Pop Children with a New Machine

今日も睡魔のターン

Nov 14
並んでいるにもほどがある
#ねこ #ねこすたぐらむ #ねこのいる生活
https://www.instagram.com/p/Ck7Jcx1hGY5/?igshid=NGJjMDIxMWI=

並んでいるにもほどがある
#ねこ #ねこすたぐらむ #ねこのいる生活
https://www.instagram.com/p/Ck7Jcx1hGY5/?igshid=NGJjMDIxMWI=


このエントリーをはてなブックマークに追加
Oct 11
もぐりこむ季節
#ねこ #ねこすたぐらむ #ねこのいる生活
https://www.instagram.com/p/CjkGV2aB9cr/?igshid=NGJjMDIxMWI=

もぐりこむ季節
#ねこ #ねこすたぐらむ #ねこのいる生活
https://www.instagram.com/p/CjkGV2aB9cr/?igshid=NGJjMDIxMWI=


このエントリーをはてなブックマークに追加
May 10
“人の罵詈雑言というのは、つくづく厄介なものだ。強い攻撃性を持ちながら、昨今は“正義”の鎧をまとっているという。緊急事態によるストレスが原因ともいわれるが、それがエスカレートさせた面はあっても、平時から“批判”と称した罵詈雑言は飛び交っていたから、緊急事態のストレスというのは言い訳に過ぎないだろう。たいがい、悪口というものは(比喩的な意味も含めて)高くて安全なところからやってくる。発言者を特定することが難しい多数の中から飛んでくるのも特徴だ。
 
 多数派を形成して少数派を寄ってたかって攻撃するのも大好き。相手が弱者だったり、反撃されても届かない位置にいれば、ますます勢いづく。なんのことはない、いつも攻撃できる対象を血眼になって探していて、この緊急事態は渡りに船というだけなのだろう。自分の労力を惜しむためなら労力を惜しまず、小さな安心感のためなら他人を不幸にしても構わない。認める人が少ないだけで、そんな浅ましさは誰しもが抱えているものだ。その標的になるのも面倒だが、自分自身も、その醜さの虜となって加害者になるリスクを抱えていることには、よくよく心しておかなければなるまい。”
最終戦でV逸、目の前でV9を許した阪神と池田純一を襲った悪夢/プロ野球20世紀・不屈の物語【1973年】(週刊ベースボールONLINE) - Yahoo!ニュース

このエントリーをはてなブックマークに追加
Jul 30
“1992年
1月 氷室、正月にHOUND DOGの大友の家で麻雀をやり、大友が振り込んだ「中」で大三元をあがる。

BOOWY 裏年表 : 80年代後半~90年代前半を回顧するブログ

このエントリーをはてなブックマークに追加
Jun 18

鷹狩に出かけた家康は、喉の渇きを癒そうと寺に立ち寄った。
寺はみすぼらしく、屋根や土壁は破れ放題であった。

見かねた家康は「なぜ寺の修繕をしないのか?」と住職にたずねた。
住職は答えた。

「寺の修繕となれば、この辺りの農民に負担を掛けます。貧しい農民達の心の拠り所の寺が、彼らを苦しめる事は出来ません。」

感心した家康が寄進を申し出ると、

「我が寺のみ将軍様から目をかけていただいては、他の寺社から妬まれます。お気遣いご無用でございます。」

家康は寺を立ち去る際、小姓を集め命令した。

「お前達、遠慮はいらぬ。暴れ回ってこの寺を存分に打ち壊せ!」

将軍家康の命令に小姓達は逆らう事も無く、寺を散々に打ち壊した。

数日後、途方に暮れる住職に家康から書状と金が届けられた。
書状には
「先日、小姓達が暴れて寺を壊してしまって申し訳ない。ついては謝罪金を送るので、壊れた寺を修繕して欲しい。」

将軍の寄進と言えば妬まれるが、弁償と言えば角が立たない。

寺は立派に建て替えられ、住職も農民達も家康の心遣いに涙して感謝した。

Tag[ 殿堂入り ] - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ

このエントリーをはてなブックマークに追加
“前田利常の家臣平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。

大坂の陣の際、真田丸を攻めていた五右衛門は、主人である弥次右衛門の
楯になり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。だが五右衛門は

「なんのこれしき、かすり傷でござるわ!」と笑い捨てた。

五右衛門の剛気を称賛した真田丸の兵達は、
「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。

「う……」だが五右衛門は困惑した。なぜならば、まだ名乗る姓を
許されていなかったからだ。これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず
「我が姓をつかわす!」と叫んだ。

これに五右衛門は胸を張り、大声で真田丸に答えた。

「われは平野弥次右衛門が下人、五右衛門である!
これまで御供したる褒美として、たった今、姓を賜って
平野五右衛門となり申した!」

すると真田丸から、平野五右衛門を称える祝福の拍手が
湧き上がったのであった。


殺伐とした戦場の中の、ちょっと良い話である。
Tag[ 殿堂入り ] - 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ

このエントリーをはてなブックマークに追加
Jun 3

男も”男の役割“を降りますけどいいですよね?

どうも、男には"男の役割"を背負わせたまま、女だけが降りられると思っている節がある。

女が、”女の役割"を降りるなら

このエントリーをはてなブックマークに追加
May 17

■富永恭次陸軍中将
フィリピンで陸軍の航空特攻を指揮。マッカーサー軍が迫ってくると、司令部の許可なしに側近と芸者とウィスキー瓶のみを載せて台湾に逃亡。天寿を全うする。



■菅原道大陸軍中将
陸軍特攻の中心だった第六航空軍の司令官。10代の少年を特攻隊を次々を送り出し、エンジン不調などで戻ってくると「卑怯者!俺も後で行く!」と殴り倒した。

敗戦で部下が自決をすすめたが「死ぬのだけが責任を取る事ではない」と逃げ回り、96歳で天寿を全うした。


■倉澤清忠陸軍少佐
菅原道大の部下で第六航空軍の参謀。特攻隊を次々と送り出し、機体不良で戻ってきた搭乗員を監禁して毎日毎日

「死ねないようないくじなしは特攻隊の面汚しだ。国賊だ!」と罵り殴りまくった。悔しさのあまり自殺したものもいる。

戦後は元特攻隊員の復讐を恐れてピストルを持ち歩き、寝る時は枕元に日本刀を置いて寝た。天寿を全うする。


■玉井浅一海軍大佐
フィリピンで特攻隊員を次々と送り出す。

機体不良で戻ってきた特攻隊員たちが本土へ戻る事になると

「待て!お前は特攻隊で死んでもらう事になっている」と輸送機から引きずりおろし、自分が乗り込んで本土へ帰っていった。

戦後は僧侶になり、天寿を全うした。


■黒島亀人海軍大佐
残酷な人間魚雷「回天」を立案。「必ず脱出装置を付けます」と嘘をついて認可を得た。

戦後は会社社長として何不自由ない暮らしを送る。宇垣纒の戦争体験手記を遺族から借り出し、自身に都合の悪い部分を破棄した。天寿を全うする。


■太田正一海軍大尉
米軍コードネーム"BAKA"こと人間爆弾「桜花」の発案者。

「自分が乗るから開発させてくれ」と上層部に懇願して開発させたが、自身は「適性なし」として搭乗しなかった。

敗戦直後に逃亡し、名前と戸籍を変えて暮らす。天寿を全うした。

オラ、美しい日本の歴史にワクワクすっぞ!

このエントリーをはてなブックマークに追加

9月27日の自身の引退試合(相手球団は同年の日本シリーズを制覇する横浜ベイスターズ)は、既に消化試合であったにもかかわらず球場は満員であった。

登板は中根仁に対するリリーフだけであったが、初球のストレートは146km/hを記録し、最後は142km/hのストレートで空振り三振に切って取った。

中根は、引退試合の礼儀から対戦前から三振することを決めていた。
しかし、初球の146km/hのストレートを見て「これは本気でぶつからないと失礼だ」と感じ、全力で向かい三振に終わった。

大野豊 (野球) - Wikipedia

このエントリーをはてなブックマークに追加
May 7
“バーゲンセールの時にはゴムの滑り止めのついた軍手をはめて、髪をふりみだしながらもの凄い速さでレコードを選別している” 山下達郎 - Wikipedia

このエントリーをはてなブックマークに追加
Page 1 of 2763