毎月の給料さえあればいいと思っていると、給料をもらえないようになる。
食べられさえすればいいと思っていると、食べられなくなる。
住むところさえあればと思っていたら、住むところがなくなる。
家族や仲間さえいればと思っていたら、みんないなくなってしまう。
健康でさえあればと思っていたら、癌になったりするのだ。
定年まで勤められればと思っていると、リストラされたり、会社が倒産する。
原発さえあればと思っている人の想念が、悲惨な原発事故を誘発する。
間違いなく、こういったことがこの世の理(ことわり)のようだ。
生命というものは、成長しなければ減退し、現状維持ということは無いらしい。
とある父親が、「10代の娘になぜ妊婦向けのクーポンを送ってくるんだ!」とターゲットに怒鳴り込んだのである。
結局、この娘は本当に妊娠しており、後に父親はターゲットに謝った。しかし、なぜ親さえ知らない娘のプライベートな事情をターゲットが知り得たのだろうか。
娘が、マタニティー用品をターゲットで買ったことがあるわけではない。しかし、過去の膨大な購入データを関連づけて解析すると、例えば無香性のクリームや牛乳といったような、一見関係のなさそうな品目の購入履歴から妊娠の確率の高い人を割り出すことは簡単にできる。
建築も、車も、ファッションも、時代を遡る程に装飾的で、作り手の思いというか、美的な執着というか、嗜好品としての表現性が強い。それが商業化に比例してどんどんフラットにシンプルになっていく。
Webはそのスピードがめちゃくちゃ速いんだろうな。ユーザーが爆増するものだから、あっというまに「飾るもの」から「使うもの」になってる今。