魂の放火魔 井上祐宏です\(^o^)/
昨日は、まさに歴史的な再会の日となりました。
というのは、私が生まれて初めて「講演会」というものを行ったのが、今から20年以上前!
ところは、名古屋のホリスティック医学協会中部支部の月例講演会。
1994年に就職した会社の本社が名古屋にあったので、私は生まれて初めて、東京以外に居を定めたのです。
名古屋に行く前に、名古屋で仕事がある複数の友人に「名古屋ってどう?」と尋ねました。
すると全員が口を揃えて「名古屋は難しい!」と言ったのです。
そ・し・て
実際に名古屋に引っ越して営業を始めたところ…
全く結果が出ない!
私は名古屋をまさに彷徨い続けたのです。
半分は東京での仕事があったので、まだ救われたのですが、とにかく名古屋での営業活動は全くダメ!
そして私は、ホリスティック医学協会中部支部を訪ねました。
というのはその数年前に東京のホリスティック医学協会の年次大会の実行委員を務めたことがあったからです。
名古屋のホリスティック医学協会中部支部の皆さんは、暖かく私を迎えてくれました。
私も、新人にもかかわらず、月例講演会の場では、鋭い質問をしまくりました。
講演会終了後の飲み会でも、私の色んな体験や気づきを熱く語ると、それもまた暖かく聞いてくださる。
嬉しい仲間に出会えた私にとって、まさに中部支部は「魂のオアシス」でした。
当時の中部支部長だった樋田和彦先生とも親しくさせて頂きました。
参加し初めて、数か月後のことです。
当時月例講演会の講師をセレクトしていた精神科医の竹内先生から
「月例講演会の講師に、井上君、どう?」と声をかけられたのです。
正直、驚きました。
私はすかさず「でも僕は医者でもないし、医療関係者でもないし、治療家でもないから、アカデミックな話はできませんよ!」と言いました。
すると竹内先生は「アカデミックな話とノンアカデミックな話と交互に講師を選んでいるから問題無し!」と言ってくれたのです。
とは言っても生まれて初めての講演です。
凄く緊張しました。
でも大胆にも講演タイトルは「癒しと悟り」に決めました。
そして講演終了後に私の過激な体験談を聞いてくれた人たちの中から三人の人が懇親会の場で私に近寄ってきてくれたのです。
全員が70歳前後!
一人は愛知県薬剤師会の副会長の長谷川
もう一人は女医で禅密気功を学んでいる増田英子先生
そしてさらに、沖ヨガの創始者沖正弘先生の愛弟子で、数百人の弟子を抱える川崎嘉子先生
三人が口を揃えて「凄く良かった!」と言ってくれたのです。
さらに私が鳥肌が立つ事態が!
なんと武田先生がこう言ったのです。
「あなたが、インドを旅していた時凄く辛かった、という話をしていた時に、私、歌が聞こえたの。
それはあの歌なのよ!
君の~ゆく~道は~果てしなく遠い」
その言葉を聞いた私に衝撃が!
というのはその歌「若者たち」はその当時の私のテーマソングだったのです!
よく一人でその歌を口ずさんで、自分を奮い立たせていたのです。
そんな魂が打ち震えるような出会いが、初めての講演会であった私は、それ以降、講演をやることが徐々に増えていきました。
実は、長谷川先生と増田先生が亡くなられたことを、樋田先生が先日伺いました。
そして三人の中のただ一人の生き残り?の川崎先生と、昨日名古屋駅で再会したのです。
約20年ぶり!
しかし川崎先生は大変お元気で、お変わりありませんでした。
夜は、樋田先生のクリニックの二階で毎月開催されている生き方懇話会で、講演セミナーをさせて頂きました。
初めに私を紹介してくれた樋田先生は
「つい最近子孫へのラブレターをやってみましたが、これはある意味、究極と言えるようなメソッドだと実感しました」
と言って頂きました。
参加者もさすがに代替医療に造詣の深い方々ばかりで、私もエネルギー全開!
なんと子孫へのラブレターの初決行者がその場で七人も生まれました\(^o^)/
その中には十年以上前から私が注目していた魂のツワモノも混じっていたのです!
最高の一日でした\(^o^)/