私はタイで生まれ育った。アメリカの大学を卒業し、一度はタイで働いたが、再渡米してサンダーバード国際経営大学院でMBA(経営学修士号)を取得した。その後、日本アーンスト&ヤングコンサルティング、日本コカ・コーラ、デル、レノボ、アディダスジャパン、ソニーピクチャーズ エンタテインメント、ハイアール アジアと仕事を重ねてきた。

ハイアール アジアの社長件CEOを退いて1年半。辞めてからすぐに半年間、自分が次に進むべき方向性を考えるために旅に出た。多くの時間をかけ、自分と向き合う時間をとった。そして、自身の会社、X-TANKコンサルティングを起ち上げて1年がたつ。(「はじめに 〜いまの自分に違和感を覚える人たちへ〜」より)

この記述からもわかるとおり、『差異力 知らないことは武器になる』(伊藤嘉明著、総合法令出版)の著者の経歴はとても華やかなものに見えます。ところが本人は、自分の進むべき道を考え出すと、ずっと違和感があったのだといいます。「これでいいのだろうか」という気持ちを持ちながらも、何年もの間、日々の仕事に忙殺されて気づかないふりをしていたのかもしれない、とも。

そして、そんな自身のあり方の根底にあるのは、「タイ生まれ、タイ育ちの日本人」として育ったという事実。さらにいえば、そんななかで身につけることができたのは「よそ者としての差異化」。それがあったからこそ、渡り歩いてきた各社で成果や実績を上げることができたのだと自己分析しているのです。では、「差異化」とはなんなのでしょうか? まず、それは同一視されることの多い「差別化」とはまったく違うのだとか。

「差異化」は違う。自分自身の違いは示すけれど、土俵を割らない。共に仕事をしていくために「分かれない」。だから差別化ではなく、差異化なのだ。(66ページより)

つまり本書は、よそ者としての違和感に囲まれながらキャリアを積み上げてきた著者が、「違和感を差異力」に変えるためのメソッドを示してみせたものだということ。きょうはそのなかから、「世で言われる就職、転職の極意は嘘だ」というサブタイトルがついた第2章「若者よ、よそ者であれ」を見てみたいと思います。

なりたい自分を抽象化せよ

大学生時代、就職活動をはじめるにあたって、まず「自己分析」をするように言われた人は多いはず。いうまでもなく、自分に向いた職業を見つけるためです。しかし著者は、「そんな自己分析はしないほうがましだ」と切り捨てています。社会経験もない状態で自己分析などできるはずがなく、そんな状態で具体的な職業像をイメージすることなども不可能だから、というのがその理由。

そこで考えるべきは、「向いている職業」ではなく、「なりたい職業」だ。いや、なりたい職業の将来像だ。将来像といっても抽象的だと思うかもしれない。それは抽象的であるべきだ、若ければ可能性はまだまだたくさんある。(79ページより)

たとえば著者の場合は、「リーダーになる」という目標があったのだそうです。「どんな会社の」「どんな規模の」などといったものは具体的にイメージせず、ただ漠然と「リーダーになりたい」と考えていたというのです。自身のキャリアを「経営者になるため」と考えてきたのも、そんな理由があったから。

もちろん、ただ社長になりたいだけなら、起業すればいいだけのことです。しかし、それも経営者ではあるけれども、自身のイメージとは違ったのだとか。まずは組織のなかで選ばれ、リードすることを目標にしていたということです。

アメリカのビジネススクールを卒業したとき、以前から憧れていた自動車メーカーからオファーがあったのだそうです。ところが運悪く、自分自身が自動車事故に巻き込まれてしまうことに。しばらく自動車を運転することが怖くなり、自動車メーカーへの就職は断念したのだといいます。

大きな挫折だったと当時を振り返っていますが、そのとき経営コンサルティング会社に就職したことには理由があるのだそう。経営コンサルティング会社なら、若くして多くの企業経営の中核に触れられると聞いたからだというのです。つまり、その経験は自分が経営者になるために活きると考えたからだということ。

先を見越していたというほどではなく、漠然と「リーダーになりたい。そのためには経営コンサルティング経験が活きるだろう」と意識したにすぎなかったそうですが、そんな経験があるからこそ、なりたい仕事を具体化しないほうがいいと著者は強調するのです。それは道を狭めたり、可能性を削ぐことに等しいから。(78ページより)

石の上にも3年、だが3年以上いる必要があるかを考える

「いまの仕事は10年後にあるのか?」

「なくならないまでも、いまの自分自身の価値を維持できるのか?」

「そもそも価値の現状維持でよいのか?」

「価値は上がっていくのか?」

すでに就職している人にも同じことが言えるそうですが、上記のようなことを考えなければならないと著者は主張します。そして、そこに対応する方法はあるというのです。大切なのは、その業界のベテランにならないようにすること。

通常は、経験を積んでベテランになることは「いいこと」だとされています。しかし、それは「その仕事に価値がある」という前提があってのことにすぎません。その仕事に価値がなくなれば、ベテランにも価値はないわけです。でも、時間をかけて身につけたスキルを活かす専門分野がなくなってしまったのでは身も蓋もないわけです。

いわば大切なのは、いま通用している武器に甘んじることなく、時代に合わせて持ち帰ることのできる武器を身につけること。といっても「資格を取るために勉強する」というようなことではなく、自分自身の仕事を変えていくということなのだそうです。

「石の上にも3年」という言葉がある。これは「どんなところでも、3年は腰を据えて頑張れ」というのが一般的な意味だ。ただ私は違う意味で考える。3年を目処に違う仕事をしていくのだ。理想を言えば3年ごとに違う仕事にチャレンジしていく。(82ページより)

これは、転職しろという意味に限定されないのだといいます。別な表現を用いるとすれば、「仕事の幅を広げろ」ということ。つまりそれは、社内で違う部署への異動願いを出し続けることでも実現できるわけです。あるいは。国内で営業をやっているなら、海外への異動願いを出すのもいいでしょう。いずれにしても、営業から企画営業、人事から経営企画、国内経理から海外経理、経理から財務へ異動するなど、少し内容をダブらせ、違う仕事にチャレンジしていくとやりやすいといいます。

いいかえれば、社内で自分の職種がずっとあるかどうかもわからないということ。いきなり経験がまったくない部署へ異動になって慌てる前に、自分から幅を広げておいたほうがいいという考え方です。

営業職ならなくならないという意見もあるでしょうが、証券会社ではすでに、営業職がいない会社は存在しています。ネット事業であれば必要ないわけです。いってみれば、従来の、営業担当がお客様との関係を築き上げ、成績を伸ばしていくというスタイルに限定されなくなってきているということ。

だからこそ、同じ会社で同じ仕事を5年、10年と続けている人は、危機感を持ったほうがいいと著者はいいます。いま社内で、「この仕事は○○さんに任せればいい」などと言われているかもしれません。社内でのポジションも明確で、居心地がいいかもしれません。

ところが、その言葉は裏を返せば「○○さんは、あの仕事しかできない」ということにもなりうるというのです。それは「仕事の幅が狭い」ということでもあり、だとすれば「応用や発展が効かない」ということにもなります、

いざ、その職種が不要と判断されたとき、会社は守ってくれないかもしれません。なぜなら、終身雇用の慣習はすでに崩れているのですから。しかし、そうであるにもかかわらず、「転職すると給料が下がることが多い」「転職先で馴染めるか不安」など、「転職することが当たり前」といいつつも心理的には「長く同じ会社で働くことが望ましい」と思っている人は少なくないはず。ひとつの仕事に集中し、専門家になったほうがいいと思っているわけです。

しかし、「それは嘘だ」と著者は断言します。たとえ自分がそんな気持ちでいても、すでに会社のほうは「いらない職種は切り捨てる。なぜなら、今は終身雇用ではないのだから」と切り替わっているから。つまり、「もう会社は守ってくれない」ということに気づかなければならないということ。

仕事のスキルに幅を持とう。それが自分自身を守ることになる。(85ページより)

著者がこうしたメッセージを投げかけるのには、そのような理由があるのです。(81ページより)


違和感に負けることなく、それを差異力に変えてきただけあって、著者の言葉は力強さを感じさせてくれます。そして境遇は違えど、その言葉はなんらかの形で読者の共感へとつながっていくのではないかと感じました。


Photo: 印南敦史