魂の封印を解く男 井上祐宏です\(^o^)/

今日は、私が専務理事を務めている一般社団法人エジソン・アインシュタインスクール協会の指導を受けて、劇的な改善があった事例の取材記事をご紹介します。



進行性大脳萎縮症と診断された娘が奇跡の改善 その一


(写真は本人ではありません。イメージです)

本村静子(仮名)娘・佳代子(仮名)取材日:2017年2月8日

井上祐宏(以下:井上):こんにちは。本村静子さん。娘さんに障がいがあるんじゃないかとか、ちょっと発達に遅れがあるんじゃないかとか、そういう事を感じ始めたのは何時頃ですか?

本村静子(以下:本村さん):そうですね、感じ始めたというよりも、うちの子は普通の子だったんです。特に異常も感じることなく、普通に元気に育ってきていました。例えば、3歳の頃にオムツが取れて、食事もお箸を上手に使ったり、たくさんおしゃべりをしてくれる、本当にごく普通の元気いっぱいの女の子だったんです。

井上:そうなんですか。

本村さん:保育園に通っていたんですが、毎日が楽しいみたいで、先生の方からも、「クラスの中で一番お姉さんでしっかりしています」とか「佳代ちゃんは賢いです」とか言われたこともありました。そのように、本当にごく普通の子でした。それで、3歳11か月の頃に水疱瘡をして、通常の経過で治癒して、保育所に登所できるようになったんですが、何故だかその頃から保育所に行くのをすごく拒否するようになりまして。

井上:水疱瘡になって、それが治った後に急に保育所に行くのを拒否するようになった。はあ。

本村さん:そうなんです。「明日はお休みぃ?」とか。「佳代子お休みするぅ。」とか。「具合が悪いからお休みしたい。」とか言って、その頃から行きたくなくなったみたいなんですね。
また、一人で歩いたりすることを嫌がるようになり、「こけてお洋服が汚れたらいけんから抱っこして。」とか言って、常に抱っことかおんぶっていうのを要求しました。
でもまだその頃は家族旅行とか、ミカン狩りとかを以前と変わらず楽しんだり、ピアノ教室に通うようになったので、まあこの年齢特有のものだろうと思って、特に心配はしていませんでした。

井上:なるほどねえ。はい、それからどうなさいました?

本村さん:それから3ヶ月くらいがたった頃、4歳3か月の頃なんですが、保育所の担任に声をかけられたんです。
「佳代ちゃんの様子が気になります」っていう事で。
どういう事かと言うと、今まで出来ていたことが出来なくなったり、どこに何を置いたりとか、やったりするのが分からなくなったように見えるとか、食事を一人で食べたがらないなど、いろいろ言われたんですね。
でも私はこの話を聞いて、佳代子には2歳上のお兄ちゃんがいて、丁度その頃その子が私にべったり甘えてくるので、佳代子を構ってやれていなかったんです。だからきっと愛情不足からこのような行動をとるんだと思いますって話しをしたんです。

井上:2歳年上のお兄さんの方に、お母さんはかかりっきりだったんですね。

本村さん:そうなんです。その頃すごく甘えて大変な事があったんです。

井上:お兄ちゃんがね?

本村さん:はい。

井上:お兄さんの方に大変なことがあった。

本村さん:大変というか、ただ成長過程だと思うんですけれども、普通の子なんですね。だけどちょっと甘えたいっていう時期なのかなって。「ママ、ママ、抱っこ~」ってそういう感じだったんです。

井上:お兄さんの方がね。

本村さん:そうなんです。それでちょっとお兄ちゃんの方に私が構っていた事が多かったんですね。だから私からすると、佳代子にあんまり目を向けてやれなかったなって思っていましたので、私は「愛情不足からでしょう。」と答えたんです。
で、そうこうしているうちに、さらに1ヶ月くらいたってから、また先生に「佳代ちゃんのことで話がある」と呼ばれました。そうしたら、先月もお話ししたんですが、またどんどん出来なくなっていますと、食事中などは、お箸が持てなくなったり、持っても下の方を持ったり、注意してもわかってくれないとか、左手の方が特にぶらぶらした状態で、全然力が入っていないみたいな事を言われたり。

あとは話しかけても無反応だったり、きちんと答えてくれなくなったと言われて。その時ちょうど所長先生の方から、「一度専門の先生がいる病院で診てもらった方がいいのではないのか」と言われたんですね。その頃から、私も確かに「あら?」っていう感じでした。

よく観察していると、やはりあら?すごくちょっと変化がみられるなって思いました。どういう事かといいますと、服の襟とかボタンとか袖とか指とか、どれかを常に口の中に入れて舐めたり、かじったりするようにもなったんです。

井上:ああ、奇行ですね。

本村さん:はい。目も頭も体も、ずっときょろきょろごそごそ動かして、じっとしていられなくなりました。それから、長い文章の言葉が言えなくなったり、短い言葉であってもうまく言えなくて、奇声を発するようになりました。

井上:奇声を?

本村さん:はい。「ギャー」とか。上手く言えなくなったんです。それまで本当に普通に当たり前に言っていた、“年齢“とか“色”とか“物の名前”までも伝えられなくなって、笑顔も消えました。

井上:えー。そんなことあるんですね。

本村さん:あっという間でした。

井上:別人のようになってしまったんですね。

本村さん:はい。それで、私も病院の方に電話をして予約を取ろうとしたんですが、病院からは、予約できる一番早い日で1ヶ月後って言われたんです。ああ、でもこれは仕方ないかって思ったんですが、でもいろんな事がその後もどんどんどんどん出来なくなってきているので、すごく不安に感じて、予約は先なんですがなんとかならないでしょうか?と電話をしたんです。そうしたら、小児科の方で受診してくださいと言われて、受診することにしました。
井上:じゃあその1ヶ月待ってくださいって言われたのは、発達の検査かなんかのそういう機関なんですか?

本村さん:発達の検査というよりも、後からわかったんですが、カウンセリングをするような先生でした。発達障がいとか、知的障がいとか、心の不安を抱えた人を大人も子どもも、話を聞くっていうような感じの先生だったんです。
井上:そういう場所を保育所から紹介されたわけですね。

本村さん:そうです。

井上:なるほど、わかりました。それで小児科に行ったわけですね。

本村さん:はい、結局は。その先生が1カ月先と言われたので、だまっていたんですけど、佳代子がどんどん悪くなるので、また電話をしたところ、予約日はまだ先だから、じゃあ先に小児科に相談して、検査でもしてもらってくださいっていう感じでした。それで小児科を受診しました。

井上:はい。

本村さん:それで、小児科の先生に佳代子の話をすると、「稀に水疱瘡が原因で脳に麻痺とかの障がいが出ることもありますが、佳代子ちゃんがそれに当てはまるかっていうのは、検査してもわかりません。原因も小児科でははっきりしたことはわかりません。」と言われました。

井上:なるほど。

本村さん:私が、「不安だから今日来たんです。今日出来る検査は何かないんですか?」って聞いたところ、「じゃあCTが撮れるか確認してみましょう。」っていうふうに言われました。それで、撮影が大丈夫だったので、検査してもらうことになりました。そしたら、放射線科の所見によると、“大脳萎縮”、それと“脳室の広がり”があるということでした。

井上:大脳萎縮と脳室の広がりですね?

本村さん:はい。まん中にある脳室が、すごく広がっていると言われました。それで、その時小児科の先生から、この状態がどういうことであるかという事の説明を受けました。それで、そこの小児科の先生は、自分は小児科医であってもこのような脳は見たことがないって、良くなることは考えにくい。老人のアルツハイマーとか、認知症と同じような脳だと。要するに、いい言葉は一言もありませんでした。

井上:はあ。

本村さん:それで、私はあまりにもショックで、説明の途中にも関わらず、頭の中が真っ白になって、椅子に座っているのがやっとでした。

井上:ですよね、それはね。

本村さん:それで、帰宅して少し冷静になって、まあ、医者があんなこと言ったけどすぐに元に戻るに決まっているでしょうって。また上手におしゃべりして、歌を歌って、前のように遊びに行ったりできるよ、風邪のようなものよって思い返したんです。

井上:なるほど。

本村さん:もうそう思わずにはいられなかったんです。辛すぎて。

井上:ですよね。わかります。

本村さん:それで、その次の専門の先生の診察になった時言われた事は、レット症候群かもしれない、だけど発症年齢とか、佳代子にはてんかんはなかったので、てんかんの有無が当てはまらないが、大脳全体が萎縮していて、あまりにきれいな萎縮で、今ははっきりとした病名はつけられません。強いて付けるとするならば、“知的障がい”ですかね。とかまあそういった事でしたね。内心、えーそれだけ?って思いました。

井上:ええ。

本村さん:はい、それからますます佳代子の状態が悪くなってきました。で、さらに服の襟もとをずっと舐めていたんですが、今度はそれを噛むようになって、穴だらけにするようになりました。
それはまるでハチの巣のようで、めちゃくちゃ穴をあけていました。
縫い付けてあったボタンとかも粉々にしたり、ファスナーはもう取れて使えない状態でしたね。
保育所に朝着ていった服なんかは、もう帰る時には着替えてあって、カバンの中には2~3枚、襟元だけびちゃびちゃで穴だらけの服が入っていました。

もうこれを見ると深いため息しか出てきませんでした。

他にも砂とか石とか、消しゴムとかおもちゃとか、スリッパやらリモコンやら電池やら何でも口に入れるようになりました。

それで、トイレもうまくできなくなったし、オムツで過ごすことが増えました。
言葉も、目についたもの、すごく簡単な言葉だけなんですけど、“赤”とか“かみ”とか、ただそれだけを繰り返し言うばかりでした。
スーパーとかに行っても、手に届くものはとりあえず触って落とす。
もうめちゃめちゃです。

井上:はあ。

本村さん:他にも、ずっと座っていられなくなったので、食事中なんかは椅子にベルトで固定して食べさせていました。それで、少し私が目を離すと、もうごはんとかおかずは手でぐちゃぐちゃ、お皿をひっくり返したり、お茶とかもおかずの中や床にこぼしたり、もうめちゃくちゃです。

食事も、飲み込む力も弱くなったみたいで、口に入れたものをとりあえず吐き出す。もうしょっちゅうでした。もう他にもたくさんいろいろなことがありました。

井上:はあ。

本村さん:洗面所とかお風呂場とかも、目を離した時は水を出しっぱなしにして、ずぶ濡れになっっていたりした事もあったし、トイレの芳香剤や洗浄剤とかまき散らすわ。

井上:危ないですね。

本村さん:危ないですよ。炊飯器のボタンなんかも押して、しょっちゅう空だきです。とにかく何かボタンはとりあえず押すっていう感じでした。それと、大きな音とか暗い場所とか、もうパニックです。
もうひーひーひーひ―言って大騒ぎです。
夜なんかもなかなか寝付かないで、夜中7回とか8回は目を覚ますことが、ほぼ毎日続きました。そんな状態で、佳代子が日ごとに変わっていきましたので、佳代子を目の当たりにして、私と主人は不安と恐怖が増すばかりでした。
もう2人でよく泣きました。もうこの子をどう扱ったらいいのか分からなくて、一緒にいるのがすごく苦痛でした。

井上:はあ。ですよね。

本村さん:はい。そんなある日、怒りがすごくこみ上げて、「もうあんたは人間じゃない!動物よりも鳥よりも虫よりもひどい!蟻だってきちんと並んで歩けるのよ!こんなめちゃくちゃしないから!」って、もう大声張り上げていました。
でも言った後、涙がすごく溢れましたけど。まあ、そういう事がありました。

井上:なるほど。それで、うちの協会はどういうご縁で知ったんですか?

本村さん:そうですね、これはもう少し先になるんですけれども。

井上:じゃあ、それからもまだいろいろなことがあったと思うので、大変貴重なお話なので、伺えますか?

本村さん:ええ、その頃、専門の先生が、別の大学病院に大脳萎縮などを専門とする先生がいること教えてくれて、紹介してもらうことにしました。
でも大学病院の先生からも、全くいい事は言われず、いつてんかんが起きてもおかしくない状態だし、この先大脳は元の大きさに戻る事は期待しない方がいいとか、また萎縮するかもしれないとか、そういう事を言われました。
そして、その原因を突きとめるために検査入院をすることになり、4泊5日であらゆる検査をしました。ですが、結果はすべて正常、もしくは異常なしでした。

井上:ええ~?

本村さん:要するに“原因不明”という事です。
水疱瘡とかもどうなんですか?と私もしつこく聞きましたが、ちょっとそれも違うでしょうということでした。
そしてその時についた診断名は“進行性大脳萎縮症”でした。この時はもう4歳7ヶ月だったんですが、佳代子の脳は何歳レベルなんですか?と聞きましたら、“生まれる前の胎児レベル”と言われました。
そして佳代子の脳と、生後2ヶ月の普通の子の脳のMRIの画像を並べて見せてくれました。
そしたら、佳代子の大脳の方が小さくて、脳室が大きく写っていました。
あまりにも辛い現実でしたね。

井上:それはすごい。はあ。

本村さん:はい。ちょうどその頃、祖母が新聞の広告欄で鈴木先生の『子どもの脳がどんどんよくなる』っていう本を見つけて、切り抜いて私に見せてくれました。
早速購入してみましたが、私、身も心もすごく疲れていたんですね、読み進めるのにすごく時間がかかりました。
で、読み終えるとすぐ、エジソンの受付センターに電話をしました。
幸いなことに2週間後に親子面談を受けることができました。
娘が5歳2ヶ月の時です。

(続く)