。その課題に対し、ソリューションを提供すれば様々に商機が広がる。旅行はソリューションを提供するための1つの手段だ。

 そこで、事業ドメインも「交流創造事業」に改めた。人の流れ、モノの流れを自ら作り出し、社会の課題の解決に貢献する。5年後に「JTBって何の会社ですか」と問われれば、おそらくたんなる旅行会社ではなくなっている。

 現場の販売員にも「意識を大きく変えなさい」と言っている。旅行するには何らかの目的があるはずだから、それを知ったうえで最適の商品やサービスを提供する。今までは「2泊3日で沖縄に行きたい」と言われれば「はい、これがそうです」と言うだけだったが、それではインターネットで提供できるような低価格のサービスと変わらない。

日本人向けのサービスと比べると、インバウンドは目的がわかりやすいのではないですか。

高橋:ビビッドに反応してくれる。おいしいものを食べると、「オー、ワンダフル。アメージング」といった感じの反応が出る。

 中国人に関して言えば、日本ブランドをものすごく信頼している。同じものが中国で売っていても、わざわざ日本に来て買う。そういう信頼を勝ち得た国であるということは、世界に誇るべきことであり、それがインバウンドを支えている。日本の食はおいしいし、日本の文化は素晴らしい。でも訪日客が最も評価しているのは、安全・安心であり、それが日本の売りだ。

 旅行は21世紀の成長産業と言われる通り、まだまだ広がりを持てると思う。農業生産者が農産物を作ることだけを考えているのなら、なかなか先々の展望を開きにくいかもしれない。だが、そこに観光農園みたいなものを導入したり、農家民泊みたいなことをやり出したりすれば、いろんなストーリーを考えられるようになる。

 旅行というものはストーリーを作れば、まったく違った効果を生み出す可能性を持った産業だと思う。それをしかけていくのが、我々の言うソリューションだ。

インバウンド消費の新たな可能性

 子どものころにやった砂場遊びのことを、たまに思い出す。

 砂を盛って小さな山を作ると、上から手で押しつぶし、低い台形のスポンジケーキのような形にする。その上にまた砂を盛って、もう少し大きな山ができると、再び手で押しつぶす。一直線に大きな山を作ろうとするよりも、こういう作業をくり返すことで、頑丈で大きい山を作ることができた。

 多くのメディアは「爆買い」と呼ばれる中国人の驚異的な消費力をもてはやした後、その勢いが一服すると、インバウンド消費の限界を報じた。だが、砂場の小山作りのように、頂が低くなったように見えたインバウンドの山は、大きくその裾野を広げ、さらに巨大な山を形成するステージに移っていた。

 その広がりは、日本の各地方を再発見し、農村も射程に入れるようになった。それが観光農園のような農地のサービス業的利用を活性化し、農産物の輸出へとつながる好循環のきっかけをつくり出した。この好循環を加速させるには、旅行会社や自治体、農家がさらに努力することが必要だろう。そのために知恵を絞ることは、けしてつらく苦しい仕事ではない。

 かつて農水省の官僚と、市民農園のような農地のサービス業的利用について議論したとき、「それでカバーできる農地はそんなに大きくない」と突き放された。だが、食料供給のポテンシャルを維持するための戦略は多様であるべきで、げんにインバウンド消費は新たな可能性を提示してくれている。その広がりと頂の高さを、けして軽視すべきではないと思う。

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