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コラム

「シェアしたがる心理」のこれからを考える

SNS上での「自分推し」に注意:2つの人格「アダムⅠ」「アダムⅡ」についての考察

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最近、シーン全体の盛り上がりも相まって、インフルエンサー関連の調査プロジェクトをいくつか進めています。広告コミュニケーションの分野において、中長期的に非常に重要なテーマのひとつであることは疑いありません。

しかしながら、今とても気になっているのが、このテーマだと時折やや浅薄な話が顔を出しがちであるということです。自分をいかにしてブランディングしていくのか、発信力や影響力が経済的な価値を持つまでにどう高めていくか……など。

もちろんそれは多くの人に求められる類の知識であるのかもしれません。それに、そこまで大仰な話じゃなくても、SNSを通じて自分の名前が立つことにつながったらいいなと思う人は少なくないでしょう。

しかしSNSは自分のプロモーションのための道具にすぎないのでしょうか?
それは少々貧しい見方かもしれないということを今回は論じたいと思います。

「自分推しに注意」が全米ベストセラーに

ここで、タイトルにも掲げたキーワード「アダムⅠ」「アダムⅡ」がどこから出てきたものなのか、説明を加えておきましょう。これは、ニューヨークタイムズの名コラムニストであるデイヴィッド・ブルックスが『あなたの人生の意味』(原題はThe Road to Character)の中で提起した対概念です。ちなみにこの本は、ビル・ゲイツも2015年の年間トップだと称賛した1冊です。

デイヴィッド・ブルックスの問題意識は、「人間には本来、2つのプロフィールがあるが、現代はそのうちの一方だけが偏重されている」という点に集約されます。ここでの2つのプロフィールとは、「履歴書に書かれるプロフィール」と「追悼文に書かれるプロフィール」を意味しています。今風に言えば、前者はWikipediaに書かれるもの、後者は友人知人からFacebookなどでコメントしてもらうようなものと僕ならイメージします。

これを読む方々の多くも後者の重要性を疑うことなく信じていると思いますが、デイヴィッド・ブルックスは現代において前者が大事にされすぎていることに警鐘を鳴らすのです。つまり、最近の人々は「自分推し」しすぎでしょうと。彼の著書では、歴史上の偉人たちを例として取り上げながら、外面的にも成功したその人々が、それだけではなく追悼文に書かれるべきプロフィール自体も素晴らしい人だったということを論じています。

またデイヴィッド・ブルックスが「追悼文に書かれるプロフィール」を重視するのは、富と名声も重要だが、それだけで幸福になれると考えるのは了見違いだからでもあります。人は富と名声だけでなく、内面的な幸福に向かって生きるべきだし、それは「自分が人生に何を求めるか」ではなく、「人生が自分に何を求めているか」に意識を向け傾聴することが深く関わるのだと述べているのです。

この2つのプロフィールを求める「私」の中の2つの人格のモードこそ、「アダムⅠ」と「アダムⅡ」です。「履歴書に書かれるプロフィール」を追求するのが「アダムⅠ」、そして「追悼文に書かれるプロフィール」へとつながるのが「アダムⅡ」です。

僕自身もこの著書に感銘を受けましたが、それは、SNSで誰もが発信する時代に考えるべきテーマに他ならないからです。私たちのような「個人」はもちろん、企業やブランドもSNSの上では人格的な存在となります。どんなSNSアカウントの奥深くにも併存する2つの人格モードのあり方について、誰もが自分ごととして立ち止まって考えてみることが必要だと感じます。

次ページ 「あなたのSNSアカウントにも併存するアダムⅠとアダムⅡ」へ続く