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    プロが無償で何かを提供することを、タダ働きとイコールで見ている時点で、プロとして負けだろう。てか、絵描きの世界ではこれが普通の認識かい? だったら、ニコ動に違法アップロードでこっちの常識を超えてキレてるのも理解出来ないではない。でもまぁ、それじゃあ多分この先ジリ貧だろう。

    てか、無償で何かを提供するなんて、営業的には当然あることだ。もちろん本当に無償の奉仕という気持ちですることもあれば、ここで覚えを良くしておいてもらってという考えもあるし、理由なんていくらでもある。何にせよ、全てのプロダクトを一々金に換えて行くというのは、営業としてはあまり頭いいことじゃない。もちろんタダの部分だけうまく利用されて、肝心の儲ける部分は相手にされなくて… なんてことが起きることがあるのが難しいところだけど、そうならないようにするのも「腕」の一つだ。

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  2. semimarup:

    “「17年前に4年自衛隊にいただけで元自衛官報道かよ」という自衛隊関係者の不満はわかるが、生稲晃子なんて35年前に1年くらいおニャン子クラブだっただけで死ぬまで会員番号40番と呼ばれるんだぞ”

    CDB@初書籍発売中!さんはTwitterを使っています (via conveniitekuru)

    (via gkojay)

     

  3. "

    「ここに来ればなんとかなる」という地域を、もっと日本中に作った方がよいのではないか。上で釜ヶ崎が「介護の街になりつつある」と書いたけど、実は釜ヶ崎にはまだ希望がある。現場の人々に聞いた話では、さいきん食いっぱぐれた若い連中が釜ヶ崎に来るケースがいくつかみられたそうだ。たしかに、釜ヶ崎には、福祉や医療の専門家もたくさんいて、炊き出しなんかも毎週おこなっていて、ここに来さえすれば命をつなぐことができるようになっているのだ。

    でもそれは、釜ヶ崎の労働組合やNPOの活動家たち、宗教者、心ある福祉や医療や法律などの専門家たち、そして何より地元のおっちゃんたちによって、長い時間をかけて「たまたまできあがった」システムなのである。

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  4. "

    「他人の不幸は蜜の味」などと言いますが、実は「自分の不幸も蜜の味」なのです。「自虐の蜜」は甘すぎて危険ですし、「自分に関心がありすぎる」ことはあまり幸せではありません。もちろん自分を肯定しすぎてもよくありませんから、「自分を笑う力」を持ちながらも、肯定的にも否定的にもなりすぎずに、「自分を面白がる」くらいでいいのです。

     そして、「スイーツ(笑)女子」も「モテない系女子」も、価値観の中心に「モテ」があるという意味では、実は同じです。

     そして、「モテ」を中心にした価値観は、とても疲れるものです。

     何よりも「モテ」ることが好きだとか、「モテ」について考えることが好きだというのであれば、それは「モテ趣味」として楽しめばいいのです。

     そうではなくて、「女なんだからモテないといけない」という強迫観念に迫られているのであれば、「モテ」にあまり振り回されず、「自分が好きな人から好かれれば、うれしいな」くらいに思っておく方が、楽になれると思うのです。

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  5. "今の音楽業界は決してほめられた状態ではない。彼らは携帯電話での「着うた」事業がCD販売の落ち込みを支えていると言うけれど、「着うた」事業とはつまるところ、iTunes Music StoreでDRMなしで256Mbps、価格150~200円で買える曲を、主にパソコンを持たずに携帯電話に依存している中学生や高校生へ、より低ビットレートでDRM付きにも関わらず315円で売る商売である。
     大人が150円で買える水あめを、子どもに向けて315円で売る紙芝居屋みたいなもので、決してほめられた商売ではない。"
     

  6. "

    トマパイの「ジングルガール上位時代」を聴いていて、ああ、もうこの歌詞は死語に近付いているのだなと思ったのですが。

    新着メール ひと駅ごとにチェック

    もうHKT48が「既読スルー」なんてタイトルの曲を出すに至っておりますし。
    でもそれはそれで数年後もっと死語感ハンパなくなるのだろうとも思ったり。

    この手のを過去から追っていくとまず小林明子の「恋に落ちて」(1986)あたりから。

    ダイヤル回して 手を止めた

    ここらはもう若者わからんよね。
    また同年、種ともこは「10円でゴメンね」(1986)をリリース。

    10円でゴメンね(I’m Sorry, So Much Sorry)
    ピンチのウルトラマンみたいさ
    制限時間 3Minutes

    これなんか若者もっとわからん。

    そしてこの手の死語歌詞の代表例は国武万里の「ポケベルが鳴らなくて」(1993)。

    ポケベルが鳴らなくて
    恋が待ちぼうけしてる

    ここでこの曲の作詞が秋元康であることに極めて納得する次第。
    ポケベルはその他の曲にも時々登場しますが、岡本真夜の「DREAM」(1996)では

    ポケベルに今日も「ガンバレ」のメッセージ
    泣きたいくらいうれしくて

    ポケベル後期の文字送信型に進化していたり。

    「携帯電話」というフレーズはまだ死語とまではいかないと思うのですが、Julietの「フユラブ」(2009)の

    携帯開いて
    メール読み返して

    この時点で「折り畳み式」であることがわかって一気に死語感度アップ。

    ここから先は今のところまだ死語感ある歌詞はないっぽいですけど、LINE関連なんかはいつ死ぬかわかんないし、そもそも十年一日みたいな音楽やってる吾妻光良 & The Swinging Boppersが「Gumbo de Twitter」と「電話にコードがあった頃」という曲を同じアルバムの中でやってたりするので、もう正味何が何だかわからない。まあ、適当にやってくれ。

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