Everything you've ever Dreamed

ただの日記です。それ以上でもそれ以下でもありません。

私は老害になりたい。

最近、「老害」といわれることが多くなった。44歳、人生の黄昏である。もし、僕に対する悪口のつもりで「老害じゃん…」「老害になりそう」と仰っているのなら、残念ながら逆効果である。忌避されると喜んでしまう、好戦的な性格と厄介な性癖が、僕にはあるからだ。そして、なにより、僕自身が老害になりたいと考えているからだ。それも一刻も早くに。

なぜか。自分の考えを持っていれば、誰でも老害になりうると気付いたからだ。つまり、老害は自分固有の考えや価値観を持っている証拠ともいえる。自分の考えや価値観が他の世代と合わなければ、結果的に老害扱いされる。たったそれだけのことだからだ。実際、僕の人生において糧になっている先人の方々を振り返ると、本当に尊敬できる人生の先輩数人をのぞけば、老害と呼べる人ばかりだ。「アホかよ」「こんなバカにはなりたくない」という反面教師的であったが。老害とまではいかなくても、部活やサークルのOBが現役世代にあれこれ言ってくると、たとえそれが正論であってもウザがられるものだ。

 そもそも老害とは何だろう。老害という言葉から僕が連想する人物は、某大新聞トップW氏、元東京都知事兼作家I氏、元総理兼東京五輪組織委員長のM氏、元上司のK氏である。シンプルにまとめてしまうと、「自分の考えを曲げず聞く耳を持たない、それでいて現役世代に対して相応の影響力を持っている(持っていた)老人」。現実を見ていない、現実についていけていない、という批判を受けているのも要素のひとつだろう。だが、余程のバカでないかぎり、人は、年齢や経験を重ねて、自分の考えや価値観を、数多の修正と変更を経て、補強し強固にしていく生き物ではないか。子供の頃と同じレベルで柔軟性を発揮して考えをコロコロ変えられるのは、記憶力の皆無のアホか天才くらいだ。つまり程度の差こそあれ、誰もが老害になる。そして、強固な考えを持った年長者が下の世代からウザがられるのは人類の歴史と部活OBが証明するように、仕方ないことなのだ。

 下の世代からみれば年長者の考えというのは、少なからずウザいものである。それが正当なものであってもウザいし、間違っていればなおのことだ。たとえば、エレベータを待っているときに、見知らぬ老人から昇降ボタンを押せと強めに言われたとき、どう感じるだろうか。一般的に、昇降ボタンを押すのは先に待っている者の役割なので、老人の言っていることは正しい。それはわかる。だが、なんでそんな強めに言われなきゃならんのだ、ちょっと人生の先輩なだけのくせにウガ―!と思うのではないだろうか。「この老害!」と心の中で叫ぶ人もいるだろう。先に年長者がウザがられるのは仕方ないと述べたが、下の世代がウザがるのもこれまた仕方のないことなのだ。自分の考えや価値観を補強するために、老害という仮想敵を設定するのは極めて有効な手段だからだ。「老人は凝りに固まった考えしかできないけれど、フレッシュな僕らならまるで柔軟剤で柔らかくしたようなアイデアが湯水のように出てくるよ!」みたいな。つまり年長者を老害とみなし、けなすことで自分の考えを補強してアイデンチチーを確立しているのである。

 自分の考えを「補強」した結果、年長者は老害になり、若い世代も自分の考えを「補強」した結果、老害を貶しているのだ。非常によく似ていると思う。ここから導きだされるのは「世代は超えられない」という諦めに近い認識を持つべきということだ。わかりあえないということをわかりあうべきなのだ。ときどき、意識が少々高い30代の「いい大人」が、若者サイドに立って「自分たちは若い世代、老害は去れ」などとウザいことを仰っているのを見かけるが、世代という概念にとらわれているかぎり、かなり高い確率で当人が老害になると僕は見ている。

僕は自分の考え方が凝り固まっていると自覚している。レッツ・ゴー・老害は免れられないだろう。今は、一刻も早く名実ともに兼ね揃えた老害になりたいとさえ思っている。どうせ老害になるのなら、立派な老害になりたい。ところで、いい老害とは何だろうか。「金は出すが口はださない年長者」が最高の老害とすれば、「金は出さないうえ口も出す年長者」は最悪のそれになるだろう。僕はせめて「金も出すが口も出す」立派な老害になりたいと思っている。金を払うのは「文句言い料金」のつもりだ。

かのマッカーサー将軍の有名な演説「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」。素晴らしい心境だと思うが、消えゆくのみなんて、僕はイヤなのである。実につまらない。将軍はフィリピン奪還作戦を「アイシャルリターン」という言葉をかかげてド派手にやり遂げた経歴があるから、ただ消え行くのみという心境に達しても、あの人はデカいことをやったからね…と思える。だが、人生においてアイシャルリターン的なことを何も成し遂げていない平凡な僕らが、ただ消えていったら、ガチに消えるだけだ。寂しいかぎりでははないか。

若い世代に疎まれるのを極度におそれて、考え方に変更を加えたり、発言を控えるような人生にだけはしたくはない。それで老害と言われても僕は構わないし、言われるくらいでちょうどいいとさえ思っている。老害を突き詰めていって、「ただ消え行くのみ」の域に到達できたら、いい。はやく立派な老害になりたい。(所要時間28分)