Yahoo!ニュース

宇佐美貴史と「行ってるやん」の絶壁

清水英斗サッカーライター
キリンチャレンジカップ、ガーナ戦に先発した宇佐美貴史(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

ロシアワールドカップへ挑む、サッカー日本代表23人が発表されました。この記事では、新著『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』の評伝から、宇佐美貴史選手の項を抜粋し、公開します。

日本サッカー史上類を見ない天才が、ワールドクラスに突き抜けるための『壁』は、どこにあるのでしょうか―。

書籍『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』

「行ってるやん」の絶壁

「ウサミ、行け! 行け!  行け!」

 「……(いや、行ってるやん!)」

 行け、と、行ってるやんの溝は、想像以上に深い。

 2011年にドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍した宇佐美だが、トップクラブでは出場機会が訪れず、翌シーズンは地方のホッフェンハイムへ移った。バイエルンとは違い、残留を目指すホッフェンハイムでは、何はなくとも、まずは守備、守備、守備から。しっかりと守って、カウンターに走って、ダメだったら、また守備に戻る。

 宇佐美の対面の相手がボールを持ったとき、監督からは必ずゲキが飛んだそうだ。「ウサミ、行け!」と。ドイツサッカーは球際にアグレッシブで、運動量が多いことで知られる。ボールに激しく寄せることが厳命され、宇佐美もプレスに行くのだが、なぜか背中からのゲキが止まない。「ウサミ、行け! 行け!」と。

 「いや、行ってるやん!」

 当時の宇佐美は、そう感じながらプレーしていたそうだ。なぜ、このようなすれ違いが起きたのか? それは、日本とドイツの守備の違いに起因する。日本では「抜かれるな!」と指導されることが多い。球際に飛び込んで、かわされたら、それは大きなミス。「一発で行くな!」と叱責され、ボールを持った相手に近づいたら、その手前で一旦止まり、間合いを保つ守備を仕込まれる。抜かれなければOKだ。

 ところが、ドイツは違う。そもそも、間合いを保って相手に何の重圧も与えないようなプレーを“守備”とは呼ばない。ドイツでは、ボールを奪ってこそ守備だ。身体ごと球際に飛び込んで、ボールを奪わなければならない。相手が快適で、自由にボールを持っていたら、お前は何もしていないのと一緒だ、と。

 だからこそ宇佐美は、いつまでも「行け!」と叱責された。本人は「行ってるやん!」と、不満を抱えながら。

「行ってるやん」で停滞

 Jリーガーの球際のゆるさに対する指摘は、日本代表の監督だったハリルホジッチも、しつこく言い続けてきた。しかし、そのアラームが本当の意味で響いた選手は、それほど多くはない。2016年1月にFC東京から、オランダのフィテッセへ移籍した太田宏介は、現地のサッカーに肌で触れ、初めてJリーグの激しさとは根本的に違うことを実感したそうだ。そして「ハリルさんが口酸っぱく言っていた本当の意味がわかった」と認めている。

 28歳の太田だからこそ、客観的に自分を見つめ直したが、19歳でドイツに挑戦した宇佐美は、「行ってるやん」のまま、変わることを拒否した。そこで成長が停滞し、Jリーグに帰ってきたが、その後もザッケローニやアギーレから招集の声はかからず。ようやく23歳になり、ハリルホジッチから継続的に呼ばれるようになった。

 現在の宇佐美にはハリルホジッチのアラームが響いた様子があり、守備の姿勢にも変化が見られる。少なくとも以前とは見違えるよう。しかし、彼本来の才能から言えば、このタイミングでの代表定着は遅すぎるくらいだ。バイエルンやホッフェンハイム時代にも、本人が変わるチャンスはあったが、結局、ここまで時間がかかってしまった。

どうすれば若い才能に響く?

 岡崎慎司や本田圭佑のようなタイプは、自分を客観的に振り返る。たとえば、レスターが奇跡のリーグ優勝にまい進していたシーズンの終盤、現地メディアから岡崎の献身的なディフェンスを褒め称える記事が多く出されたが、岡崎本人はあっけらかんと言い放った。

 「正直、ピンと来ない。ハードワークとか献身性とか、そんなことを褒められている状況がいちばん危ない」

 このコメントには脱帽した。ゴールを挙げて試合を決めたストライカーこそが、いちばんの功労者であり、自分のプレーはそこに達していないと。周囲から称賛されても意に介せず、自分を引き締める岡崎はさすがだ。彼の口から、「行ってるやん」は出てこない。もし、そのような指摘を受けたら、「俺は行けているのか? 丸くなっていないか?」と自問自答するはず。

 しかし、岡崎のようなメンタルモンスターは少数派だ。「行ってるやん」の絶壁を作ってしまう人の意識を、どうすれば切り崩すことができるのか?

 その点でハリルホジッチがうまかったと思うのは、選手の「行ってるやん」に対し、「行けてないやん!」を“見える化”したことだ。指示やダメ出しの根拠を、徹底的に突きつけた。

 たとえば、一時話題となった体脂肪率だが、世界基準が12%以内と提示した上で、いかにJリーガーのフィジカルの準備が足りていないのかを、数字で示した。さらに細かいプレーの修正指示も、本人の映像をたくさん見せた上で、どこに問題があるのかを一つ一つ検証して説明し、ディスカッションに時間をかける。そこまで証拠を突きつけられたら、「行ってるやん」で言い張るのは不可能だ。ハリルホジッチは、選手の逃げ道をすべて断つ。

 湘南ベルマーレのチョウ・キジェ監督は、最近の若い選手を指導する上で、データや数字を使って見える化することが、必要不可欠になったと感じているそうだ。以前、著者が行ったインタビューで次のように語っていた。

 「最近の若い選手は、目に見えるものしか信じない。多角的に考えを巡らせたり、想像するという習慣が、明らかに僕らの世代よりも減った。だけどその分、目に見えるデータは、今の若い世代にはバッチリ入ります。選手の受け取り方が変わる。データを使えないと、これからのチームは伸びない。口でイメージを言って自己的に考えてもらうとか、もう、そんな時代ではない」

 宇佐美に限らず、若くして天才扱いされた日本の選手は、総じて伸び悩んできた。彼らが作り出す「行ってるやん」「やってるやん」の絶壁を、いかに切り崩し、成長を促すか。選手の才能を愛するハリルホジッチの手法から、我々が学ぶことは多い。

(2016年ヤングチャンピオン13号掲載)

書籍『アホが勝ち組、利口は負け組 サッカー日本代表進化論』

サッカーライター

1979年12月1日生まれ、岐阜県下呂市出身。プレーヤー目線で試合を切り取るサッカーライター。新著『サッカー観戦力 プロでも見落とすワンランク上の視点』『サッカーは監督で決まる リーダーたちの統率術』。既刊は「サッカーDF&GK練習メニュー100」「居酒屋サッカー論」など。現在も週に1回はボールを蹴っており、海外取材に出かけた際には現地の人たちとサッカーを通じて触れ合うのが最大の楽しみとなっている。

清水英斗の最近の記事