語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【野口悠起雄】事業の成功確率と文学 ~『アンナ・カレーニナ』に係る三つの法則~

2017年12月09日 | ●野口悠紀雄
 (1)ブロックチェーンを用いてどんな事業をやれば成功するだろうか?
 人工知能の時代に成功するのはどんな人材か?
 これらの質問に答えるのは難しい。なぜなら、成功するには、多数の条件を満たさねばならないからだ。

 (2)トルストイ『アンナ・カレーニナ』の冒頭に、「幸せな家庭は皆同じだが、不幸な家庭はさまざまに不幸だ」とある。
 なぜそうなるかをトルストイは説明していないが、ジャレド・ダイアモンドが『銃・病原菌・鉄(上)-- 1万3000年にわたる人類史の謎』(草思社、2010年)の中で説明している。
 家庭が幸せになるには、夫婦の金銭感覚や宗教観など、複数の考えが一致する必要があり、これら全てが一致していれば「どれも似たもの」になる、というのだ。
 ダイアモンドは、これを「アンナ・カレーニナの法則(原則)」と呼んだ。そしてこれを家畜に応用し、「家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである」とした。家畜化できるには、群れで暮らす、比較的早く育つ、肉食でない、気性が荒くないなど、複数の条件が必要だからだ。

 (3)ところで、ダイアモンドは、「家畜化された動物は、家畜化されなかった動物よりはるかに少ない」とも言っている。ダイアモンドは明確に意識していないようだが、これは、「似ている」というトルストイの命題とは違う。ダイアモンドの議論は、「家畜が似ている」ことより、「数が少ない」ことに重点がある。
 両者で結論が異なる原因は、成功の要因をコントロールできるかどうかだ。
 結婚の場合には、ランダムに相手を選ぶのではなく、同じような考えを持つ人を選んで結婚する可能性が高い。つまり、状況をかなりコントロールできる。だから、不幸な家庭が幸せな家庭より多いとは、必ずしもいえない。
 それに対して家畜の場合には、多くの条件は所与であってコントロールできない。だから、家畜化できない動物はたくさんいるが、家畜化できたものはまれなのだ。
 先の命題は、家庭の幸福に関する命題とは別のものである。これを「アンナ・カレーニナの第2法則」と呼ぶことにしよう。

 (3)家畜化以外にこの法則が当てはまるのは、事業の成功度だ。
 事業の成功は、さまざまな要因に依存しており、それらの中にはコントロールできないものも、不確実なものも多い。それらの条件の一つを満たせないだけで、事業は失敗する。だから、失敗は簡単で、失敗する事業はたくさんある。実際、スタートアップ企業の9割は失敗するといわれる。
 それに対して、事業が成功するには、多数ある成功の条件を全て満たさなければならない。だから、成功する事業はごくまれである。

 (4)もう少し厳密に言えば、次の通りだ。
 今、成功の必要条件は、A、B、Cの全てが成立することだとしよう。これが真であれば、その対偶命題も真だ。すなわち、失敗の十分条件は、A、B、Cの少なくとも一つが成立しないことだ。
 ここで、A、B、Cは独立事象であり、それらの生起確率は、a、b、cであるとしよう。すると、成功の確率はabcだ。もしa、b、cの少なくとも一つが0.5未満なら、これは失敗の確率1-abcより小さくなる。

 (5)人と違うことをすれば、どんな事業も成功するだろうか?
 そんなことはない。カリフォルニア・ゴールドラッシュでの最高の成功者はブルージーンズを発明したリーバイ・ストラウスだといわれるが、ブルージーンズの成功には、布地が丈夫であること、リベットで補強したこと、インディゴブルーを使ったこと等々が寄与している。マイナーの要求に応えたとか、みんなと同じことをしなかったというのは、必要条件だが、十分条件ではないのだ。

 (6)現代の事業もそうだ。アップルの場合は、iPhoneという革新的なデバイスと世界的水平分業の両方が必要だ。どちらかだけでは、時価総額世界一という大成功はない。
 グーグルもそうだ。検索エンジンと新しい仕組みの広告の、どちらか一つだけでは成功しない。
 一つだけ優れたものを持っていて失敗した例は山ほどある。スマートフォンの原型はブラックベリー社のものだが、iPhoneに敗退した。グーグル以前にも以後にもたくさんの検索エンジンが作られたが、それらのほとんどは消滅した。

 (7)第2法則は、さらに次のように展開できる。
 失敗の条件が一つ成立すれば、失敗してしまう。だから、失敗の例を示すのは簡単だ。
 それに対して、成功には幾つもの条件が満たされる必要がある。それら全てを列挙するのは極めて難しい。よって、ビジネスについて、
 「失敗事例を示すことは簡単だが、成功の法則を示すことは難しい」
 もう少し正確に言うと、「失敗の十分条件は簡単に示せる。しかし、成功の十分条件を示すのは極めて難しい。多くの場合、成功について示せるのは、必要条件だけだ」。
 これを「アンナ・カレーニナの第3法則」と呼ぶことにしよう。

 (8)(1)で回答が難しかったのは、第3法則のためだ。
 この系として、次の命題が導ける。
 「『こうすれば失敗する』とは言えるが、『こうすれば成功する』は、ほとんどの場合、眉唾だ」
 〈例〉「日本軍はなぜ失敗したか?」「東芝はなぜ失敗したか?」等は、学問的研究の対象になる。しかし、それをいくら勉強したところで、成功するわけでない。同じ失敗を回避できるだけのことだ。失敗の研究書を読めば成功できるように思うのは、錯覚にすぎない。

 (9)ここで注意していただきたいのだが、「だから、挑戦しなくてよい」わけではない。なぜなら、挑戦なくして成功はないからだ。
 さまざまなことを試み、それをマーケットが評価する。そのプロセスをくぐり抜けて生き残った者が成功者だ。社会が進歩するには、それしか方法はない。
 政府が成長戦略のビジョンを示したところで、それに従えば成功するわけではない。では、政府がスタートアップを補助すればよいのか? それでは、モラルハザードを引き起こすだけのことだろう。

 (10)ところで、日本で起業が少ないのは、日本人が安全志向だからだといわれる。しかし、リスク回避性向が日本人の生来の性格かといえば、そんなことはない。
 新事業は失敗する可能性が高いので、失敗した場合の救済策が必要であり、そのためには、組織間の人材の流動性が必要だ。日本社会にはそれが不十分なので、安全志向になるのだ。
 ダイアモンドは、次のように指摘する。
 「歴史は、異なる人びとによって異なる経路をたどったが、それは、人びとのおかれた環境の差異によるものであって、人びとの生物学的な差異によるものではない」
 今の場合にも、それが当てはまる。社会の成功を決めるのは、人々の性格ではなく、社会の制度である。

□野口悠紀雄「『アンナ・カレーニナ』と事業の成功確率の関係 ~「超」整理日記No.884~」(「週刊ダイヤモンド」2017年12月9日号)
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