新入社員は“社内顧客”、上司は“キャバクラ店長”だと思え——過労自殺の現場から産業医が語る

大きな衝撃を呼んだ、電通女性社員の事件を機に、過労自殺や働き方への関心はこれまでになく高まっている。

現代日本はスマホやパソコンで脳を酷使する生活に加え、従来の封建的な家族主義とは対極にあるような自由な働き方などの新しい価値観も流れ込む、激しい変化を経験している。そんな時代に生まれる摩擦やストレスとどう向き合い、いかに働くか。このたび『産業医が見る過労自殺企業の内側』を出版し、30社以上の産業医として延べ数万人の社員を診てきた産業医の大室正志氏に聞いた。

歩く会社員たち

Getty Images/ Image Source

現代人の脳はバッテリー不足

「現代人の脳は、バッテリー容量が変わらないのにアプリだけが増え続けるスマホ。慢性的な疲労に陥っています」

ずっとパソコンで作業したりスマホの画面を休みなく見つめたり、現代人はとにかく何もしない時間がない。眼は絶え間なく液晶画面を見つめており、その作業は視神経を通じて脳にダイレクトに効いてくる。

「20万年前から人間の脳の基本的な構造は変わっていません。情報量だけ膨大になったら、明らかにオーバーワークです。一定の緊張感はもちろん脳にも必要なのですが、筋トレと同じでやり過ぎるとオーバートレーンングで不具合を起こしてしまいます

大室氏は抑うつ状態を「コップの中の水があふれた状態」と表現する。

「OA機器の使用は基本水位を上げます。ここに長時間労働や人間関係などのストレスが降ってくると、コップのふちから水があふれるように、抑うつ状態を起こしやすくなるのです」

統計をみると、1990年代後半からうつ病などのメンタル不調の患者は増加している。これはパソコンなどOA機器の普及とも重なる。うつで引き起こされる最悪の結果が自殺といえる。

大室氏は、メンタル不調の認知度が上がったことや、リストラなど産業構造の変化とともに、OA機器による脳疲労も増加に影響しているとみる。しかし、時計の針は戻らない。

「テクノロジーの進化で、ここまで画面を見なくてもいい時代が来るかもしれませんが、今の時点では、この生活はしょうがないでしょう」

では、どうすればいいのか。

ベゾスは1日8時間睡眠

とにかく強制的に休むことです。交感神経をオフにして、過緊張を解く必要があります。ハードワーカーほどこの点について自覚的です。世界的なIT企業の集積地であるシリコンバレーでは今、睡眠法やマインドフルネス(メンタルセルフケアの手法のひとつ)といった休息法がブームです。アマゾンのジェフ・ベゾスが1日8時間寝ていることが、話題になりましたよね」

インタビューに答える産後業医の大室正志氏

「脳を酷使する生活は、抑うつ状態の基本水位を上げる」と語る大室正志氏

撮影:滝川麻衣子

日本では「多忙イコール仕事ができる」と捉える風潮がいまだにあるが、脳を酷使する現代社会では、むしろ脳の温存こそが集中して仕事に取り組むためにも大切だと大室氏はいう。

「私の出身高校は、ウェイトリフティングで日本一になった強豪校でした。そこでは先生が、筋肉の休め方の講義をずっとしています。筋トレするのは当たり前なので、休め方が重要なのです。メジャーリーグでは『ピッチャーの肩は有限』との考えから、過重労働は絶対にさせません。仕事も同様です。今後日本でも、ビジネスパーソンの間で、しっかりと睡眠や休息をとる重要性が理解されていくのではないでしょうか

若年層に多いアナ雪症候群

産業医の現場からミレニアル世代(1980年以降生まれ)の特徴も感じている。

ありのままの自分を他人に受け入れてもらいたい、という人が多いです。少し前にディズニーの『アナと雪の女王』の劇中歌『Let It Go』(レット・イット・ゴー) が流行りましたよね。まさにあの歌のように、ありのままの自分でいたい。いつの時代もどんな国でも人は社会という理不尽を含んだ構造に生きているのに、理不尽の壁に当たると傷つきます

いわゆる「アナ雪症候群」に陥る例が少なくないという。

象徴的な例がある。大室氏のところに、ある医療関係職に入職して間もない男性がやってきた。患者への具体的な治療計画を上司に提案したところ、「それ今、必要なの?」と言われたことに傷ついたという。

「医療職というのは板前修行のようなところがあります。はじめは千切りや桂むきの練習をずっとやるわけです。それなのに新人板前がいきなりレシピを考えてくるようなものです。もちろん悪気はないのでしょうが、先輩から見たら理解に苦しむ」

世代でも異なる価値観の衝突に、どう向き合えばいいのか。

もはや昭和の町工場ではない

チューニングバランスだと思います。今は頭ごなしに黙って従えという時代ではないです。昔は100かゼロで、新人が意見を言うなんて100年早いと言われました。それが今は15%ぐらい、新人の話も聞くようになって『風通しが良くなった』と、職場の上司は考えている。しかし、部下の方は風通しがよいなら自分の意見も通るはずだと思っている。そもそも、前提が違うわけです。これには世代の違いもあるし、立場の違いもある」

その違いを踏まえた上で「上司は叱り方や説明の仕方を考える必要があるでしょう。今の若い社員は理不尽慣れしていない面もあります」

管理職以上はもとより中堅社員くらいまでは「中学や高校の運動部に入ると先輩にカレーパン買ってこいと命令されるといった、理不尽な上下関係にも慣れている」。しかし、今の若年層では封建的な上下関係が崩れ、人間関係のベースが「巨人の星」や「スクール・ウォーズ」ではなく、横並びの世界観の「ONE PIECE」だと、大室氏は指摘する。そこに仲間はいても「上司への絶対服従」はない。

「現代では叱り方や言い方にしても最適値が難しい。ベンチャーなのか大企業なのか、組織の変化の段階でも違う。常にチューニングをするというのは、すごく疲れることです。しかし、現代の職場は昭和の町工場ではありません。コミュニケーションが、すべての知的産業の基本です。コミュニケーションについては、常に丁寧にやっていくべきです

渋谷を行き来する若者

現代のミレニアルには「アナ雪症候群」が多い?

撮影:今村拓馬

上司はキャバクラの店長になった方がいい

「これからの上司はキャバクラの店長になった方がいいです」

自分とまったく違った文化的背景の人々をマネジメントする例として、大室氏はそう言い表す。夜の接客業の男性は、

①店員とそもそも性別が違うので文化的背景が異なる

②離職率が高い中で働いている。

そのため、高圧的な態度をとらず、“キャバクラ嬢”である店員をよく褒め、部下を職場に引き止めておく努力を怠らない。

「かつての若手は、対上司コミュニケーションのみで動いていました。『しのごの言わずにやれ!』で済ませて、上司側は部下に説明をする必要はありませんでした。今、同じことをしたら、部下は辞めてしまいます。むしろ、新人は社内顧客ぐらいに捉えてみてはどうでしょうか」

こうした変化の背景には、日本社会の家族主義の崩壊があるとみる。

非正規労働者の数が増え続け、同じフロアには正社員だけでなく、契約社員、派遣社員、業務委託の人が働いている。正社員だけ家族扱いでは軋轢を生む。東芝やシャープをはじめ、かつては盤石とされた大企業が経営不振に陥るケースが相次ぎ、時代の先行きは不透明だ。すでに終身雇用は終焉を迎えている。

「家族主義にはメンバーになった分、一生面倒みるぞ、という覚悟があればいいのですが、現代の会社はすでに一生面倒みるだけの約束はできません。封建主義だけ強くて、何も返ってこなかったらこれはつらいです

一見、うまくいっている組織ほど、変わろうとしない傾向があるという。大室氏は、企業文化をパソコンのOSに例えてみせる。

「何世代か前の古いOSでサクサク動いている企業にしてみれば、中途半端にダイバーシティーだのなんだの取り入れた会社は不具合が起きているぞ、そら見たことかと思うわけです。そうやっているうちにサポート期間が終了し、動いていたソフトがある日突然、動かなくなって大騒ぎになります」

女性社員の自殺事件が起きた電通はまさに、この古いOSを使い続けていたケースだとみる。その代償の大きさが計り知れないことは、周知のとおりだ。

長引く思春期がもたらす摩擦やストレス

選択肢が増え複雑化する社会で、現代人が、より快適に働くために必要なことは何か。ここで大室氏は、現代のある特徴を挙げる。

大人になるというのは諦めることだとも言えます。一方、思春期は『おれって天才』と思った次の日に、女子に冷たいことを言われて絶望に陥ったりする(笑)。全能感と絶望感が交錯したバランスの悪い時期が思春期です。大人になるというのは『自分はこれ以上でもこれ以下でもないな』と、世間との折り合いをつけて角がとれていくこと。しかし今は、転職もリミットが伸びて早い結婚や終身雇用で人生が固定されることもなく、まだ見ぬ自分という人生のAプラン、Bプラン、Cプランのどれも可能性が残る。結果的に、思春期が長引く構造になっています

思春期は楽しい一方、つらいものです。それが続いているのが今のミレニアル世代(1980年以降生まれ)。もう少し上の30 代後半ぐらいまでそうだと思います

それは本人の問題というより「社会全体が、思春期が継続すること、自分の人生をフィックス(固定)しないことについて寛容になっているため」と大室氏はみる。

世界的な大ベストセラーになった、ロンドン・ビジネス・スクール教授リンダ・グラットン氏の『ライフシフト』では、人生100年時代として、選択肢を狭めず人生を固定化させない多様な生き方が提唱される。

こうした考え方が流入してくる一方で、日本では『もういい年なんだから』という年功序列や儒教的な感性も根強い。ライフシフト的な考えと、儒教的考えが交錯し、これはいわば文明の衝突です(笑)」

モラトリアムが長く続くことは歓迎される一方で、世代間の摩擦や、決断のストレスといった副作用も起きている。ここへの絶対的な「解」はないと大室氏はいう。

「終身雇用かバリバリの外資系やベンチャーかの二項対立ではない。会社ごとにグラデーションもあるし、各自がオーダーメイドで決めていくことでしょう。日本の歴史は折衷案の歴史。(組織や働き方の価値観も)和魂洋才のいいあんばいを模索していけばいい」

ただし、変化の時期には人間はストレスが増す。「そうしたストレスのかかる変化の時代を生きているということを、まずは認めること。そこから全てはスタートするのではないでしょうか」


大室正志:医療法人社団同友会産業医室勤務。産業医科大医学部医学科卒。産業医科大学産業医実務研修センター、ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医などを経て、現職。日系大手企業、外資系企業、ベンチャー企業、独立行政法人など約30社の産業医を担当する。

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