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ピアニストというのは、孤独な存在である。その一方で、作曲家と何の妨げもなく一体になれる完全に満たされた存在でもある。岡城千歳はチャイコフスキーの孤独をひとり引き受けて、全身全霊で演じる。

イージーリスニングでもないのに、鑑賞者はそれを聴いて、なぜ心が癒やされるのだろうか。おそらく雄大な自然を眺めるときのように、自分がちっぽけな存在であることに清々しく気づくからに違いない。

悲愴の最終楽章の演奏を聴くと、燃え盛る炎に自らの身を投じ、喜びと絶望が入り混じった恍惚の表情を浮かべるピアニストが頭に浮かぶ。

鑑賞者は、心身を削りながら燃え尽きて灰になる表現者の姿を、いけにえのように眺める。その壮絶な姿を見ながら、作曲家やピアニストの孤独や絶望に比べて、自分の悩みはなんとささやかなものかと気づくのだ。

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次の戦争は

「あの戦争」と同じ形をしている

とは限らない

むしろ機銃掃射も焼夷弾も原子爆弾も

使われることはない

徴兵制も敷かれることはない

どういう形の戦争になるか分からない

むしろ「あの戦争」は

すでに何度も起こっていて

しかしそのことに

「戦争はいけない」と

泣いたババアは気づかずに

長い間加担してきた

そのことをババアが自覚しない限り

「あの戦争」は形を変えて

必ず繰り返される

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"好きになった相手が他の女とやりまくってるから精神安定のために童貞煽って自分を誤魔化してたとか悲しいわ…マウント取れるのが彼氏の経験人数だけだったんだもんね
はあちゅうがしみけんと付き合い始めたのが4年前、童貞煽りも4年前…"
"なるほど、仕事とはいえ好きな男が他の女とセックスしまくってる精神的苦痛を和らげるために童貞をディスるという自己防御反応だったわけね!"
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すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかた
 というわけで、まあ、これは稚拙なノウハウだというのは自覚しているのだけれど、すぐマネできる「読みやすい文章」のつくりかたというのをまとめてみた。

 ポイントは中身以前に「ビジュアル重視」というところだ。

①ひらがなを増やす

 ふつうの人は漢字が多くなりがちだ。「何」「事」「僕」「今」などの漢字も「なに」「こと」「ぼく」「いま」などとひらがなにしてみよう(業界用語で「ひらく」と言います)。グッとプロっぽくなるので試してほしい。

 糸井重里さんの文章は「え、そこもひらがな?」ってくらい「ひらがな」である。迷ったら「ひらがな」にする、と覚えておこう。

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とにかく、数十年前の日本の作家たちが、主語や句読点の使い方、小説というものに対する向き合い方――言い換えれば「書くこと」――に対して自覚的、意識的になっていたのは事実である。そういうスタンスを、ネットのコンテンツにも導入できないかということだ。

吉田健一のあの長い一文だって、実はよくよく考えられたものだ。吉田茂首相の長男で、若いころにはケンブリッジ大学にも通った英文学者だ。『源氏物語』も読み込んだ上で、「私」という主語を回避する文体を開発した。

しかし今どきあんな文章を書いたら、「読者に分かりづらい」とかいって、若くて胡乱なウェブ編集者にズタズタに切り刻まれてしまうだろう。

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インスタの目的は「モテ」らしいが、その正体は要するに「不特定多数からチヤホヤされたい」という欲求だ。しかし、不特定多数からチヤホヤされて何が嬉しいのか、自分にはまったく理解できない。

そんな「モテ」より、自分が認めた特定の対象と特別な関係性――それは付き合うとかヤるとかとは限らず――を持つことの方が、ずっと大事なのではないか。

ああ、ここまで書いてきて、何となく分かってきた。PV稼ぎの記事と「モテ」は、同じ意味なんだな。

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"だってまだ19歳で、わたくし自身がまるで子供みたいなものですもの(笑)
あとさきなしに片付いたりしたら、お米のひとつも研がなければならないでしょうし、
アイロンだって掛けなければならないでしょう。
子供の頃から日々の暮らしのこまごましたことは何もかも女中がやってくれて、
自分ですることといったら歯を磨くか息をすることぐらいでしたもの。
そうした生活が当たり前だと思っていたし、満足していたわけですよ。
当時のわたくしは自由な身の上で毎日遊んでいたわけですから、
公威さんに限らずすぐ結婚するなんてこと思ってもおりませんでした。"