北京の天安門広場近くで販売されていた土産用のプレート(写真:AP/アフロ、2017年10月撮影)
北京の天安門広場近くで販売されていた土産用のプレート(写真:AP/アフロ、2017年10月撮影)

 毛沢東がこの世を去ってちょうど42年目の9月、党中央教育部傘下の人民教育出版社が中学校二年生用の歴史教科書下巻の改訂版を出した。この教科書では文化大革命が毛沢東の“錯誤”であったという表現を、毛沢東の“苦労と探索”という表現に書き改めていた。文化大革命は「十年の大災難(浩劫)」から「十年の艱難辛苦の探索と建設成就」に言い換えられた。これは2月に出版された歴史教科書上巻に続く改変である。教育部によると、2017年秋の国家教育重大改革の方針に従った改変という。これは中国の知識人たち、そして国際社会に少なからぬ衝撃を与えている。いまさら文革を美化しようという習近平政権の狙いは何なのか。毛沢東を全く瑕疵の無い領袖に再評価する意味は? 中国の歴史問題、教科書問題の背景を考えて見たい。

 これまでの旧教科書では、文革について「20世紀60年代、毛沢東は党と国家が資本主義の復活の危険に直面しているという誤った認識を持った。資本主義の復活を防止するために、彼は文化大革命の発動を決定した」と説明している。

 これに対して新教科書では、「誤った認識(錯誤認為)」の錯誤の二文字を削除し「20世紀60年代なかば、毛沢東は党と国家が資本主義復活の危機に直面していると認識し、『階級闘争をもってこれを改める』と強調し、文化大革命を通じて資本主義の復活を防止しようと考えた。それで1966年夏、文化大革命が全面的に発動したのである」と書き改めた。つまり毛沢東の認識は間違っていなかった、と言うのが中国共産党の正式な見解となった。「文化大革命の十年」という旧教科書での章名も、新教科書では「艱難辛苦の探索と建設成就」と改められた。文革は、中国において近代建設成就のために必要な苦労であったというわけだ。

 これ以外にも、新教科書では文革について「動乱と災難」という表現を削除したり、「世の中には順風満帆で事業が進むことはないのだ」といった文革の罪悪を言い訳するような修飾表現が付け加えられたりした。文革小組ができたいきさつの中での党中央の役割や二月逆流に関する記述なども削除された。

 なぜ今更、習近平が文革を美化、あるいはその悲劇を淡化しようとしているのか。理解の仕方としては二つある。一つは習近平の個人的文革経験からのアプローチ。もう一つは中国における歴史というものの考え方である。

 習近平が文革について、非常に深い思い入れを持っていることはかねてから指摘されていた。習近平が愛用するスローガンやキメ台詞には「党政軍民学、東西南北中、党が一切を指導する」といった文革時代に使われたものが多く、習近平が下放された先の陝西省北部の梁家河の経験を美化するようなラジオドラマを作らせたりもしている。また、毛沢東時代の前半30年、後半30年ともに過ちはなかったという発言もしており、毛沢東を完璧な英雄だと見ているようでもある。

文革で苦労した習近平一家

 多くの知識人にとっては、悪夢であり、中国が最も野蛮であった暗黒期という認識の文革時代だが、いわゆる本当の意味での知識人ではなかった習近平にとっては、思春期に毛沢東思想にどっぷりつかったときの精神的刷り込みの方が強烈であった。あるいは自分が毛沢東のようになるつもりであり、そのために毛沢東のやったことは全部正しかった、と言いたいのかもしれない。習近平は本気で、文革時代は貧しくとも皆が清廉であった理想の時代、とか思っているかもしれない。いずれにしろ、習近平が理解している唯一の権力とは、毛沢東そのものであり、習近平が知る権力掌握、権力維持の唯一の方法は階級闘争であった、といえる。

 文革時代、習近平の父親の習仲勲は迫害に遭い、習近平自身も下放先で苦労しているはずだ。なのに、なぜここまで文革と毛沢東に対して強い思い入れをもちうるか、については、米国のニューヨーク市立大学政治学教授の夏明がラジオ・フリー・アジアの取材に次のように分析している。

 「習近平とその取り巻きたちは、彼らのなじんでいるロジックで中国の歴史と未来を見ている。つまり彼らの思想形成期は中国史上最も暗黒で貧しく野蛮な人類の悲劇の中で形成された。習近平ら50年代生まれのイデオロギーと思想、世界観は一種のストックホルム症候群(人質が犯人に過度の好意や共感を持つこと。無意識の生存戦略)的なもので、迫害時代のいけにえのようなものではないか。あの時代にのみ理解可能な生命の意義、あの時代の枠組みでのみ解釈できる生存の価値というものがあり、それに一種の懐かしさを覚えるのだ。習近平のいかなる行動、思想もあの時代の結果として培われたもので、あの時代を超えるものにはならない。……我々にとってより大きな悲劇は、そういうあの時代が生んだ指導者が、50年前の思想をもって、未来を見ていることだ。すでに歴史が過ちであったことを証明している毛沢東のやり方を維持して、未来の新時代の人々の上に用いようとしていることだ」

 次に中国人の歴史観から考えてみよう。

 文革について毛沢東にも過ちがあったと決定したのは、文革終結後に最高指導権力を掌握した鄧小平である。1980年8月 イタリアの記者ファルチの取材を受けたときに「彼(毛沢東)は晩年、過ちを犯した。特に文化大革命における錯誤は、党と国家、人民に多大な災難をもたらした」と発言。1981年6月27日の第11期六中全会において「建国以来の党の若干の歴史問題於ける決議」で、明確に文革を“指導者の錯誤の発動であり、反動集団に利用され党と国家、各民族、人民に深刻な災難となる内乱をもたらした”と性格付け、毛沢東を名指しで、“全面的に長時間の左傾による深刻な錯誤によって主要な責任を負うべきである”と批判したのだった。

 昨年秋の第19回党大会後に行われた教育重大改革の決定により、この鄧小平の歴史決議は否定され、毛沢東の完璧性を回復させ、文化大革命を肯定的に再評価された。中国共産党の“正史”が、この瞬間、書き換えられたといえよう。

中国においては歴史とは“正史”

 ここで中国における正史とはなにか、を改めて整理しておく。中国においては歴史とは正史であり、正史とは時の王朝、指導者の正統性を裏付けるものである。中国の王朝はたいてい農民蜂起や動乱でついえ、その後釜に座るものはもともと盗賊や下級の人間であったりする。だから、その新しい王朝の王は、自分がただのチンピラ出身の簒奪者でなく、天命によって誕生した正統なる指導者であることを裏付ける歴史を急いでつくる。中国の歴史学者たちは、この中国における正史には三つの特徴がある、と分析している。一つは新たな王は、自分がやってきた歴史の罪悪を隠蔽し、暗黒の血生臭い歴史的事実を人々の記憶から無くそうとする。二つ目に捏造と誇大によって自分のやってきた業績を喧伝する。三つ目は類似の事件があった場合、選択的に封殺したり宣伝に利用したりする。

 “共産党王朝”も実はよく似たことをやっており、たとえば中国共産党がやってきた血生臭い負の歴史、反右派運動、文革、天安門事件については隠蔽し、人々の記憶から消し去ろうとしている。また抗日戦争における共産党軍の活躍については捏造や誇大の宣伝を行い、虚構の英雄像を作り上げた。そして日本軍による“南京事件”と解放軍による“長春包囲戦”はともに国民党軍の守る都市で行われた無辜の市民を巻き込む大規模にして悲惨な歴史的戦闘であり、双方とも犠牲者の数も“30万人”とされているが、南京事件は“南京大虐殺”という日本軍の悪事として選択的に誇大宣伝し、解放軍の犯した長春包囲戦に関する歴史は封殺した。

 こういう共産党としての“正史”を作り上げることで、今の共産党が唯一無二の執政党として中国に君臨する正統性を裏付けることに成功した。おわかりのように“正史”は歴史的事実である必要はまったくない。時の王朝が自らの正統性を保つために作り上げるものなのだ。歴史とは歴史的事実を時系列に整理したものだと考えている日本人と、歴史とは権力の正統性を維持するために作り上げるものだとする中国人が歴史問題を語り合ったところで共通認識などもてるわけがないのだ。

 もうひとつ正史を作る上で重要なのは、自分の直前の王・指導者たちのやってきたことを過ちや罪として喧伝することで自分の権力の正しさを印象付けることである。

 “共産党王朝”は“日本のファシズム”を中国国内から駆逐し、腐敗にまみれた“蒋王朝”旧政権をやっつけたのだ、と喧伝することで、その正統性の根拠とした。共産党王朝の初代王の毛沢東は1935年の遵義会議でコミンテルンの支持を得ていた主流派を極左冒険主義と批判して、その過ちを認めさせることに成功したから、その後、絶大な権力基盤を築くことが可能となった。鄧小平がその地位を確立するには、“先代王”毛沢東に錯誤があったことを認めさせる必要があった。ただ、鄧小平の優れたところは、人民に対して「お腹いっぱい食べさせる」「豊かにする」「輝かしい未来」を約束できる力を、“共産党王朝”の権力の正統性の根拠の一つとして新たに位置づけることに成功したことだろう。

 そして今、習近平が新時代の王となるためには、鄧小平に過ちがあったと皆に認めさせる必要がある。習近平が反腐敗キャンペーンを旗印に掲げているのは、中国の腐敗が、鄧小平最大の功績とされる改革開放経済の副産物であったからであろう。毛沢東の文革における“錯誤”の表現を教科書で削除したのも、自分が毛沢東スタイルの権力掌握を目指しているということもあるかもしれないが、同時に鄧小平の歴史的決議自体が“錯誤”であったと認めさせたいからだ。習近平は鄧小平に過ちがあったということを皆に認めさせることで、自分が毛沢東の再来のように絶対的な独裁権力を掌握することの正統性を打ち立てたいわけだ。だが、鄧小平のように、共産党の正統性の根拠となる新たな位置づけ、価値観を見いだせてはいない。

再び暗黒時代に向かう可能性を示唆

 私個人の見方をいえば、鄧小平は確かに大きな“過ち”をしでかしたことがある。天安門事件で民主化要求の学生運動を“動乱”として武力鎮圧したことだ。習近平が、この鄧小平の過ちを指摘し、天安門事件を再評価できたならば、それが習近平の作った新たな“正史”であり、しかも鄧小平を超える新たな指導者としての価値観、正統性の根拠を打ち立てることができたかもしれない。だが、それは共産党体制の正統性を否定することにつながるだろう。習近平がそこに踏み込み、社会主義の限界を見極めて、選挙による指導者の選出という民主主義に舵を切ったならば、それこそ、習近平新時代の幕開けになったことだろう。

 習近平がロシアのプーチンやトルコのエルドアン以上の独裁者であっても、公平な選挙を経て選ばれた指導者に対して西側社会は否定できない。もちろん、そういう方向に舵を切るということは、中国が受ける痛みは相当強烈で、これにあえて挑戦しその痛みに耐えうる自信は習近平には、おそらく、なかった。だから習近平はそこに踏み込まず、自分がよく知りなじんでいる権力の象徴・毛沢東の亡霊を呼び戻すことによる権力掌握を目指した。だが、亡霊を召喚することで、この難しく複雑な国際化時代を14億人人口の国を導けると思うのなら、これは、完全に近代史の流れの読み間違いだと私は思う。もし、習近平政権の方向性を正しいと思って疑わないならば、それを中国的“正史”という虚構の歴史に騙され続けてきたために、歴史を鑑にして、未来を読み解くセンサーが狂っているのではないか、と思う。

 こうした背景を総じてみると、習近平政権の“新しい歴史教科書”問題は、中国が再び血生臭く野蛮な暗黒時代に向かう可能性を示唆している。国際化時代の今、毛沢東時代の文革とまったく同じ規模のものが起こるとは考えにくいが、一方でその悪影響はより広範に、国際市場や国際金融、そして国際社会の安定を左右するくらいに広がるかもしれない。

 だからこそ、歴史を多角的に、客観的に見て、歴史を鑑とできる人々が、そのリスクについて言及していかねばならないと思うのだ。 ちなみに、日本人は世界でも屈指の歴史好きの国民ではないか。一部で自虐史観から抜け出せない人たちもいるのだが、多様な歴史教科書、多様な歴史読本を己の好奇心のままに自由に読みあさり、異なる歴史認識をぶつけ合うことにタブーがない。歴史好きの若い女性が「歴女」などと呼ばれてブームを作り、歴史ドラマの時代考証に間違いがあれば視聴者から批判の投書がくるような国は珍しかろう。日本人には歴史を鑑として世界の未来を読み解く能力が実はあるのだと自負してほしい。

【新刊】習近平王朝の危険な野望 ―毛沢東・鄧小平を凌駕しようとする独裁者

 2017年10月に行われた中国共産党大会。政治局常務委員の7人“チャイナセブン”が発表されたが、新指導部入りが噂された陳敏爾、胡春華の名前はなかった。期待の若手ホープたちはなぜ漏れたのか。また、反腐敗キャンペーンで習近平の右腕として辣腕をふるった王岐山が外れたのはなぜか。ますます独裁の色を強める習近平の、日本と世界にとって危険な野望を明らかにする。
さくら舎 2018年1月18日刊

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