第516回

6月24日「ゲーム評論家はどこに?」

・日本ではゲーム専門誌が広告収入優先で成立し、評論家を育てなかったという過去がある。音楽や映画の世界のように(たとえば『カイエ・デュ・シネマ』のように)メディアからの刺激によってクリエイティブを加速させる試みがなかったのだ。ものすごく儲かっているうちにそういうことをやってくれていたらと悔やまれるのだが、今さら言っても仕方がないですね。

・21世紀に入ってから、その穴をネットが埋めた。これはとても正当な流れだった。そもそも個々のゲームソフトについて、商業誌や商業サイトの編集者やライターよりも、一般のプレイヤーの方がしっかりプレイしているという現実がある。プロの人達がさぼっているということではない。一般人は1本のゲームを気に入ったら1ヶ月~2ヶ月はやり込む。ブロは1本に1ヶ月かけているのでは仕事にならない。1日プレイしただけで評価を下したりしてしまうわけである。

・細分化され熟成された高等遊民達の知識と洞察は、専門誌ではなくネットに書き込まれ無料で読まれるようになった。これで評論家という職業はさらに成立しにくくなった。

・もちろんその情報は玉石混淆であるが、その中から自分にとって役に立つ情報を見つける方法をみんなが少しずつ学んでいった。それに対応したシステムがネット上に形成されていった。

・一方でメーカー側は、評論家に代わる役割を、簡単に配付できるようになった「体験版」に担わせるようになった。価値を伝えられる人がいないのなら、プレイヤー一人一人に実際にプレイしてもらって、自分で価値を見極めてもらえばいいのだ。

・ゲームの動画配信も活発化した。それはまず一般のマニア(高等遊民) 達から始まり、メーカーがサポートする公式放送も、体験版よりも身軽な情報源として一般化していった。

・そういう番組で語る役どころは、他の業界だったらプロの評論家ということになるわけだが、前述の事情により、ゲームの世界にはそういう人材がいなかった。そこで、既に当該タイトルをプレイしているタレント(そのゲームに出ている声優さんであることが多い)や実況者(そのゲームの動画を上げている人)を起用することになる。それでたいていはうまく行くのである。

・技術や歴史の研究と記録については現場のクリエーターや熱心なコレクターによってなされ、それらがごく自然にネットに上がり共有され、やがて多くの人々によって整理されアーカイブ化されるようになっていった。

・結局、ゲーム業界は評論家・評論メデイア不在のままでなんとか成立、成長していく道を探しつつ、一歩一歩進んできたわけだ。この状況は外側から見たら奇妙に思えるだろう。

・もちろん今後、ゲーム業界ならではの評論家が輩出し活躍する未来にも期待する。ただし今の状況を横目で見て
「評論家いないじゃん」
「バカばかりだからじゃね?」
「席空いてる!」
「ここならちょろいかも」
「でかい顔できそう」
「しかもこの業界けっこう儲かりそう」
 ……そんなことを考えてる人がもしいるとしたら、それは大きな勘違いである。ぜひ、ほっといて頂きたいのである。

・単純に経験値とか知識量ということでなく、そういう心根をゲームファンは鋭く見抜くだろう。そして僕が強く思うのは、今この時代、評論って、仕事がほしくて仕方がないぎりぎりの人がやることじゃないってことだ。語る前にまず楽しめばいいと思う。たくさんの素晴らしいゲームを10年でも20年でも遊んでみて、言葉が自分からあふれ出てきたら、それから語ればいい、と。

PROFILE

渡辺浩弐
渡辺浩弐
作家。小説のほかマンガ、アニメ、ゲームの原作を手がける。著作に『アンドロメディア』『プラトニックチェーン』『iKILL(ィキル)』等。ゲーム制作会社GTV代表取締役。早稲田大学講師。