100億円もの賠償金といった見出しをつけて発表しているメディアやコメンテーターを見ると、まるで現実的ではないのに、一般読者の目を引くことを殊更に煽っているに過ぎないのではないかと思ってしまいます。
このような、あるべき姿を無視して、極端なワードで注目を集めようとする幼稚で安易な精神性は、この問題行動を起こした高校生と本質的に大差ないのではないかとさえ思ってしまいます。
別の観点への意見ですが、本件について、100億円の賠償などと述べているメディアやコメンテーターが散見されるのが非常に気になりました。
問題を起こした高校生や、その保護者にそんな大金の賠償額を支払えるはずもなく、そこまで多額の賠償請求の可能性を示唆する意味は全くありません。
仮に裁判をするとなれば、100億円もの請求をすると、印紙代だけで1000万円以上かかりますから、全く現実的ではありません。
相場を学ぶとは、世界を学ぶこと、そしてより賢くなり、より良く生きるための実力がつき、自分の本来の役割を社会で果たしていくことにつながると私は思います。
相場を博打や情報弱者ビジネスにしているのは大変もったいないです。
最後に、本物のファンダメンタルズの考え方を身につけた人には、「想定外」がなくなります。
戦争、金融システムのリセット、自然災害、パンデミック、産業構造(お金の流れ)の変化。
これらを前提として考えることになるので、「ファンダメンタルズに反して想定外のことが起こった」などという報道がいかにばかばかしいものであるかわかるようになります。
自分自身でシナリオを立て、相場と向き合い、資産を増やし、資産を守るための行動ができるようになります。
・地理(稀に自然活動で変化することもあります)
・歴史(歴史は変化しません、解釈が変化するだけです)
・民族
・気候
・文化(変化しますが緩慢です)
・気候
・政治体制(変化しますが共産主義、自由民主主義、などの大枠はそうそう変化しません)
・宗教
・資源
・産業構造
・人口(矛盾するようですがこの変化をみることが大事です)
為替の世界では、巨視的に見てファンダメンタルズとは、上記の事柄のことを指します。
(要人発言をファンダメンタルズと言っている識者は笑止千万)
“昼間の銭湯の味を知ると、堅気の勤め人には、どうしてもなれない。たいていの男湯には、客はニ、三人しかいなくて、昼のあかるい光が、湯気のたちこめている大きな空間をやさしく満たしている。湯は清潔で、ふんだんにある。さしずめ西洋人なら、人影のない教会にいると、こんな気分になるのかもしれない。”— 田村隆一「金銭出納簿」『ぼくのピクニック』朝日文庫 (via poroporoaomushi)
(via ikeru-joujima)