懐深く、欲深く。わたしを育てたカオスな街「新宿」

著者: 小野美由紀 

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この街を愛すると同時に憎んでると歌い上げたのはMSC、他の街を歩く資格がなかったから私この街が好きと囁くのは大森靖子。
歌謡の中の新宿には、どことなく陰鬱で後ろめたいイメージが常につきまとう。
だけどベイベー分かってる?それはただの歌舞伎町のイメージ、「殺し屋1」と「龍が如く」で描かれるマッド・バイオレンス・タウン。けど新宿ってそれだけじゃない、生も死も愛も夢も暮らしも非日常も仕事も自然も全部ぜんぶぜーんぶ包摂したカオティック・ファンタジー・ワールド、誰もが物質世界の快楽を追求するハイパー消費シティ。

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汚くってくさくって、綺麗で清潔で、きらびやかで淀んでて、ポップでお上品で、馬鹿で賢くて、そのどっちもある街、そのどっちにも属せない人間たちがそれでも居心地よく居られる街。全てがそろった東京のミニチュア、濃縮還元された「消費大国ニッポン」、生のごった煮、なんでもそろってなぁんにもない、最高に充実した虚無。

私がまだ卵子と精子だった33年前からずうっと見守ってくれてる、最高に最低で最愛のカオス。

羊水のような安心感

飴色の光が視界いっぱいでぐにゃりとたわんで、目が覚めたばかりの私は目をぱちぱちとさせる。途端に香ばしいバターの匂いが肺いっぱいに流れ込んで、ああ、どうやらここは安心できる場所らしいぞ、とうっとりする。鼓膜で柔らかくはじける、店員さんの快活な声。5歳の私は祖母に抱えられながら、伊勢丹の地下の食品街を歩いている。

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新宿の富久町に生まれ、5歳までを過ごした私にとって新宿は羊水のような街だ。
シングルで私を産んだ母に代わり、我が家の台所を司る祖母は毎日のように伊勢丹の地下食品売り場に通った。
さっき見た飴色の光の洪水は、売り場に並ぶ食品のショーケースに天井から降り注ぐ照明の光が反射して、こんがり焼けたパンの色が混ざったもの。
精密なつくりのケーキたち。弾けるオリーブオイルの匂い。つるりとした野菜たちは宝石のように輝いて、軽やかな揚げ物の香りが胃を底から押し上げる。そこにあるものすべてが人々の気を惹き、欲望を満たす。人混みより頭一つ飛び出た私に微笑みかける、店員さんの優雅な笑顔。

消費がもたらす快楽は幸福って名付けられて、とっても陳腐だけどそれが簡単に手に入ることの心地よさったらない。
母は「新宿ってスーパーがないでしょ、だから伊勢丹で買い物するしかなかったのよ」と言うけれど、頭から爪先まで、地下2階から8Fまで、全て同じ型で抜かれたように平凡なかたちの幸福が揃うこの場所は、私にとっては繭のように安心で、同時に家族の愛の象徴だった。

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新宿御苑もまた、心の原風景だ。
私の通う幼稚園には園庭がなかったため、保育士さんに手を引かれて新宿御苑に行き、原っぱで遊ぶのが日課だった。

秋の運動会も御苑で行われたが、かけっこが苦手な私には辛い行事で、徒競走を拒否して植物園の中に逃げ込み大人総出で探させたことは強く記憶に残っている。

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「正しい遊び方」を探した

やがて荻窪に越して一時的に縁は薄くなったけど、中学校で立派にぐれた私にとって、新宿は行き場のないときに身を隠す絶好の場所になった。
一生かかっても読みきれない量の本が溢れる「紀伊国屋書店」は、ふてくされた不登校児を何時間でも優しく受け入れてくれる森みたいな空間だったし、都庁の展望台から見下ろす平凡な街の景色は心を慰めてくれた。
今はTOHOシネマズがそびえ立つ、旧・コマ劇前広場のゲームセンターで「ダンスダンスレボリューション」と「クイズマジックアカデミー」、プリクラ「雪月花」をはしごしてから歌広場。コパボウルでボーリングして、飽きたらバッティングセンターに漫画喫茶。他校のギャルと一緒に足を踏み入れる歌舞伎町は刹那的で享楽的な大人の街で、キャッチやナンパや手相占いをかわしながら、いつかこの街の正しい遊び方が分かるのかな、と思うとたまらなくドキドキした。
大学に入り、日吉に越してからもなんとなく渋谷の水が合わず、通うのは相変わらず新宿だった。

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伊勢丹2Fのお洋服売り場で買い物ができるようになったときはうれしかったし、1Fのジュエリー売り場で初めて付き合った彼氏に指輪を買ってもらったときには「私ってマジで平凡だな」と思いながらもそれ以上にうれしかった。

劇作家兼役者の男と付き合ったときは「シアターサンモール」や「サニーサイドシアター」に通いつめ、舞台の上を全裸で駆け回る彼を見ながら周囲の追っかけ女子に(”あれ"は”私の"だからね!)と対抗心を燃やしまくり、知識人ぶるおじさんにマウンティングされるからゴールデン街には近づかないほうがいいんだな、って気づいたのもこのころだった。
パークハイアットの52階から夜景を見下ろしては「男が女に見せたがる景色ってすげー陳腐だな、小さいころに遊んだニューオータニの庭の方がずっといいな」って思ったし、歌舞伎町の「バーはな」で男友達の彼女からなぜか浮気を疑われてウイスキーグラスでぶん殴られたときには「私、まじで場末感ハンパなくてダサいな」とニューハーフのお姉さんに氷をもらって頰を冷やしながら絶望した。

やがて私を可愛がってくれた祖母は新宿5丁目のタワー型墓地に埋葬され、3200pixelのデジタル遺影になり、大学を卒業した私は富ヶ谷、本郷3丁目、茅場町、代々木上原……と住まいを変えたけど、なんだかんだで新宿通いは続いている。新宿の街は私にとって、切っても切り離せない心臓みたいなものだ。

おいしい老舗のそろう街

性と食は隣接する。歓楽街を包摂するこの街には、美味しい老舗が溢れている。

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新宿3丁目の「鼎」の和食は、無骨な内装にもかかわらず五臓六腑に染み渡る滋味深い味わいだし、フレンチビストロ「クレッソニエール」は予約不可なので開店と同時に並ばないといけないけれど、オーソドックスかつシンプルなフレンチを昼時にはなんと1000円でお腹いっぱいに食べさせてくれる。

四川料理「花彫酒家」の名物麻婆豆腐はピリ辛具合がザ・本場だし、すぐに売り切れるため予約時に注文しなければいけない小籠包も負けないくらい美味しい。
夜が更けてからはアフリカン・バー「barBaobab」でラムを片手にアフリカ珍味をつまむのもいいし、「エゾキエ」の薄暗い店内でナイジェリア人の店長がつくる正統派ナイジェリア料理に舌鼓を打つのもいい。

正当派といえば創業50年を越える超有名店「サントリーラウンジ・イーグル」。きらめくシャンデリアの下、重厚な木のカウンターでロマンスグレイのバーテンダーにフルーツカクテルをつくってもらえば、バブルのころのいい女、になった気分で心が踊る。

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迷宮のような地下道の入り口にある「ベルク」のホットドッグは小腹をいつでも満たしてくれる盟友だし、景気付けに美味いもん食いたい!なーんも店の候補ないけど!ってときにはなんだかんだで「天ぷらつな八・本店」のフルコース。ちょっぴりくたびれた、けど老舗らしい店の佇まいとともに心を潤してくれる。

外国人の友達を連れて行くとだいたい喜ばれる「ラーメン凪」、ゴールデン街のざわめきを超え、奥へと進むと女体のように艶やかな花園神社がそびえ立つ。宵闇に浮かび上がる血の色をした御本尊は都内の神社1セクシーで、女の神様が気まぐれに願いを叶えてくれそうだから、初詣は今でも毎年必ずここへ行く(芸事の神様だし)。

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また新宿は映画の街でもある。

TOHOシネマズや応援上映の聖地バルト9、ピカデリーといった大型シネプレックスに加え、単館系も充実。
韓国の良質なフィルム・ノワールを上映するシネマート、小粒でも味わい深い映画を厳選して流すシネマカリテ。
自著の校了明け、ハイになった頭で深夜にバルト9で3本はしごしたあとには、ゴミとカラスだらけになった明け方の街の景色も輝いて見える。

お尻が落ち着く「純喫茶」

新宿と言えば外せないのが純喫茶である。
編集者さんとの打ち合わせも、ゴッタ煮的な環境の方が安心して話がはずむ。銀座だとそうは行かない。なんだかお尻が落ち着かない。私って庶民だな、と痛感する。
正統派の老舗喫茶店、「西武」に「らんぶる」、「喫茶集」。古いステンドグラスに見下ろされ、アンティークランプの光溢れる暗い店内、聞こえてくるのは怪しげなビジネスの勧誘、スピリチュアルな占い、片方だけがヒートアップする別れ話、パパ活の金額交渉(最近、本当に多い!)。紀伊国屋で買った本を読むふりをしながらそれらに耳を傾けるのも楽しい。皆、さまざまな欲望に駆られて精一杯に生きている。そのことに、しみじみと感動する。

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打ち合わせに脳を腫らして喫茶店を出れば、「笑っていいとも!」が放送されていたころ、マスクをつけた堂本剛、浜崎あゆみとすれ違ったアルタ前。ハイビジョンのCM音と、右翼の街宣車とキリスト教の説教とバーニラバニラバーニラ求人♪の歌声とがないまぜになり、吐瀉物の竜巻のごとく一体化してヨドバシカメラとマツキヨに挟まれた灰色の空に抜けてゆく。

ああ、新宿が好きだ。
オフィス街のお行儀の良さも、歌舞伎町のわい雑さも、伊勢丹の絢爛さも、御苑の平穏も、新宿通りの無国籍で無機質で、どこにも行けそうで行けなくて、何もかも手に入りそうで何も手に入らない風景も。
好きだ、
好きだ、
大好きだ。

絶景は路上に

街が人の人生をつくり、人が街を血肉とするなら、間違いなく私は新宿に生まれて正解だ。
母は女手一つで(と言いつつ祖母の多大なる助力を借りて)私を育ててくれたけど、彼女がなぜこの街を選んだのか分かる気がする。
この街はあらゆるものを包摂してくれるからだ。

汚いものも、綺麗なものも、
聖も死も生も性も、
悪いのも、良いものも、
よそ者も、ここでしか生きられない人も、
あらゆる人のあり方を、全部全部、受け止めてくれる。

そんな懐深い街の中央を走る、新宿通りの午後はなんだかんだで清々しくて眩しい。

日曜の晴れた日、歩行者天国の最中に通りの真ん中に立って御苑の方角を向く。そのときに見える、あの割れるように蒼い空を私は全ての人に見て欲しい。
きっと新宿という街が、大大大好きになるに違いないから。

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筆者:小野美由紀

小野美由紀

文筆家。著書に銭湯を舞台にした青春小説「メゾン刻の湯」(2017.2)「傷口から人生。メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」(幻冬舎文庫、2015年2月10日発売)絵本「ひかりのりゅう」(絵本塾出版、2014)など。創作WS「身体を使って書くクリエイティブライティング講座」(https://note.mu/onomiyuki/n/nb0b15376bd3f) を毎月各地で開催している。

 

編集:ツドイ