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あの「太陽の塔」の中に 入れますよ!

こんにちは、ほぼ日のスガノです。
先日、糸井重里と、
岡本太郎記念館館長である平野暁臣さんといっしょに、
岡本太郎さんの代表的な作品
「太陽の塔」を観に、
大阪の万博記念公園までいってきました。

みなさん、「太陽の塔」の内部が
新しくなって公開されていること、ご存知ですか? 
そもそもあの塔が、中に人が入れる
「パビリオンのひとつだった」ということは、
いまやあまり知られていないのかもしれません。

6月18日に大阪で震災があり、
塔のそばを走る大阪モノレールも影響を受け、
「太陽の塔」の観覧営業も一時中止となっていましたが、
「太陽の塔」そのものは被害がなく、
6月21日に公開を再開したそうです。

「太陽の塔」は、1970年に開催された
アジア初の万国博覧会である大阪万博の
メインゲート近くに、
芸術家である岡本太郎さんの作品として
建設された塔です。
6421万もの人びとが訪れたこの万博のテーマは
「人類の進歩と調和」でした。
1964年の東京オリンピックと並び、
第2次世界大戦後の日本で
最大のイベントだといわれています。

塔の高さは70m、腕の長さは25m。
実際に観ると、かなり巨大で圧倒されます。
もしこの「太陽の塔」を
生でごらんになったことがなかったら、
ほんとうにぜひ、いちど訪れてみてください。
世界じゅうさがしても、さまざまな意味で、
こんな作品はないと思います。

「太陽の塔」は、おなかと頭頂と背中に
3つの「顔」を持っています。
おなかの顔が「現在」を、
頂部の顔は「未来」を、そして
背中の顔は「過去」をあらわしていると言われます。

大阪万博が閉幕したあと、
ほとんどのパビリオンが撤去・廃棄されましたが
「太陽の塔」はそのまま、
ここに立ちつづけることになりました。
しかし、当時の人々が見て回ったという
「内部展示」の扉は、
半世紀にわたって閉ざされ、
手つかずのままになっていました。

しかし今年2018年、内部展示の
「生命の樹」が改築されて、
常設展として生まれ変わりました。

では、その「太陽の塔」の中に
入ってみることにしましょう!

中に入ると、まず導入として、
「太陽の塔」の初期段階のアイデアがよくわかる、
岡本太郎さんによるラフスケッチが
当時の日付つきで展示されています。

これを見ると「太陽の塔」は、
最初から彫像として発案されたのではなく、
上階の大屋根プラザまで人々を運ぶための
「動線」として考えられたことが
よくわかります。

また、「塔」としてのデザインの手前に、
「樹」の発想があったことも判明します。
この「樹」が最終的に「塔」の内部に
入り込むことになった、ということでしょうか。

そして、「生命の樹」に辿り着く前に
私たちを迎えてくれるのは、
万博開催後に行方不明になり、
このたび復元された「地底の太陽」です。
この顔が、もしかしたら
「太陽の塔」の4つめの「顔」なのかもしれませんね。

岡本太郎さんは、この地底の世界に
世界中から集めた仮面や神像を展示していました。
「人類の進歩と調和」という
いっけん未来的なテーマの万博に、
根源的で呪術的な展示はミスマッチだという評価も、
当時はあったようです。

この「地底の太陽」の世界を経て、
「太陽の塔」の内部展示オブジェである
「生命の樹」ゾーンに入ります。

あああ‥‥!

おおおお‥‥‥!
やっぱり、すごい。

これが、上へとのびる41メートルの巨大造形、
「生命の樹」です。
根もとには単細胞生物がいて、
そこから貝類、魚類がふきだし、
恐竜、マンモス、ゴリラ、猿もいます。
33種のいきものが、
同じ1本の樹の幹を這ったり、
枝からぶら下がったりしています。
てっぺんには、
ネアンデルタール人とクロマニヨン人が
ちいさく見えます。

1970年当時の人々は、
エスカレーターに乗ってこの展示を眺めたのですが、
現代の我々は、階段を昇りながら観ます。
(これは、塔自体を軽くするための改変だそうです)

では、「生命の樹」の細部を、
もうすこし観てみましょう。

これが、岡本太郎さんが重視した
単細胞生物の大きなアメーバです。

そこからぐんと先の樹の上にいるのは、
いきいきした恐竜たち。
改修されて、きれいになっています。

そしてこれは、
当時の姿のまま残るゴリラです。

ゴリラの顔の毛が欠けているのがわかりますか? 
どうやら機械じかけになっているようなので、
当時は、ゴリラの顎が動いたのかもしれません。

耐震工事を含めて、
内部のほとんどの造形物は改修され、
照明も演出も現代のものになっているのに、
ゴリラだけはそのまま。なぜでしょう。
案内くださった平野暁臣さんは、
「この空間が持っている時間を、
なにかであらわしたかったからです」
と教えてくださいました。

この展示を観て、糸井重里は
「プロデューサーとしての岡本太郎をつくづく感じます」
と言っていました。

人びとが歩くための動線のパビリオンの設計が、
最終的にはこんな作品になるということを、
誰が予想できたでしょうか。
万博のテーマだった「人類の進歩と調和」に
真正面からいどんだこの強烈な作品は、
その後ずっと、いまに至るまで、
大阪万博の印象を一手に支えつづけることになりました。

華やかな大阪万博が終わり、
数々のパビリオンが取り壊されたにもかかわらず、
「太陽の塔」はそのまま残りました。
平野さんはこうおっしゃいます。
「おそらくほかの施設は、
いわば合理的で、説明的なものだった。
でも、『太陽の塔』はそうじゃなかった。
誰もこの存在を説明できないのです。
だからこそ、残ったのかもしれません」

さてみなさん、
ここが「太陽の塔」のどの部分なのか
わかりますか?

ここです、腕です。

これは、腕のつけ根から先端を
内側から見ている状態です。
塔の構造は、ものすごく入り組んだ
「鉄の骨組み」であることがわかります。
もしかしたら、当時の造船の技術などが
駆使されていたのかもしれません。

糸井は、特別に許可をいただいて
この「腕」の部分の内部に
入らせていただきました。

1970年の万博開催時は、
この腕の先までエスカレーターが通じていて、
そこから人々が大屋根プラザに降り立つ設計に
なっていたのだそうです。
この腕の部分を見るだけで、
ほんとうに気が遠くなりそうなほど
「べらぼうな」建造物だったのだということが
実感としてわきあがってきます。

これをつくった岡本太郎さんもすごいけれども、
これを実現させた1970年という時代に
敬意を抱かずにはいられない気持ちで、
私は「太陽の塔」の階段を降りました。

この「太陽の塔」の内部は、いま、
どなたでも入館できます。
(安全のため、内部の撮影は禁止です)
内部入館は、混雑緩和のために
現在は予約申し込み制です。

入館申し込みをはじめ、
内部観覧についてくわしくは
「太陽の塔 オフィシャルサイト」
ごらんください。

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