「闇営業」という言葉は、いつ頃からメディアで使われるようになったのだろうか。
この耳慣れない言葉は、誰によって発明され、どんな分野で市民権を得て、いかなるタイミングで新聞の紙面で使われるまでに成長したのだろうか。
職業柄、この種の新語には敏感なつもりでいるのだが、不覚なことに、私はこの言葉を、つい3日ほど前までまったく知らなかった。
この関係のニュースを知ったのは、ツイッターのタイムライン上に、スポニチの記事へのリンクが張られたからだ。
ところが、吉本興業所属の芸人などによる「闇営業」の顛末を伝える記事へのリンクは、その日のうちに、突如として削除される。
ニュースに反応していたアカウントのツイートは、当然、リンク切れになる。
かくして、この種のなりゆきにセンシティブなニュースウオッチャーたちが騒ぎはじめる。
「なんだ?」
「どういうことだ?」
「どうしていきなり削除してるんだ?」
「圧力か?」
ほどなく、SNS上のざわざわした空気を察知して、ハフポストが、この間の経緯を取材した記事をアップする。こういうところはさすがにネットメディアならではの機敏さだ。
さて、吉本興業は、当初、ハフポストの取材に対して、スポニチの記事が「誤報」だという趣旨の回答を提供した。
であるから、ハフポストも、第一報の段階では、その吉本興業のコメントに沿った(つまり、スポニチが誤報を配信して削除したというストーリー)内容で記事を配信している。
しかし、ほどなく、ハフポストの記事は、見出しの末尾に
【UPDATE】
という但し書きを付けた改訂版に差し替えられる。
私は、失笑せずにおれなかった。というのもこの
【UPDATE】
なる英語は、翻訳すれば
【ごめん。さっきまでの記事は誤報だった。こっちが正解。ごめんごめん】
ということになるからだ。まあ、こんなふうに悪びれもせずにさらりと訂正記事を出せてしまうところが、ネットメディアのある種のたくましさなのだろう。立派だとは思わないが、リアルな態度だとは思う。
もっとも、ハフポストの「誤報」は、彼らの文責によるものではない。吉本興業による「フェイク情報」をそのまま流してしまったカタチだ。してみると、この【UPDATE】案件の主たる説明責任は、あくまでも吉本興業に帰されなければならない。
けれども、吉本興業は謝罪をしない。釈明しようとした形跡すら皆無だ。
ハフポストの【UPDATE】版の記事には
《吉本興業は当初、誤報として否定していたが、その後公式に発表した。》
とだけ書いてある。
「ん? それだけか?」
というのが、普通のメディアリテラシーを備えたまっとうな読者の反応だと思う。
だって、ヒトサマの書いた記事を「誤報」と決めつけておきながら、一言のあいさつもないというのは、社会的影響力の大きい企業としてありえない態度ではないか。
さて、ハフポストの取材に答え直して間もなく、吉本興業は、自身のホームページ上で所属タレントの謹慎処分を伝えるプレスリリースを掲載している。
ところが、その告知のプレスリリースを、これまたなんの前触れもなくいきなり削除した後、数時間後に再アップするというドタバタを演じている。
しかも、そのみっともないドタバタについても、毛ほども説明していない。
なんだろうこれは。
いったいいかなる愚かな背景が、この業界をあげての混乱を演出せしめているのであろうか。
本来、私は、芸能界の出来事には興味を持っていないのだが、では軽視しているのかというと、最近はそんなこともない。告白すれば、私は、最近になってようやく、芸能界で起こる事件の重要さに気づいた次第で、それゆえ、長らく、エンターテインメントの世界で起こる出来事をバカにしてきたことを反省している。
芸能界は、われわれの鏡だ。
エンターテインメントの世界で観察される人間関係の封建性と業界体質の旧弊さは、そのまま私たちが暮らしているリアルな社会の封建性と閉鎖性を反映している。こんな当たり前のことに、いまさらのように私が気づいたのは、島田紳助氏の引退に前後したすったもんだや、能年玲奈さんの芸名をめぐる一連の騒動や、SMAP解散に至る顛末について原稿を書くべく、ここ数年、各方面の記事や書籍を収集し、それらの資料をいやいやながら読み続けてきたからだ。
仕事じゃなかったら、とてもではないが、あんな膨大でしかも質の低い文章の山は読みこなせない。
仕事のありがたさは、実に、こういうところにある。
つまり、仕事として関わりを持つからこそ、本来ならまるでハナもひっかけないような愚劣な分野に関して、およそひと通りの知識や感触を得ることが可能になるということだ。
今回の事件も、詳細を追えば追うほど、徹頭徹尾、実にくだらないなりゆきなのだが、そういうふうに愚劣で低劣で陋劣であるからこそ、この種の逸脱事案は、われらパンピーにとって重要な教訓を含んでいたりもするわけで、つまり、この事件の登場人物たちは、誰も彼も、一から十まで、実にどうしようもない日本のチンピラなのである。
さて、冒頭の疑問に戻る。
「闇営業」とは何だろうか。
この言葉を知らなかった私が最初に文字面から類推したのは、
「つまり、アレか? 闇世界の人間のための芸能活動ってことか?」
ということだった。
これは実にありそうな話だ。
そもそも、はるか昔の戦前の日本にさかのぼれば、歌にせよ舞踏にせよ語り芸でせよ、不特定多数の観客を相手に娯楽を提供する芸能の仕事は、地域や業界ごとの縄張りを管理する任侠の人間や旅芸人を差配するタカマチの人々やその関係者たちと切っても切れない、渡世人の生業(なりわい)だった。
それが悪いと言っているのではない。
起源をたどっていけば、芸能と暴力団は同じ根っこから発展した別の枝だという意味のことを私は言っている。
是非を言っているのではない。私は、成り立ちの話をしている。
だから、芸能界で「闇営業」という言葉が使われた場合、それは、ある種の先祖返りの中で、暴力団の仲介を得た芸能活動が展開され得るという、ごく自然な推理を述べたまでのことだ。
実際、裏世界の人間は芸能を好む。
芸能界で暮らしている人々の中にも、任侠の世界への親近感を隠さない人々が少なからず含まれている。
とすれば、「闇営業」は、「ヤの字の人々からのお呼ばれ」のことなのだろうなと考えるのは決して無理な連想ではない。
ところがどっこい、「闇営業」は、単に「事務所を通さない仕事」であるらしい。
なんという膝カックン案件であろうか。
私が知っている範囲では、昔から同じ意味で使われていた言葉に「取っ払い」というのがある。
20年ほど前までは、吉本興業所属の芸人の中にも、この「取っ払い」をネタに客を笑わせている連中がいた。
というよりも、つい最近まで、
「ヨシモトの搾取構造」
「うちの事務所はごっつうカネに汚いでぇ」
というのは、ヨシモトの芸人の定番のぶっちゃけネタだった。
「あんたホンマおもろいなあ。ギャラ出したいくらいや」
「ほな、そこんとこはとっぱらいでお願いしますわ」
「あほか。マネージャーそこにおるやないか」
という感じのやりとりを、私が高校生だった頃、誰だったかが演じていた記憶がある。
誰だったかは忘れた。たぶん、もうこの世の人ではないのかもしれない。
その「取っ払い」が「闇営業」と呼ばれるようになったのだな。
なるほどね。
それにしても、いったいどこまで世知辛い話なのだろうか。
ともあれ、その芸人用語で言うところの「取っ払い」は、メディアの人間(あるいは事務所側の人間)の立場から描写すると「闇営業」という用語として21世紀の現代に蘇ったわけだ。
言わんとするところはわかる。
事務所を通して、正式な税務処理やマネジメント料を発生させることなく、中間マージンを排したカタチで、顧客から直接に現金を受け取ることは、会社員のモラルとしても、所得税を支払う国民の納税感覚からしても「闇」の仕事と考えられる。だから「闇営業」と呼ぶ。その意味ではスジが通っている。
しかしながら、今回のカラテカ入江や宮迫某らの関わった案件を「闇営業事件」という見出しで矮小化してしまうことには、やはり、抵抗を感じる。
少なくとも、ジャーナリズムに関わる人間が、こういう安易な見出しを打つべきではないと思う。
というのも、今回の事件において「闇営業」は、ほんのささいなサブストーリーに過ぎないからだ。
本筋は、あくまでも詐欺犯罪グループとの関わりにある。
だから、あえて見出しをつけるなら、
「詐欺忘年会ウェイウェイ事件」
「オレオレ詐欺営業インシデント」
「犯罪ピンハネ事案」
あたりでなければならない。
今回の事件を通じて入江や宮迫が犯した過ちを数え上げれば
- 詐欺グループの忘年会に招かれて参加したこと
- その忘年会で報酬を受け取ったこと
- 吉本興業のマネジメントを通さずにギャランティを受け取ったこと
- 収入を税務署に申告しなかったこと
の4点になると思うのだが、スポーツ新聞各紙が見出しに採用しているのは、ここで言う3の「吉本を通さずに営業活動をした」「闇営業」の部分だけだ。
普通に考えて、最悪なのは、1番の「詐欺犯罪グループとの交友と関与」であるはずだ。
報道されているところによれば、忘年会(主催者の誕生会も兼ねていたと言われる)を主催したのは、単に反社会的な団体に属しているというだけでなく、実際に犯罪に手を染めて、その大掛かりな詐欺犯罪を通じて莫大な利益を得ていた人間たちだと言われている。
暴対法が施行されて以来、芸能人は、指定暴力団の関係者と食事を同席しただけでも、業界から追放されかねない流れになっている。
その流れからしたら、現役の犯罪者たちが、その犯罪の看板を隠そうともせずに開催したアゲアゲのパーティーに同席したのみならず、報酬まで受け取っていたわけだから、これは完全にアウトだ。経緯を考えれば謹慎で済むような話ですらない。一発レッドの永久追放案件だろう。
社会的影響力の大きい著名人や芸能人は、犯罪集団に利用されやすい。
そのことを思えば、宮迫某らの最大の罪は、そもそも犯罪集団と関わりを持ったことそれ自体である。
もちろん脱税もけしからぬことだし、事務所を通さないで仕事を取ったこともほめられたことではない。
ところが、芸能メディアは「事務所を通さなかったこと」こそが最大の汚点だったかのような見出しでこの事件を総括しようとしている。
どこまで目玉が曇っているのだろうか。
事務所を通すとか通さないとかのお話は、芸能界という結界の中だけでモノを言っている、インサイダーの掟に過ぎない。
であるからして、事務所を通さなかったことは、事務所内で内々に処理すれば足りる、「社員の副業禁止違反」だとか「出張旅費の過剰申告」だとかとそんなに変わらない、会社員の逸脱に過ぎない。
引き比べて、犯罪組織や犯罪者との交友や取引は、明白な犯罪であり、明らかな反社会的行為だ。
にもかかわらず、芸能記者は、「事務所の内規」や「社員の心構え」や「芸能界の掟」にばかり着目する。
結局、彼ら自身がジャーナリズムとは無縁の、業界内の廊下鳶に過ぎないことを自ら証明したカタチだ。
能年玲奈さんが事務所を辞めて個人事務所を設立したときも、日本の芸能界ならびに芸能マスコミは、たったひとつの例外もなく「業界の掟」「芸能界の仁義」を守る方向で足並みを揃えて見せた。
つまり、彼らは、憲法で保障されている基本的人権や、各種の法律がそれを許している移籍や営業の自由よりも、「昔ながらのしきたり」や「みんなが守っている不文律」や「いわずもがなの合意事項」を遵守する立場を選択したのである。
結局、わが国の芸能マスコミは、御用記者を飼育する役割を果たすばかりで、芸能人の人権を守ることはもちろん、ファンに正しい情報をもたらすことすらできずにいる。
当然、芸能記者と呼ばれる人々も、大手芸能事務所や影響力のあるプロダクションの鼻息をうかがって、提灯持ちの記事を書く日常活動以外では、色恋沙汰のスキャンダルに尾ひれをつけて放流する程度のことしかしていない。
だからこそ彼らは、能年玲奈さんがほかならぬ自分の本名を名乗ることすらできずにいる信じがたい現状を「業界の慣習」の一言で容認してしまえるわけだし、元SMAPの面々があんな不自然なカタチで謝罪芝居を演じさせられたあの場面に関しても、一切ツッコミを入れることができなかった。
今回の事件でもまったく同じだ。
吉本興業のツルの一声であっさりと一度配信した記事を削除したことだけでも、メディアとしてあるまじき恥さらしだと思うのだが、その削除と再アップについて、いまに至るもしかるべき説明していない。
この一点をもってしても、わが国の芸能メディアが、日本のエンターテインメント業界を正常化するための監視装置として機能していないことは明らかではないか。
吉本興業も吉本興業で、まがりなりにも言論機関が自社の文責で配信した記事を、「誤報」であると決めつけておきながら、その件に関して謝罪はおろか、釈明さえしていない。
どうしてこんな無茶が通るのかというと、結局、吉本興業が、ずっと昔からメディア業界において隠然たる(むしろ「顕然たる」と言うべきかもしれない)影響力を発揮しているコワモテの企業だからだ。
「ヨシモトに睨まれたらこの業界ではやっていけない」
と、関係者の多くが恐れおののいて、常にその顔色をうかがう存在だからこそ、吉本興業は、手前勝手なプレスリリースを出したり引っ込めたりしつつ、その矛盾点を誰にも指摘さえされずにいることができている。
聞けば、吉本興業はNTTと組んで、教育コンテンツを発信するプラットフォーム事業「Laugh & Peace_Mother(ラフアンドピースマザー)powered by NTT Group」を開始する旨を発表したのだそうで、その事業には、海外需要開拓支援機構(クールジャパン機構)が最大100億円まで出資
することになっている。
カネと人気と影響力があるだけでなく、官邸との間に太いパイプを持ち、なおかつ万博の顔になることがすでに決まっているコワモテの企業に対して、この先、うちの国のメディアで働く記者たちは、どこまでビビらずに取材を敢行して、どれだけ核心に迫る原稿を書くことができるのだろうか。
私は楽観していない。
芸能マスコミが瀕死であることはすでにわかっている。
してみると、非芸能マスコミの記者さんたちが、まるで別のタイプだとは考えにくい。
詐欺グループの忘年会に出席して
「君の声が力になる 君の笑顔が力になる」
という歌を歌った宮迫氏ほどではないにしても、どうせ提灯を持つことになるのではなかろうか。
あるいは、くずの自覚を持っている分だけ、宮迫氏の方がまだマシなのかもしれない。
(文・イラスト/小田嶋 隆)
吉本興業は2010年に上場廃止していました。お詫びして訂正します。 [2019/7/1 12:20]
『街場の平成論 (犀の教室)』(晶文社)
どうしてこんな時代になったのか?
「丈夫な頭」を持つ9名の論者による平成30年大総括
戦後史五段階区分説 ――内田樹
紆余曲折の日韓平成史 ――平田オリザ
シスターフッドと原初の怒り ――ブレイディみかこ
ポスト・ヒストリーとしての平成時代 ――白井聡
「消費者」主権国家まで ――平川克美
個人から「群れ」へと進化した日本人 ――小田嶋隆
生命科学の未来は予測できたか? ――仲野徹
平成期の宗教問題 ――釈徹宗
小さな肯定 ――鷲田清一
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この記事はシリーズ「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明」に収容されています。フォローすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。