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ガーランド・ジェフリーズ、2017年10月に来日。“かつてあった”ニューヨークを歌う

山崎智之音楽ライター
Garland Jeffreys photo by Myriam Santos

<ニューヨークの詩情を歌うシンガー・ソングライター>

ニューヨークのシンガー・ソングライター、ガーランド・ジェフリーズが2017年10月11日(水)、東京のビルボードライブで来日公演を行う。

既に10月7日(土)、朝霧JAMで公演を行ったガーランドだが、名曲の数々とハリのあるヴォーカルを披露。74歳という年齢を感じさせないステージ・パフォーマンスはフェスのハイライトのひとつと評されており、単独公演も盛り上がりが期待できる。

Garland Jeffreys band photo by Lou Russo
Garland Jeffreys band photo by Lou Russo

ガーランドはそのキャリアを通じて、ニューヨークの詩情を描いてきた。黒人・白人・プエルトリカンの血が流れる彼はブルックリンのシープスヘッド・ベイで生まれ育ち、マンハッタンのクラブで腕を磨く。彼はまたヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイルやルー・リードとの交友を育み、彼らの作品にも参加している。

ガーランドが歌うのは、ワン・ワールド・トレード・センターがそびえ立つ現代のニューヨークではない。危険で、猥雑で、生身の人間たちが息づき、愛し合う、かつてあったニューヨークだ。

彼の代表曲のひとつである1973年のシングル「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は、当時ブロンクス地区で起こった少女の強姦殺人を題材に取った曲だ(現在ではアルバム『ゴースト・ライター』<1977>に収録されている)。

ブロンクスといえばかつて映画『ウォリアーズ』(1979)や『アパッチ砦・ブロンクス』(1981)などでストリートギャングや麻薬密売人たちが暗躍する危険な地域だったが、近年かなり治安が良くなったといわれている。なお「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」はロサンゼルスのハードコア・パンク・バンド、サークル・ジャークスがカヴァーしたヴァージョンでも有名だ。

筆者(山崎)が初めてニューヨークを訪れたのはかなり遅く、1992年8月のことだった。

“絶望と腐敗と 恐怖と汚物と ソドムの都市”(小池一夫/池上遼一『I・餓男 アイウエオボーイ』、“世界一の大都市ニューヨークはまた世界一ぶっそうな都市とか”・“ドルさえにぎればすべてが万能であり理想や精神などはいりこむスキもない虚栄の都市ニューヨーク!”(梶原一騎/影丸譲也『空手バカ一代』)など、日本の漫画の影響で、ニューヨークというと凶悪な犯罪都市という先入観があった筆者にとって、真っ昼間のタイムズ・スクエアは拍子抜けするほど安全だった。

ただ、当時の42丁目(B.B.キングズ・ブルース・クラブがあるあたり)にはポルノ映画館やアダルトグッズ専門店が建ち並び、映画『タクシー・ドライバー』の時代の残滓がまだあった。裏道に入れば、危ない目に遭っていたかも知れない。

ガーランドが2017年に発表した最新アルバム『14 Steps To Harlem』では、それよりさらに前の“ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ニューヨーク”が鮮明に描かれている。

<ハーレムへの14ステップ>

アルバムのタイトル曲「14 Steps To Harlem」はガーランドの少年時代の両親について歌っている。彼の父親は家庭のために毎日、ハーレムの125丁目で働いていた。母親もブルックリンのウィリアムスバーグにあったドミノ・シュガー製糖工場で働いたと歌われている。暮らしは楽ではなかったが、当時が懐かしく歌われている。

ミュージック・ビデオに映し出されるのは、古のハーレムだ。アポロ・シアターではエセル・ウォーターズ、ハーレム・シアターではトミー・ドーシーが出演しているので、1950年代の映像だろうか。両劇場に挟まれるようにヴィクトリア・シアターもあり、当時のショービジネスの隆盛を窺い知ることが出来る。

アポロ・シアターから125丁目をずっと東に向かって、レキシントン・アヴェニューと交差するあたりが、アルバムでカヴァーされているヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「僕は待ち人 I'm Waiting For The Man」の舞台だ。この曲でルー・リードは 「おいホワイト・ボーイ、黒人女を追っかけに来たのか?」と脅され、「とんでもない、友人を探しているんですよ。マイ・マン(ドラッグの売人)をね」と答えている。

ガーランドが育ったシープスヘッド・ベイから徒歩圏にある、ニューヨーク市民の憩いの土地が、コニー・アイランドだ。

夏になると海水浴場、そして1903年にオープンした遊園地『ルナ・パーク』は多くの行楽客で賑わうが、秋が来るとすっかり寂しくなる。1927年から遊園地のシンボルであるローラーコースター『コニー・アイランド・サイクロン』も乗客はまばらだ。

そんなコニー・アイランドの“寂しさ”は、ガーランドが少年時代から見てきた風景だった。彼の2011年のアルバム『The King Of In Between』は、そのままズバリの「Coney Island Winter」で始まる。

なお同アルバムに収録された「The Contortionist」はコニー・アイランドの見世物小屋の曲芸師の悲哀を歌った曲だ。この曲にはバック・ヴォーカルでルー・リードが参加していた。

なお彼は『ルナ・パーク』に並々ならぬ思い入れがあり、自主レーベルを『ルナ・パーク・レコーズ』と名付けるほどだが、『14 Steps To Harlem』のラストを締めくくる曲が「Luna Park Love Theme」だ。ピアノとローリー・アンダーソン(ルー・リードの奥方でもある)のヴァイオリンをバックに切々と歌い上げるこの曲には、コニー・アイランドに行ったことがない人でも涙を堪えきれないエモーションが込められている。

さらにガーランドがザ・クラッシュのジョー・ストラマーと出会った思い出を歌う「Reggae On Broadway」も、今は亡きジョーへの想いが込められている。

大人の男性であっても涙を禁じ得ないアルバムが、『14 Steps To Harlem』だ。日本公演でも、その中から数曲が演奏されるだろう。この哀しさ、この懐かしさは、思わず“ハンカチを忘れずに”なんて苔の生したフレーズを使いたくなる。

なおガーランド自身がニューヨークを描いた曲でお気に入りと挙げているのが1977年の「ニューヨーク・スカイライン」だ。

「私の町、愛する町だ。これほどニューヨークを愛しているのは、私とルー・リードのどっちが上だろうね?とにかく凄い町だ。私が知っていることすべてはこの町に学んだ。知っておくべきことすべてを学んだといえるかも知れない。これまで書いてきた中で一番のお気に入りのひとつで、『ゴースト・ライター』も特別なアルバムだ。いろんな思い出が蘇る曲だよ」

ニューヨークの喜びと哀しみが込められたガーランド・ジェフリーズの日本公演。窓の外に、摩天楼が見える。

ガーランド・ジェフリーズ

14 Steps To Harlem Tour

ビルボードライブ東京

2017年10月11日(水)

1st Stage Open 17:30 Start 19:00

2nd Stage Open 20:45 Start 21:30

公演公式サイト http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=10676&shop=1

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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