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 久々の連載では「街の中心」が時代の変化によってどう動いていくかを観察する、というテーマでお話ししてきました。

 2018年7月1日まで、横浜都市発展記念館では企画展「伸びる鉄道、広がる道路 横浜を巡る鉄道網」(企画展示案内はこちら)が開催されています。横浜駅の移転や、首都圏の都市化の拡がりに応じて鉄道や道路がどう変化してきたかが見て取れる内容になっています。時に整備が追いつかず、交通量ばかりが増えて渋滞していることが分かる写真もあります。それだけ時代の変化が急激だったことを物語っています。

 今回は、この展示にヒントを得て、横浜の街の不思議を紐解く鍵をお届けします。

こんなところに、賑わう商店街が?

 横浜には生活感漂う、賑わう商店街が何カ所かあります。関内? 伊勢佐木町? いえいえ。もちろん横浜駅でも、みなとみらいでもなく、意外な場所にあるのです。

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 名前を挙げれば、松原、弘明寺、六角橋などです。え、聞いたことがない? そうですよね。地元の人しかほぼ縁がなく、しかも、中心部とも郊外とも言えないところに立地しています。なぜそうなったのか、猛烈に興味をそそられます。まずはその様子を見てみましょう。

松原(商店街)
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 いくつもの生鮮食料品店がしのぎを削り、その安さから多くの人が押し寄せるのが松原商店街(正式には洪福寺松原商店街)。最寄り駅の相鉄線天王町駅から5分少々の所にあります。つまり、駅前ではない場所に賑わう商店街が広がっているのです。

 特徴的なのは、ほとんどが食料品を扱う個人店で占められており、チェーン店はまったくといっていいほど見当たらないこと。非常に古風な商店街の様相です。しかし、さらに驚きなのは、全国の商店街の建物が老朽化し、店員が高齢化する中で、ここには若い店員が多いこと、店によっては新築されている店もあることで、厳しい競争に晒されつつも店の経営は順調であることがうかがえます。

六角橋
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 六角橋商店街は、東急東横線白楽駅と六角橋交差点の間に広がる商店街で、大通り……といっても車がやっと通れるほどの通り沿いの商店街と、歩行者専用でアーケードとなっている仲見世の2つの通りがあり、特に仲見世はおそらく50年はその様相を変えていないような古い店舗から個性的な新しい店舗まで混在しています。

 そして、グルメの街でもあります。「一部の人に理解される」という妙な標語がキャッチーなパキスタンカレー店の「サリサリカリー」や、蒸されることが多い小籠包を焼いた「六角橋焼小龍包」は、そのユニークさもさることながら絶品の美味しさです。

弘明寺
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 弘明寺商店街は、京急線弘明寺駅と横浜市営地下鉄弘明寺駅の間に広がるアーケード型の商店街で、新しいチェーン店と古くからの個人店が混在し、老若男女を集めています。

 松原商店街のように生鮮品に偏ることもなく、六角橋のように古くからの店舗と個性的な新店舗の強いコントラストがあるわけでもなく、なんといいますか、比較的“丸く収まっている”商店街といえるでしょう。

古い地図から見えてくる秘密

 さて、何故こういった商店街がとりわけ賑わっているのか、考えると少々謎です。

 最寄り駅はどこも各駅停車しか止まらない駅で、松原商店街に至っては駅前ですらありません。首都圏や京阪神等の大都市圏では、鉄道の影響力が強く、駅前こそ最も人が集まるといっても過言ではありませんが、その影響力とは関係なさそうです。

 「洪福寺」「弘明寺」という名前からもわかるように、寺院があったことで、参詣者の行き来が多かったことも考えられますし、その他にも、以前主要街道沿いだったこともあるかもしれません(洪福寺松原商店街は旧東海道、六角橋商店街は旧綱島街道、弘明寺商店街は鎌倉街道沿い)。

 しかし、横浜都市発展記念館にあった横浜市電の古い路線図を見ると、意外なことが見えてきます。洪福寺、六角橋、弘明寺ともに、それぞれ路面電車の終点であることがわかります。

 路面電車は自動車交通の増加によって次々と廃止されますが、それ以前は都市交通の主役を担っていました。つまりは路面電車が走っている範囲は、自動車が普及する前、高度成長前の市街地の範囲に相当します。これより外側は、高度成長とともに都市化したエリアで、都市化とともにスーパーや大型店が出店したため、個人店中心の商店街は発達しにくい状況になります。

 路面電車の終点は、途中停留所に比べると、終点より奥の広いエリアに住む人が徒歩で来ることで多くの人が集まった、とも考えられますが、真相は定かではありません。神戸の板宿本通商店街も以前の路面電車の終点で、現役の路面電車だと、都電荒川線の終点、三ノ輪橋電停前にも、長崎電気軌道の終点、赤迫電停付近にも商店街が広がっています(もちろん賑わうのは終点だけではありません、横浜では大口通商店街、神戸では水道筋商店街は、以前の路面電車沿線ではありつつも、終点ではなく途中停留所の付近にあります)。

 このように、今の商店街の賑わいの鍵を紐解くと、数十年前の都市の範囲や交通網にヒントが隠されている場合があります。

 横浜市都市発展記念館ではWeb「横浜歴史情報マップ」を用意していますが、特に昭和戦前期の地図や主要な施設リスト、写真が閲覧できます。とりわけ興味深いのは昭和戦前期の伊勢佐木町の彩色写真です。「眼下に眺むる吉田橋と伊勢佐木町通り」と「歓楽の巷伊勢佐木町通り[寿百貨店付近]」の絵葉書を見てみましょう。

 現在の歓楽街というイメージからは想像しにくいですが、当時は多くの百貨店や専門店が並ぶ、よそ行きの街だった雰囲気が読み解けます。さて、今後はどのように変わっていくのでしょうか。

新たな文化の担い手は、発展の影に潜む古い街

 最近では「東京では東側がアツい」と言われます。そして大阪市内でも似た動きがあります。最近若者に人気の街といわれる堀江、中崎町、空堀。これらは、バブル前後はほとんど注目されなかった街でした。

 地価で比較すれば東京では今でも西側のほうが地価は高いし、ブランド店が西側から東側に移ってくることも今の所なく、大阪のこうした街も、大規模な再開発どころか、小規模な個人店が軒を連ねるのみです。今回注目してきた「街の中心」が、東京の東側や大阪の堀江、中崎町に移動するかというと、さすがに難しいと思えます。

 それでも「古い街」が人気が再燃するのは面白い現象です。築年数の古い建物が多く、空室も目立つという悪条件や地価の安さは、自由な試行錯誤が可能な余地でもあり、こうした条件を活かした小さなリノベーションが生まれやすい。地価が高く、建物がすぐに満室になるような中心地ではできない発想が具体化し、その面白さが人を呼び込むのです。

野毛~日ノ出町
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 野毛は近年はしご酒スポットになっている、と前述しましたが、それは今に始まったことではありません。とりわけ都橋商店街は、狭小居酒屋が密集するビルで、長らくオヤジが集まる場末の酒場のイメージでした。ところが、近年は新規開店と若年女性の来店の流れが生まれ、イメージが変化しています。

アートをきっかけに「わざわざいく街」に

 日ノ出町駅から坂を登った高台の住宅にも新たな動きがありました。一軒家をリノベーションしたコミュニティスペース「CASACO」は、学びの場、イベントスペース、留学生のホームステイ先として、多様な人々が集う場づくりを始めています。

日ノ出町~黄金町
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 京急線の黄金町駅と日ノ出町駅間の鉄道高架沿いは、以前は違法な風俗店が軒を連ねていましたが、摘発と24時間の監視で全店舗が廃業となり、街はもぬけの殻となります。その余地に入ってきたのがアートです。

 2008年から毎年アートイベント「黄金町バザール」が開かれ、イベント期間でなくても営業しているのが「黄金町アートブックバザール」(最寄り駅は日ノ出町駅)。アート、デザイン、建築関連の古書を扱う書店です。京急線の高架下は、以前違法風俗店があった場所でもあり、黄金町の変化を象徴する場所です。まだまだ空き店舗は多いものの、街全体が、全く異なる雰囲気になり、それに合わせて客層も劇的に変わっています。

自分で探そう、街の動態変化

寿町
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 寿町は日雇い労働者の多い街で、一般客にはこれまで足を運ぶことはまずない場所でしたが、やはり大きな転機がありました。2005年に「ヨコハマホステルヴィレッジ」がオープンし、ドヤ街だからこそできる安い宿泊費が魅力となって、国内外のバックパッカーを中心とした旅行者が多く訪れる宿泊施設となっています。そこに折からのインバウンドがあり、世界中の旅行者が足を運ぶ場所へと変化しているのです。

 古い街、とりわけ、従来は忌避され、あるいは人の往来が減った街に、観光やアート、リノベーションで再興を図る例は、世界中でもよく知られています。既に起こった変化は、それこそ本や記事でも学ぶことが出来ますので、今起こりつつある変化やこれから起こる変化の予兆を、自分で探してみるほうが面白いでしょう。

 ヒントは、以前中心性がある街だったことや、古くて空いた建物が多いこと、何かしらの課題を抱えていること(変化の動機があること)。同時にこうした変化を地域コミュニティや物件の持ち主が志向することも、条件となるでしょう。こうした地域を見定めたり、再興の際のコンセプトを定めるためにも、過去の資料を今と重ねて見ることで得られるヒントは多々あります。

 地図や写真を見て想像を巡らせるのも一興ですが、実際にいくつかの街に行き、その姿や印象を比べ、その違いを探求するのもまた一興です。是非、あなたの街でも、過去の資料や地図と今の姿、小さな変化やそこと似た街との比較を重ねてみてください。愛する場所の、この先の変化の萌芽が見えてくるのではないでしょうか。

 今回で短期連載は終了です。たくさんの方にお読みいただけて、今和泉さんもたいへんモチベーションが上がったご様子です。ありがとうございました。次回の“地理人”の登場にどうぞご期待下さい!

(担当編集Y)

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