大型開発プロジェクトで変貌しつつある東京。その注目エリアをピックアップし、地域の歴史や地形と絡ませながら紹介していく連載です。現地に残る史跡、旧跡のルポも交えて構成。歴史好きの人のための歴史散歩企画としてもお楽しみください。変貌する「ネオ東京」の“来し方行く末”を鳥瞰(ちょうかん)しつつ、その地の歴史的、地勢的特性を浮き彫りにします。

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東京オリンピックを意識した虎ノ門ヒルズ駅が開業

虎ノ門ヒルズ駅周辺の超高層ビル(建設中を含む)と今の虎ノ門周辺。4つの超高層ビルがこのようにできる。茶色い線は東京メトロ銀座線の虎ノ門駅と同日比谷線の虎ノ門ヒルズ駅を結ぶ地下道
虎ノ門ヒルズ駅周辺の超高層ビル(建設中を含む)と今の虎ノ門周辺。4つの超高層ビルがこのようにできる。茶色い線は東京メトロ銀座線の虎ノ門駅と同日比谷線の虎ノ門ヒルズ駅を結ぶ地下道
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 2020年6月6日、東京メトロ日比谷線に56年ぶりの新駅「虎ノ門ヒルズ」が霞ケ関と神谷町の間に暫定開業した。暫定だけあって、地下鉄の出入り口も「とりあえず」感が満載だ。本来は東京オリンピック開催に間に合わせるための開業だったけれど、残念ながら延期されてしまった。本格開業は23年だ。

 ちなみに日比谷線は1964年(昭和39年)に全線開通している。前回の東京オリンピックに間に合わせるべく突貫工事をした歴史がある。今回もオリンピックに向けての新駅開業だったのだが……。

虎ノ門ヒルズ駅、中目黒方面入り口。後ろに見えるのは左が虎ノ門ヒルズビジネスタワー、右が虎ノ門ヒルズ森タワー(写真:東京メトロ)
虎ノ門ヒルズ駅、中目黒方面入り口。後ろに見えるのは左が虎ノ門ヒルズビジネスタワー、右が虎ノ門ヒルズ森タワー(写真:東京メトロ)
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開業当日の虎ノ門ヒルズ駅(写真:東京メトロ)
開業当日の虎ノ門ヒルズ駅(写真:東京メトロ)
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 ここ数年、虎ノ門の変貌ぶりは激しい。訪れるたびに更地が増え、工事の範囲が広がり、気がつくと高層ビルがそびえていてそのスクラップ&ビルドのまっただ中っぷりは驚く限り。何しろその範囲が広い。

 6年ほど前、桜田通りのちょっと裏手の道を訪れたとき、そこには個人宅が並び、街角で猫と出合ったりもしたのだが、その1年後にはその家もなくなり、狭い道路があった場所には虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーが竣工を待っている(2021年1月竣工予定)。

小さな武家屋敷がかたちづくった虎ノ門の街

 下の写真は14年に撮影したもの。のちに虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーとなる場所。歩いていたら2匹の猫がうずくまっていた(隣の空き地は用地買収済みなのだろう)。

のちに虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーとなる場所にうずくまっていた2匹の猫(写真:荻窪圭、以下同じ)
のちに虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーとなる場所にうずくまっていた2匹の猫(写真:荻窪圭、以下同じ)
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 虎ノ門は有名なわりにいまひとつ強い印象がないエリアだった。虎ノ門駅のすぐ隣に文部科学省や財務省、経済産業省もあるが、あちらは霞が関。東にあるビジネス街は虎ノ門というより新橋。虎ノ門の有名どころとしては金刀比羅宮とそこに建つ琴平タワー、あるいは虎の門病院、ちょっと離れてホテルオークラがあるくらいか。

 江戸の中心部にあった譜代大名や大大名の大きな武家屋敷地跡は明治になってそのまま接収され、官公庁や軍隊用地として利用された。このためその広い敷地に大規模な建物が建設されるケースが多い。虎ノ門の近くでは内藤能登守邸跡(今の文部科学省や霞が関ビルディングあたり)はそうした例の1つで、その土地は工部大学校になったりした。

 ただ、外堀をわたった虎ノ門の周辺には小さな武家屋敷が並んでいた。その地割りがそのまま受け継がれたのだ。結果として桜田通りから1本奥へ入るだけで中小のビルや民家がびっしり立ち並んだまま20世紀を終えてしまったのである。

虎ノ門(赤丸部分、左下にトラノゴ門と書いてある)から南側の地図。1区画に所狭しと人名が詰まっている。虎ノ門の北側に比べると区割りが細かい。「弘化4年(1847年)改正御江戸大絵図」 国立国会図書館デジタルコレクション
虎ノ門(赤丸部分、左下にトラノゴ門と書いてある)から南側の地図。1区画に所狭しと人名が詰まっている。虎ノ門の北側に比べると区割りが細かい。「弘化4年(1847年)改正御江戸大絵図」 国立国会図書館デジタルコレクション
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 官庁街からはずれているし、ビジネス街としても商業地としても中途半端な場所というのが虎ノ門だったのだ。古い地割りや高度成長期に建てられた小さなビルが残っている。このため、街歩きが趣味の人には喜ばれたが(寂れた裏通りをたどって裏手から愛宕神社に登るルートなどはなかなか楽しかったものだ)、それでは街は発展しない。

幕末の虎ノ門。金刀比羅宮(「コンピラ」と書かれている、赤丸部分)が見える。青丸あたりに現在の虎ノ門ヒルズ駅がある。「嘉永3年(1850年) 江戸切絵図」国立国会図書館デジタルコレクション
幕末の虎ノ門。金刀比羅宮(「コンピラ」と書かれている、赤丸部分)が見える。青丸あたりに現在の虎ノ門ヒルズ駅がある。「嘉永3年(1850年) 江戸切絵図」国立国会図書館デジタルコレクション
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 そこに、虎ノ門が創業の地である森ビル(西新橋1森ビルは虎ノ門駅近くの西新橋一丁目にあった)が中心になって大プロジェクトが立ち上がったのである。虎ノ門ヒルズ森タワーだ。それを皮切りにいくつもの高層ビルからなる再開発が始まった。

 霞が関という官庁街のそばにありながら、狭い敷地の住宅が密集し、中途半端な立ち位置だった虎ノ門が変貌することになったのだ。ちなみに「ヒルズ」といっても、虎ノ門自体は東京低地の西の端なので、丘でも何でもない、縄文時代は海だった平らな場所である。でも今更そこにツッコむ人はいない。

虎ノ門ヒルズ駅を核に再開発が進む

虎ノ門ヒルズ周辺の再開発プロジェクト
虎ノ門ヒルズ周辺の再開発プロジェクト
提供:森ビル
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 2020年6月6日に暫定開業した虎ノ門ヒルズ駅を交通の拠点として、虎ノ門周辺では23年の完成を目指して再開発が進んでいる。

 その皮切りとなったのは、14年6月に開業した虎ノ門ヒルズ森タワーだ。14年3月末に開通した環状2号線延伸部(環二通り)の上に建てられた虎ノ門を象徴するビルだ。そして20年1月にはその北に虎ノ門ヒルズビジネスタワーが竣工。虎ノ門ヒルズ駅とは地下道でつながり、1階には虎ノ門、新橋、豊洲、晴海を運行するBRT(バス高速輸送システム)や空港リムジンバスのターミナルが設けられた。

 21年1月には住居棟の虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーが竣工する。54階建ての超高層マンションで約550戸の供給を予定している。虎ノ門ヒルズレジデンス(森タワー)の172戸と合わせて約720戸の住居が生まれることになる。

 23年7月には虎ノ門ヒルズ駅と一体化した虎ノ門ヒルズステーションタワーが竣工する。他の3つのビルとは国道1号(桜田通り)をはさんだ向かい側に立地する。一連の虎ノ門ヒルズビルの中で最も高い265メートル(49階建て)になる予定だ。虎ノ門ヒルズ駅も同時期に本格開業する。

 虎ノ門ヒルズのビル群はすべて2階の歩行者デッキで行き来できるようになる予定で、ビル間を移動するのに地上の道路に下りる必要はなくなる。

虎ノ門ステーションヒルズ完成予想図
虎ノ門ステーションヒルズ完成予想図
提供:森ビル
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虎ノ門はかつては小田原へつながる交通の要衝だった

 今は何気なく「虎ノ門」と言っているが、文字通り江戸時代は「虎ノ門」という門があった。

 その門は江戸城の外堀にかかっていた。場所は虎ノ門交差点の少し北。文化庁(旧文部省庁舎、1932年築)があるあたりだ。旧文部省庁舎の裏手には発掘された江戸城外堀の石垣が一部そのまま保存されており、そこを訪れるとなんとなく外堀がどこだったか分かる。

虎ノ門交差点にある文化庁。この右手奥あたりに「虎ノ門」はあった
虎ノ門交差点にある文化庁。この右手奥あたりに「虎ノ門」はあった
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 その虎ノ門交差点をほぼ南北に突っ切る桜田通りが国道1号。戦前は旧東海道が国道1号だったが、今はそちらは国道15号となっている。でも第一京浜は国道15号の方で、国道1号には第二京浜の名が付けられている。ちょっとややこしい。

 この江戸城から虎ノ門を抜けて飯倉へ向かう国道1号のルートは室町時代の主要道だったのではないかと思っている。その理由はいくつかある。慶長江戸図に桜田門が「小田原門」と書かれており小田原へ通じる道だと示唆されていること。桜田や霞が関、飯倉という古代から中世に遡る古い地名が残っていること。街道沿いに鎮座する西久保八幡神社は室町期に太田道灌が霞が関あたりから、今の地に移したと伝わっていることなどだ。海から少し離れたこの土地に江戸と小田原をつなぐ街道が通っていたことは想像に難くない。海沿いの東海道が完成し、日本橋が起点となるまではこちらが交通の要衝だったはずだ。

 だが、江戸時代、交通の中心は日本橋を起点とする旧東海道に移っていく。街道沿いの町として栄えるでもなく、大名地でもなく、先ほど述べたように小さな武家地が密集する町になっていく。この結果、かつての交通の要衝は、拠点としての力を持てなかったのだ。

 現代の交通の要衝は東京や品川、新宿といったJRの駅が中心になっている。バスターミナルがあったり、空港へのアクセスも確保されていたりするなど、公共交通機関がしっかりしているところだ。また、宿泊を含む各種施設が充実し、ビジネス需要に応えるオフィスビルがなければならない。

 虎ノ門は官公庁が近く、本来ならビジネス面での立地としてはよいはずだが、ビジネスをサポートする施設や交通面は弱い。幹線道路は桜田通り(国道1号)のみだし、最寄りの鉄道は銀座線の虎ノ門駅しかない。銀座線は日本最初の地下鉄であるが故に駅スペースも小さく6両編成なので輸送力は低く、私鉄他社との直通運転もない(もっとも、浅いところを走っているので、地上からアクセスしやすいというメリットはあるが)。

 そこで虎ノ門ヒルズプロジェクトは細切れだった街をまるごと高層ビル化して再開発すると同時に、交通面にも手を付けた。そこがユニークというか豪腕なところだ。

復興計画の道路と新しい地下鉄駅の誕生

 虎ノ門周辺はかなり巨大なプロジェクトなので、虎ノ門一帯すべてに手が加わるといっていいほどだが、今回注目するのは交通面だ。

 その1つのポイントは道路。戦後の復興計画で都市計画道路として環状2号線(外堀通り)の整備が立案されたものの、つい最近まで着工せず放置されていた区間(虎ノ門―新橋間)がある。かつて「マッカーサー道路」とも呼ばれた道だ(もともとは関東大震災の復興計画時に内務大臣兼帝都復興院総裁の後藤新平が立案したもの)。

 1958年(昭和33年)の地図を見てみよう。この頃はまだ「虎ノ門」という地名がほぼなかったのも驚きだが(芝虎ノ門という狭いエリアがあっただけで、他は芝琴平町や芝西久保○×町)、よく見ると赤坂葵町から芝田村町に向けて点線で広い道路予定(復興道路)が描かれている。

1958年(昭和33年)の地図で虎ノ門を見ると(まだ虎ノ門という町名ではないが)、赤坂葵町から芝西久保桜川町を通って東方向へ破線で計画道路が描かれている(図中のグレーの網掛け部分)。これが14年に開通した環状2号線の元の計画だ。港区詳細図(日地出版)
1958年(昭和33年)の地図で虎ノ門を見ると(まだ虎ノ門という町名ではないが)、赤坂葵町から芝西久保桜川町を通って東方向へ破線で計画道路が描かれている(図中のグレーの網掛け部分)。これが14年に開通した環状2号線の元の計画だ。港区詳細図(日地出版)
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 この放置されていた計画がよみがえり2014年(平成26年)、ついに完成したのである。「環二通り」だ。

 虎ノ門のJT本社あたりから東に向かってのび、新橋駅の南側で第一京浜につながっている。虎ノ門側にトンネルが設けられ、その上に虎ノ門ヒルズ森タワー(地上52階、高さ247メートル)が建っている。この道はさらに延伸され湾岸部へ抜ける道よみがえりとなった。虎ノ門―新橋間は当初、平面道路の予定だったが、1998年(平成10年)に、計画を変更し、地下を通すことになったのだ。

 これによって、虎ノ門は湾岸地域とも直結する場所になった。江戸時代に失われた交通の要衝としての立ち位置を取り戻そうとしているかのようだ。

 地下道路の上に建った虎ノ門ヒルズ森タワーの敷地はかつて、第17森ビルや、虎ノ門34森ビルがあったあたりだ。虎ノ門ヒルズエリアのプロジェクトではこの虎ノ門ヒルズ森タワーに加えて3つの高層ビルが計画された。それだけ続けば街まるごと高層ビル化と言っても過言ではあるまい。

 2番目に竣工したのが20年1月にできたばかりの虎ノ門ヒルズビジネスタワー。虎ノ門ヒルズ森タワーの北側に位置し、かつては虎ノ門10森ビル、虎ノ門一丁目森ビルなどがあったエリアだ。

 このビルの1つのポイントは、ここを拠点として東京では初のBRTや空港行きリムジンバスが運行されることだ。これで新橋を経由して有明、晴海などの湾岸方面へ通じる公共交通機関が生まれることになる。ここにも、交通の要衝復活に向けた虎ノ門地区の思いが透けて見えてくる。

 ちなみにこのBRT、地下鉄と同じく、かなり東京オリンピックを意識していた。虎ノ門ヒルズ駅の「暫定開業」と同じく、オリンピックを視野に入れた「プレ運行」が5月に始まる予定だったのだ。だが、新型コロナ禍の影響で6月11日現在、運行は延期中だ。早く乗ってみたいものだ。

左の虎ノ門ヒルズビジネスタワーと真ん中に見える虎ノ門ヒルズ森タワーは、歩行者デッキで結ばれている。その向こうの建設中の建物が住居棟となる虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワーだ。森タワーの下には環状2号線が走っている
左の虎ノ門ヒルズビジネスタワーと真ん中に見える虎ノ門ヒルズ森タワーは、歩行者デッキで結ばれている。その向こうの建設中の建物が住居棟となる虎ノ門ヒルズ レジデンシャルタワーだ。森タワーの下には環状2号線が走っている
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虎ノ門ヒルズビジネスタワー1階にあるBRTと空港リムジンバスの乗り場
虎ノ門ヒルズビジネスタワー1階にあるBRTと空港リムジンバスの乗り場
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 虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は「乗換駅」に

 そして、もう1つのポイントは鉄道。冒頭に述べたように、6月6日に虎ノ門ヒルズ駅が誕生したのだ。虎ノ門ヒルズ駅の中目黒方面行きホームは虎ノ門駅と地下道でつながるだけでなく、虎ノ門ヒルズビジネスタワーや虎ノ門ヒルズ森タワーとも結ばれている。これで念願の交通網の改善が進むことになる。

 虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は地下通路で約450メートル、地上の最短距離で約400メートル離れてはいるが、「乗換駅」として設定されており、60分以内なら改札を出ても追加料金なしに乗り換えられる。東京メトロ銀座線の虎ノ門駅は日比谷線の霞ケ関駅と神谷町駅の間にあり、線路は交差しているのに乗り換えができなかったという不便さをこれで解消させたのだ。

 1938年(昭和13年)に造られた東京メトロ銀座線の虎ノ門駅の改札口から完成した真新しい通路を眺めると、両者の雰囲気の違いが大きく、異なった時代をつなげる不思議な風景が広がっていて面白い。

銀座線虎ノ門駅の改札(いずれもう少しきれいになるのだろう)から虎ノ門ヒルズ駅へつながる真新しい地下通路を眺めたところ
銀座線虎ノ門駅の改札(いずれもう少しきれいになるのだろう)から虎ノ門ヒルズ駅へつながる真新しい地下通路を眺めたところ
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 地下通路は渋谷方面行きホームの最後尾側にある改札を出たところから始まる。いったん少し下がり、真っすぐ奥へのびる。銀座線は浅いところに造られたので、虎ノ門ビジネスタワーの地下1階の深さに合わせるために地下道を下げるしかなかったのだろう。

 そのまま通路を180メートルほど歩くと左手に虎ノ門ヒルズビジネスタワーの入り口が見えてくる。さらに真っすぐ進むと通路は右に90度曲がって虎ノ門ヒルズ駅につながる。改札の手前を左に入ると虎ノ門ヒルズ森タワーだ。

虎ノ門ヒルズビジネスタワー側から見た地下通路。左に行けば虎ノ門ヒルズ駅。右に行けば虎ノ門駅だ
虎ノ門ヒルズビジネスタワー側から見た地下通路。左に行けば虎ノ門ヒルズ駅。右に行けば虎ノ門駅だ
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 虎ノ門ヒルズ駅は開業したものの、虎ノ門ヒルズステーションタワーはまだこれからだ。それまであった古いビルが取り壊される一方、まだ上物が立ち上がってきていないのでやけに見通しがいい。

 虎ノ門ヒルズ森タワーを背にして、建設中の虎ノ門ヒルズステーションタワーの方向を見ると、建設現場の向こうには19年に竣工した新しい虎の門病院、同じく19年に建て替え工事を終え完成したホテルオークラが見える。20年に竣工したばかりの森トラストの東京ワールドゲートや気象庁虎ノ門庁舎・港区立教育センターも見える。

虎ノ門ヒルズビジネスタワーと虎ノ門ヒルズ森タワーをつなぐ歩行者デッキから虎ノ門ステーションタワー建設現場を望む。今が一番見通しがよいかも。中央左手のビルは19年に開業したばかりの新しいホテルオークラ
虎ノ門ヒルズビジネスタワーと虎ノ門ヒルズ森タワーをつなぐ歩行者デッキから虎ノ門ステーションタワー建設現場を望む。今が一番見通しがよいかも。中央左手のビルは19年に開業したばかりの新しいホテルオークラ
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桜田通りから見た虎ノ門ヒルズステーションタワー建設現場。左の高層ビルは建設中の虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー。写真の真ん中に見えるのが神谷町の東京ワールドゲートビル(20年竣工)
桜田通りから見た虎ノ門ヒルズステーションタワー建設現場。左の高層ビルは建設中の虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワー。写真の真ん中に見えるのが神谷町の東京ワールドゲートビル(20年竣工)
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 新しい虎ノ門が完成したとき、新しくグローバルなビジネスの街を築くことができるか、JR駅に頼らない新しい交通の結節点になれるか。立地は非常によいので意外にいけるんじゃないかという気はしている。

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