今回インタビューした佐野めぐみさんは認知科学の研究が進んでいるスタンフォードで神経科学やコンピューターサイエンスについて学んでいます。近年では科学技術の発達により、一部ではロボットやAIが人間の力を超過してしまうことが懸念されていますが、科学の最先端にいる佐野さんの目にこれらの問題はどう映っているのでしょうか。また、アメリカのトップ大学で蓄えた知識は今後どのように活かしていくのでしょうか。
1999年生まれ。日本に生まれ、7歳から4年間アメリカのメリーランド州に住む。日本に戻ってきてから、中学受験をして慶應義塾湘南藤沢中等部に入学。15歳の夏に父の仕事の関係でロンドンへ引っ越し、高校生活3年間をインターナショナルスクールで過ごす。
現在はスタンフォード大学で数学・計算科学専攻とシンボリックシステム専攻を予定し、神経科学やコンピューターサイエンスを学習、研究をしている。
ーーどうしてスタンフォード大学に進学したんですか?トップレベルの大学でいえば、日本にも東大や京大がありますが国内進学は選択肢になかったんですか?
高校3年間を海外で過ごしたので、自然とそのまま海外に残るつもりでいました。年齢的にも、海外では半年先の学年に入っていたので、海外の大学を受験した後でも日本の大学を受けられるという選択肢の広さがありました。
大学受験はイギリスとアメリカの大学を受けて、最終的にイギリスではケンブリッジ大学、アメリカではスタンフォード大学に決めたのですが、人間の脳をより広いアプローチから研究できるスタンフォードを選びました。スタンフォードには「シンボリックシステム」という比較的新しい専攻があります。
ここ数年間でこの専攻をとる生徒数が急激に増えているのですが、「シンボリックシステム」は他の大学でいう認知科学を、計算論的アプローチを重視しながら学べるスタンフォード独特の専攻です。実は春からの、シンボリックシステム協会代表に選ばれました。この「シンボリックシステム」を副専攻に、「数学・計算科学」の専攻を取ろうと今は考えています。神経科学の分野の中でも、生物学的側面から脳を研究したデータはたくさんありますが、大変なのはデータが何を意味しているのかを理解するための分析で、数理モデルを使った脳や認知のシミュレーションは効率的にその分析を進められる手段だと思っています。
ーースタンフォードは起業家が非常に多いですよね。一番上の人が起業をして、一番下の人は大企業に就職をすると聞いたことがあるんですが、実際にスタンフォード生と関わりあってどう感じますか?
皆ただ研究や学問をがむしゃらに進めるだけでなく、それを実世界でどう応用していくかに重点を置いているとよく感じます。また、スタンフォードのコンピューターサイエンスの教授の言葉に、「スタンフォード生は脳だけでなく心も大きい」といった趣旨の言葉があります。この「心」は「熱心」という単語にある心のことを指しているんじゃないかと思います。
スタンフォード生は、何かにすごく熱心です。自分がやりたいことに対して大きな情熱や志を掲げているので、そのパッションを持っている人は起業をしても成功するということではないでしょうか。
日本で「出る杭は打たれる」風潮があるように、海外でもそのような傾向は少しはあります。実際私も高校時代は興味のあることに全力で取り組める環境ではありませんでした。スタンフォードでは「自由な風が吹く」と言われているように、各々が周りの目を気にせずに自分のやりたいことをやっているので、中高時代の教育に物足りなさを感じていた人も、大学では居心地が良いと感じることが多いようです。
ーー神経科学に興味を持ち始めたきっかけはなんですか?
小さいころから色々思考を巡らせるタイプの人間で、「人間がどのように考えているのか」が気になっていました。ある時、ハーバード大学のスティーブン・ピンカーという教授の本を読んでいて、ちょうどロンドンに講演をしに来たので拝聴したところ、鳥肌が立ったんです。心理学や人文学などの観点から入って神経科学を研究している人は多く、ピンカー教授も心理学と言語学で有名な教授です。
その時の講演では、神経細胞1つ1つのアクティベーションによってどのような心理学的現象が起こるかを説明してくださいました。例えば、内側に巻いていく渦のイメージを何十秒か注視して、視覚野にある脳神経もそのアクティベーションに慣れさせた後に、ピンカー教授の顔に視線を移すと、教授の顔が膨張しているように見えたんです!神経科学でシンプルに説明できる現象ですが、わぁっ…!と思ったんです。そこで自分は人間の脳を研究したいんだ、と気づきました。
そこから、高校では科学と生物の勉強に集中し、学校の外では神経科学のオンライン授業をとったり、大会に出場したりしました。ロンドンの脳・認知発達研究センターでアイ・トラッキング(視線計測)を使った研究も手伝わせていただきました。あの講演をきっかけに、今まで不思議に思っていたことに対する答えを積極的に追究するようになりました。理系の視点だけでなく、文系にも興味があったので、脳と心の違いについて書いた哲学的なエッセイがケンブリッジ大学のエッセイコンテストで賞をもらったりしたこともありました。
ーー今はどんな講義をとっているんですか?
1学期は数学とコンピューターサイエンスと心理学と機械工学を取っていました。
コンピューターサイエンスにはベテラン教授によって600人収容できる大きなレクチャーホールで行われる講義があり、それが一番面白かったですね。心理学は私が一番興味のある「どういう風に赤ちゃんから子供時代にかけて脳と認知が発達していくのか」を取り扱う授業でした。機械工学は定員15名の応募制の授業で、最後の授業には「最終プロジェクト」という3人組で何かを作る機会があります。私のグループは「目が不自由な人も物体を認知できる手袋」を作りました。脳神経には直接的関係はないですが、支援技術を作ることができたのでとても良い経験になりました。
日本の大学と違って、アメリカは入学の段階では文理選択は無いので、本当に幅広い学問を学ぶことができるのは1つのメリットですね。実際自分のやりたいことを高校生のうちに絞るのはなかなか難しいですし、もったいないと思うので。
ーー勉強だけでなく、課外活動として障がいを持っている子供を支援する団体の理事を務めているとお聞きしました。障がいに関心をもったきっかけはなんですか?
アメリカと日本での障がいを持っている方に対する意識の違いに驚いたんです。アメリカにいたころに仲の良かった友達の一人に自閉スペクトラム症の子がいましたが、周囲の人たちからその子に対して偏見や区別はありませんでした。ところが日本に戻ってからは、周りの人たちが障がいを持っている人にネガティブなイメージを持っていると感じたんです。
実際日本は障がいを持っている方に対してだけでなく、皆と少し違う人や平均とずれている人を排除する傾向が強い気がします。
確かに障がいを持っている子の中には何も話さなかったり、逆に話すのが止まらなかったりする子がいますが、脳の仕組みが違えば行動が違うのは当たり前のことじゃないですか。ただマイノリティーというだけで偏見を持つのはおかしいと感じました。
シリコンバレーの企業の中には障がいを持っている方を積極的に雇い、その特殊な能力をプラスに変えているところもあります。勿論全ての障がいを持っている方が何か特殊な能力を持っているわけではありませんし、特殊な能力=強みというわけでもありませんが、障がいを持っている方がそれぞれの個性を活かし輝ける社会が理想ですね。
海外では障がいを持っている人のことを”disabled(できない人)”ではなく”differently abled(違うことができる人)”と呼ぶこともあります。日本の「障がいを持っている方」という言葉が私は好きではありません。大学では障がいを持つ生徒のために作られた教育センターでチューターをしているのですが、最近では”disability(障がいを持っているか否か)”ではなく、”learner variability(学習の仕方の個人的な違い)” に着目して、障がいの診断を受けていなくても、授業に集中しづらかったりノートを取りづらいと感じる生徒のお手伝いをさせてもらっています。
ーー孫正義育英財団にも1期生として応募されていますよね?
ウェブで見たときに、自分の興味のあるシンギュラリティやAIについて書かれていたので応募しました。
準財団員は全部で96人で、本当に色々な人がいました。基本は理系が多いですが、弁護士を目指している人や心理学や社会学を勉強している文系の人もいます。年齢にも幅があって、8歳の準財団員の子とも深い会話をできるのがとても楽しいです。
渋谷にインフィニティという毎日使えるワークスペースがあって、そこで交流を深めながら色々な意見を交わせるようになっています。孫正義育英財団は研究をする上でコラボしたいと思える人や、研究についてアドバイスをくれる人に出会えた貴重な場となりました。
ーー脳といえば近年、より合理的な判断を求めて人間の脳ではなく機械に委ねる作業が増えてきましたよね。このような社会で人間はこれからどのように価値を発揮していくと考えますか?
進化学的にみれば、もし合理的な判断をしたほうが種の存続に役立つなら、そういう人間ばかりが残っているはずです。ですが現実では、何も考えずに判断したり合理的でない判断をしたときに良い結果をもたらすこともありますよね。
論理上では合理的な判断をできる機械は人間より優れているかもしれませんが、より大きな歴史的観点からみると一概にそうとは言えないことになると思います。また、人間はロボットにはない「感情」を持っています。最近では感情を持つロボットを作ろうとしている人もたくさんいますが、それは感情がプログラミングされているだけなのではないかと私は思っています。
感情のもととなる「意識」を人工的に作り出すのは現状では難しいので、現時点では感情や意識が人間の強みと言えるのではないでしょうか。また、人間と人間の間のコミュニケーションとAI間でのコミュニケーションでは、根本的な違いがあると思っています。
人間がお互いを理解するためには複雑な認知的仕組みが必要です。主なコミュニケーションのツールとして使っているのは言語ですが、言語以上にその場の環境、状況、雰囲気なども読み取って初めてお互いの伝えたいことを理解できます。コンピュータ言語で動いているAIにはこのニュアンスを理解するのが現時点では難しいと思います。人工的な空間で高い認知能力を発揮しても、他のエージェントの行動を理解するような認知能力はまだ低いのではないでしょうか。ちなみに、この社会的認知力の発達に私はとても興味があります。
人間の視覚によるコミュニケーションのモデル化を今年の夏のプロジェクトにしたいと考えています。感情や意識、また人間的なコミュニケーションを人工的に作ることを目的にしたプロジェクトはたくさんあり、どんどん発達しています。人間の今ある職業の一部がロボットにとってかわられてしまうのは事実だと思うので、今後はそうした社会に合わせた教育改革も必要になるかもしれません。
ーーAIが人間を滅ぼすか、それとも豊かにするか論争も繰り広げられていますよね。
2045年にはシンギュラリティといわれる技術特異点がやってくると言われています。現に科学技術は今もめざましく発展していますし、AIが人間を脅かす時代が来ると囁かれてもいますよね。現状シンギュラリティはセオリー上の話で簡単に実感が湧いてくる話ではないかもしれませんが、AIの発達スピ―ドは確かに速く、このままだと人間の力がいらなくなる部分もあるかもしれません。ですが大切なのは、AIが人間を豊かにするか脅かすかではなく、人間がAIをどのように使っていくのかというアプローチだと思います。このアプローチをどのようにとっていくかを考えると、技術ではなく、私たち「人間」そのものにもう一度注目するのが大事なのではないでしょうか。
ーー最近は一部の富裕層がやっているように、遺伝子をいじって生まれてくる前の子供の身長や能力も自分の思い通りにできてしまうじゃないですか。それについてはどう思いますか?
個人的には反対です。それはAIが人間になっているのではなく、人間がAIになっていませんか?人間が目指すものはある程度同一なので、病気をなくして、障がいをなくして…と思い通りにしていけば同じ人間ばかりが誕生します。しかし歴史的に見ると、人類を進展させてきた人のなかには、社会的なスキルは平均より低くても、何らかの分野でものすごい才能を発揮した人もいますよね。
そういった意味で生まれてくる子供を操作することは人類の歴史に反していますし、人類として何か大きなものが変わってしまうような気がします。確かに遺伝子によって身長や目の色や髪の色といった身体的な特徴はある程度決まっています。ですが最終的に「自分」を決めるものは、その生まれ持った遺伝子と脳の働きが相互作用して型作られたものです。遺伝子を変えるのではなく、様々な経験を通してどのように脳を刺激していくかを考えるのが大事なのかもしれません。
ーー最後に佐野さんの思い描く将来のキャリアについて教えてください。
まずキャリアというか人物像ですが、視野の広い人間になりたいです。アメリカから日本に帰ってくるたびに、日本に対して違和感を感じることが増えてきました。ですが最近、その違和感は視野が広がった結果ではなく、ただ自分がアメリカ人の考え方にシフトしているだけだと気づいたんです。アメリカ的な考え方しか認めないのではなく、きちんと視野を広げた上で自分特有の考え方を身につけたいと思っています。
最終的に成し遂げたいことは、障がいを持つ人々が住みやすい、また輝ける社会を作ることです。認知科学の研究を進めて、人間の基本的な認知の仕組みを理解することで、認知の仕組みがマジョリティとは違うかもしれない人々のポテンシャルを引き出す技術、それを作るためのヒントを見つけていきたいです。しかし具体的な実現方法やキャリアはまだ決めていませんし、決めないほうがいいと思っています。大学4年間をかけて考えていきたいです。
それに、今の若者が現在存在しない新しい職業に就く確率は65%などと言われているので、全く予想していなかった仕事に就いている可能性もあります。将来のことはまだ分からないので、今は自分が楽しいと感じている学問や研究に集中したいです。人間の認知と発達に興味があるのはきっと一生変わらないと思います。