大阪と奈良の府県境を南北に延びる生駒山地の西麓に、6世紀ごろ朝鮮半島から最先端の技術や文化をもたらした渡来人が眠る古墳群がある。大阪府八尾市の高安千塚(たかやすせんづか)古墳群。江戸時代には観光スポット、明治になると欧米の学者がたびたび訪れた。大森貝塚(東京都品川区)の発見で有名な米国人・エドワード・モースも調査をし、日本の古墳が世界に知られるきっかけになったが、その後は長らく地元でも忘れられた。しかし平成27年に国史跡に指定、昨年には「高安千塚古墳群」(新泉社)が出版され、再び注目されている。
(小畑三秋)
江戸時代は盗掘のターゲット
上半身をはだけた男たちがしきりに鍬(くわ)を振るって土を掘り返し、土器を高々と掲げている-。
江戸後期の1800年代の観光ガイドブック「河内名所図会」には、高安千塚古墳群を描いた一風変わった絵がある。石室から、勾玉(まがたま)や土器を掘り出す盗掘だ。「江戸時代の名所図会で、盗掘の様子まで詳細に描いたものは他にない。(ここでは)いかに盗掘が盛んだったかが想像される」と、八尾市教委の藤井淳弘・文化財課係長は話す。
高安千塚古墳群は、現在230基確認されているが、江戸時代には500基以上あったとみられ、近畿でも有数の大型群集墳。直径10~15メートル規模の円墳が多く、6世紀初めから築かれ、埋葬施設の大半が横穴式石室であるのが特徴だ。