Apple Pay上陸、ラッセルVISA会長の予言が現実に〜決済三国志【前編】

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クレジットカード業界の盟主・VISA

私がクレジットカード業界の取材をするようになってから約30年になります。30年前といえば日本でもやっとクレジットカードが普及し始めたころでした。そのクレジットカードはいまやわれわれの生活になくてはならない社会インフラになっています。

その間、私の頭の隅から離れなかったことがあります。それは、この業界の盟主がいつ交代するのかということでした。もし、いまから4〜5年前に、こんなことを口にすれば、「何をバカなことをいっているんだ」と一笑に付されたはずです。

たしかにそれはそうでしょう。カード業界の盟主といえば、VISA、マスター、アメックスなどの国際ブランド(自らネットワークを有し、世界のカード取り引きを仕切る大規模なカード会社)に決まっていたからです。とくにVISAは国際ブランドのなかでも頭ひとつ抜きんでた存在で、盟主と呼ぶにふさわしい力を持っています。

その理由は、全世界の銀行を傘下に置いてそのカード部門、またはカード会社を実質的にコントロールしているからです。そしてカード会社を通じて世界の4000万の加盟店を開拓し管理しています。その盟主支配が終わるなどとはついこの間まで、クレジットカード業界の誰もが考えませんでした。

VISAは1966年に当時のバンク・オブ・アメリカが自社のクレジットカード(「バンカメリカード」)のライセンス供与を全米に向けて開始したのが始まりです。これによって、VISAマークが貼ってあれば、全米どこでもVISAクレジットカードが使えるようになったのです。

そして、80年代に入って、VISAインターナショナルという公益的な組織として世界中でサービスを開始します。この時点では、世界中の銀行が支えるNPOのような存在でした。その後、世界をヨーロッパ、アフリカ、アジアなど5つの地域に分けてカード普及を進め、加盟店を開拓しました。そのころのVISAの本部はカリフォルニア州サンマテオ(シリコンバレーの北端)にあり、非常にオープンな雰囲気の組織でした。

ところが、2008年に株式の上場を果たし、株式会社VISAワールドワイドと名称を変えたころから、内向きな会社に変わったようです。経営トップが表に出て経営ビジョンを訴えるということも少なくなったという印象を私自身は持っています。

■盟主が果たす役割とは何か?

盟主としての役割は何かというと、これは盟主の条件と言い換えてもいいのですが、VISAのネットワークでつながる加盟店の手数料率の大まかな基準を示すということが、まずあげられます。手数料率は業種によって違うのですが、たとえば水商売ですと5〜7%、コンビニエンスストアは1〜2%といった具合に決まっています。こうした手数料率の指標になるものを盟主が提案するわけです。

もうひとつは、クレジットカード会社を、カードを発行する会社と加盟店を開拓する会社の2つに分けるという役割があります。前者を「イシュアー」、後者を「アクワイアラー」というのですが、この2つに分けることでそれぞれがやるべきことが明確になって秩序が生まれ、業界全体がうまく回るようになったのです。

たとえば、Aという会社に対して「あなたのところはカードを発行し加盟店の開拓をしてもいいですよ」ということにして、一方のBという会社については「お宅はカード発行だけですよ」というように、それぞれの会社の規模や特性に合わせてうまく差配するわけです。その結果、クレジットカードの普及が急速に進み、いまのようにどこでもカードが使えるようになったのです。

このようにして、VISA(を始めとする国際ブランド)は、プラスチックカードと専用線(電話回線)を使って世界をつないだわけです。そのインフラを活用して、世界規模での決済を可能にしたのですが、決済といっても、これは簡単ではありません。カードのサイズから、取り引きのやり方まで厳しく規制しなければ、決済はできません。

世界中どこでも同じルール、同じ規格のグローバルスタンダードが必要とされます。バラバラであったら、ひとつも動きません。そこでVISAは、統一規格を作るようになりました。具体的には、プラスチックカードのサイズやロゴの位置、決済の手順など、さらには、カードが不正に使われた時の補償のルールまでを統一したのです。そういった細かいところまでVISAをはじめとした国際ブランドが決めることになりました。

逆にいうと、そうした統率ができるのが盟主の証しと考えられていたのです。

■日本で争う三井住友カードと三菱UFJニコス

そして、日本国内のクレジットカード会社も、VISAやマスターに倣って、あるいはその威光によって自分たちを大きく見せようと躍起になってきました。

その代表が三井住友カードです。いまでもVISAというと、三井住友VISAカードを思い浮かべる人が多いかもしれません。三井住友「VISA」カードという表記で、あたかも同社が国際ブランドのVISAを運営していると錯覚するかもしれません。しかし、これは誤解です。三井住友カードはVISAのメンバーには違いありませんが、国際ブランドを運営しているわけではありません。同社の親会社の三井住友銀行がVISAインターナショナルをつくる際、日本では初めてのプリンシパルメンバーになったので、それを記念していまだに社名に「VISA」の名前を残しているのです。

一方で、ライバルの三菱東京UFJ銀行は、三井住友カードのイメージづくりのうまさに手を焼いていました。なぜなら、世界のVISAにふさわしいのは、日本一の銀行の三菱東京UFJ銀行だと考えていましたから。当然自分たちがVISAとの付き合いでも優遇されるべきと思っていたのです。そこで、子会社のニコスと連携して、積極的にVISAに働きかけて、親密な関係を作り出しました。いまでは三菱の方が住友よりもVISAとの距離が近いとさえいわれるくらいです。

実際2016年10月に始まったアップルペイと、つづいて12月に始まったアンドロイドペイのサービスでも、三井住友カードがまっすぐにアップルペイに走ったのに対して、三菱陣営はあくまでVISAに義理立てして、アップルペイへの参加を渋ったという経緯があります(結局は参加しましたが)。また、三菱東京UFJ銀行は2016年の夏に他の銀行、カード会社に先行して、自らのVISAデビットカードのサービスでアンドロイドに対応すると宣言しましたから、おそらくクレジットカードでは三菱UFJニコスが対応することになるとみられています。いまは静観していますが、いずれはVISAと共にアップル+スイカ陣営と競い合うという方向に進むでしょう。アップルペイの参入はこうした国内カード会社のVISAとの距離を浮かびあがらせました。これは興味深い点です。

■ラッセル会長の予言「ライバルは通信会社」

こうした国際ブランドと日本のクレジットカード会社の関係性は非常に強固で盤石であり、国際ブランドを頂点にしたピラミッド構造(新しい護送船団方式)が永遠につづくだろうと思われていました。しかし冒頭で書いたように、私はこのいわば“VISA一強体制”は決して長くはつづかないだろうと見ていました。なぜならクレジットカード研究を始めた当初に出会ったある人物の言葉が強く印象に残っていたからです。

1993年、私はビジネストリップでアメリカ西海岸(サンマテオ)を訪れ、VISAのラッセル会長(当時)にインタビューする機会を得ました。最初に書いたように、当時はまだ、VISAという会社を世界に広く知らしめようということで、非常にオープンにジャーナリストの取材を受けていたのです。

アメリカに飛ぶ飛行機のなかで私はいろいろと質問を考えていました。こんなチャンスはめったにないのですから興奮していました。そして、ラッセル会長にこんな質問をぶつけました。

「ライバルはマスターカードですか?」

当時のクレジットカードの世界は、VISAブランドとマスターカードブランドがせめぎ合っていたので、当然、ライバル視していると思ったからです。するとラッセル会長はこう答えました。

「イワタさん、それは違います。ライバルはマスターカードではありません。われわれのライバルは通信事業会社であり、コンピュータ関連の企業です」

いまならピンと来る人は多いと思いますが、20年以上も前になる当時、「ライバルは通信会社とコンピュータ企業だ」といわれても、何のことかさっぱりわかりませんでした。

そのころアメリカにスプリントという会社がありました。のちにソフトバンクが買収して日本でも知られるようになる携帯電話会社です。ラッセル会長は「スプリントのような会社が手ごわいライバルになる恐れがある」というのです。なぜそういう会社を警戒するのかというと、その理由はこうです。

「いまのVISAの業態は、金融事業というより、巨大な通信事業者だ。世界中に専用の通信回線を張り巡らせて情報のやり取りをしているのだから。もし、AT&Tなどの通信会社が銀行を買収して決済機能を持てばVISAと同じようなことができるようなる。そして情報のやり取りにはコンピュータが不可欠だ」

つまり、ライバルはいま勢いがあって今後も成長が見込める通信事業会社であり、コンピュータ企業だというのです。それを聞いて私は衝撃を受けました。

■明確な経営ビジョンを持った経営者

ラッセル会長はこんなこともいっていました。

「通信事業会社が参入するとプラスチックカードがなくなることも十分考えられる。そうなると券面にあるVISAのロゴを使った宣伝ができなくなる」

当時は、スマートフォンはまだ影も形もなくて、やっと携帯が出てきたころだと思いますが、そのころすでに、そんな心配をしていたのですから、いまこうしてあらためて振り返ってみても、ラッセル会長が相当先進的な考え方ができる経営者だったということがわかります。ラッセル会長はたしか、イギリスの大手銀行の頭取出身だったと記憶していますが、日本の上場企業の経営者などと比べると、「レベルが違う」と思ったものです。

こんな経験をしているので、VISAの一強支配は永遠ではないし、アップルやグーグルなどがスマホを利用して決済事業に続々と参入するのを目の当たりにして、ラッセル会長の予言が現実になりつつあると思ったのです。

ラッセル会長の予言から二十数年がたっていることを考えると、その間、VISAなどの国際ブランドが、よく盟主の座を守ってきたといえなくもありません。大手の電話会社からはじまって携帯キャリア、そしてIT企業と盟主の座を脅かすことになるかもしれないライバルが入れ替わり立ち替わり現れたのですが、「帯に短し、たすきに長し」で、みんな消えていきました。

しかし、いよいよ本命と思われる、VISAにとって最強のライバルが登場し、日本に上陸したのです。(後編につづく)

(ジャーナリスト 岩田昭男=文)