田植えをする天皇、蚕を育てる皇后
天皇・皇后両陛下は、忙しいご公務の合間を縫って日本の伝統産業に取り組まれてきた。
天皇陛下が田植えをし、皇后陛下が蚕に餌をやるシーンは、メディアを通じて報道され、国民に皇室への親しみをおぼえさせるとともに、農業や養蚕業に対する関心を持続させてきたのである。
5月25日、天皇陛下は、皇居内の生物学研究所脇にある水田で田植えをされた。開襟シャツにズボン、長靴姿で水田に入り、種もみから育てたうるち米の「ニホンマサリ」ともち米の「マンゲツモチ」の苗を1株ずつ植えられた。
秋には陛下の手で収穫も行われ、稲の一部は伊勢神宮に奉納されるほか、新嘗祭などの宮中祭祀に用いられる。
天皇陛下が田植えをした4日前の5月21日には、皇居内にある紅葉山御養蚕所で、皇后陛下が、蚕に餌の桑の葉を与える「給桑(きゅうそう)」に取り組まれた。
木造2階建ての紅葉山御養蚕所は1914年に建てられ、現在も当時とほぼ同じ方法で養蚕が行われている。皇后陛下はこの日、蚕に桑を与えた後、蚕が繭を作る器になる藁蔟(わらまぶし)を手で編まれた。
皇居では現在、3種類の蚕を12万~15万頭飼育し、皇后陛下は毎年5~6月ごろ、蚕の餌やりや繭の収穫などを行う。繭からできた生糸は、正倉院宝物の修復などに使われる。
宮中養蚕は殖産興業のシンボルだった
天皇の稲作と皇后の養蚕の歴史を振り返ると、皇后が皇居で蚕を育て始めたことの方が、半世紀以上古い。しかし、いずれも近代になってからのことだ。
宮中養蚕は1871年(明治4年)に、明治天皇の皇后美子 (昭憲皇太后)が要望し、「その道の知識経験のあるものに聞くように」と促して、渋沢栄一が回答したことに始まるという。
明治政府の高官には下級武士出身者が多く、養蚕にかんする知識があるのは、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)生まれで当時大蔵大丞を務めていた渋沢栄一しかいなかったためだと考えられている。
宮中養蚕が始まると、大蔵省はこれを記事にした新聞を買い上げ、各府県に配布した。これも渋沢の発案だった可能性がある。
渋沢栄一は、官営「富岡製糸場」の設立にも尽力した。