4ヶ月早く手のひらサイズで誕生。車椅子で全介助(身体障害1級)、療育手帳A1の重度知的障がい、弱視。一般的な会話もできないけどおしゃべりでおてんばな娘。いろいろあるけど 「今日より明日へ一歩ずつ」…のんびりだけど楽しく賑やか、確実に一歩ずつ成長中!!
娘、あやたんは23週452gで生まれた女の子。
脳性まひで全介助、車椅子使用、加えて弱視。身体1級、療育手帳も最重度ですが、地域の小学校に通うよく笑うおてんば娘です。
「小さな命の奇跡と軌跡」は、そんなあやたんの誕生からの成長記録です。
2015.4~ 西日本新聞にて「小さな命のきせき」 というタイトルでコラムを(全20回)を連載させていただきました。
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6月20日 月曜日リハ病院での数ヶ月毎の診察。側湾が進みだしてから、もれなく脊柱のレントゲンがついてくる。レントゲンは毎回、バトル。小さい頃から、レントゲンの日は気合いを入れては病院に行くけど、ほんと、毎回、ぐったりと疲れてしまうのは親の方。(もちろん本人もだろうけど)座位での撮影。ひとりでじっと座れないから、ベルトで固定。そして、とにかく撮影の瞬間、動かない!を実現させるため、検査技師さん、PTさん、装具士さん、私であの手この手の大騒ぎ。それが、前回ぐらいから、「今日は、はい、チーズしに行くよー」で、納得するようで、あまり暴れなくなった。とは言え、姿勢を保つのが大変なので、「その瞬間」を捉えるため撮影自体は大変なんだけどね。それがそれが、この日は…横になって、体幹装具にテープを貼っている時に、やたらと手を振る。ん??と思ったら、どうやら、私に「バイバイ」のお手振り。えーーー。初めてのことにビックリ。レントゲン室から一度出て、再びドアから覗いたら、またバイバイされた。これは完全に、母はあっちに行けーという合図。先生もビックリ。そして、あっさり座位での撮影終了。もう、嬉しいビックリ。ザ・自立?ザ・親離れ?ただ、レントゲンの結果は全くよろしくなく(つまり、側湾が進んでいる)…ため息。
あやたん、中学を卒業。明日の命は繋がるのか、と不安しかなかったあの小さな小さな赤ちゃんが、義務教育を終わりました。しかも、先生方がびっくりするほど病欠がほとんどなかった。ほんと逞しく育ってくれた。兄ちゃんと同じ地域の中学校で、3年間、よくがんばったと思うし、受け入れてくださった学校には感謝しかない。1年生の終わりがけの突然の全国一斉休校。休校が明けた後も、コロナ禍の学校生活は継続。つまり、中学生活の三分のニがコロナ禍の中だったと言うことになる。休校が明け、二年生に上がり、はてさて感染対策はどうしたものか。あやたんは、過敏でマスクができない。(そもそも世の中からマスクはなくなったし)この時は、世の中、みんな、手探り状態だったと思う。今でこそアクリル板も当たり前になったけど、その時は物もあまりなく、ビニールシートとハンガーラックでこんなものを作って学校に持ち込んだりもして、二年生をスタート。それでも、感染状態はどんどん大変なことになり、給食はもちろんはじめ、クラスで過ごす時間は減り、ほとんどを特別支援学級で過ごすことになった。登下校時間も昇降口で密にならないよう、他の生徒さんと重ならないように時間をずらしたり…。二年生は、体育祭も、合唱コンクールも中止になってしまったけど、なんとか修学旅行は行くことができた。(感染対策のためついて行っちゃったしね)『修学旅行①』11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナのために変更。そして、コロ…ameblo.jp『修学旅行②』初日はこちら『修学旅行①』11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナ…ameblo.jp三年生になると特別支援学級の担任が変わった。男の先生だったけど、あやたんにとっては、とてもよかったようで、ほんとによく声、言葉が出るようになった一年になった。校長先生曰く、校内を歩行器で歩く姿は、「おじいちゃんと孫」のお散歩で微笑ましかったとかなんとか笑身体も3年間でびっくりするほど大きく変わった。身長も(立てないので正確なところが分からないけど)、20センチ近く伸びたのではないだろうか。麻痺があるので、着替えやすいようにかなりダブダブのサイズで作った制服も体操服も、ピタピタサイズになってしまっていた。(あと、1か月卒業が後だったら、もう完全に着れなくなっていたかも、というぐらい)そして、一気に身長が伸びたことで、側弯が手術も視野に入れなければいけないレベルになり、ハムストリングが硬くなり膝が伸びなくなり立位がかなり辛くなるという、身体面で新たな課題も出てきてしまった。年齢に対して小さな小さなあやたんにも、もれなく成長期がやってきた中学3年間だった。制約がたくさんになってしまった3年間だったけど…クラスに行ける時間も圧倒的に減ってしまったけど…姿を見かけたら遠くから、吹き抜けの上から昇降口に向かって、「あやたーん」と声をかけてくれるクラスメイトの存在は、本当にありがたかった。卒業式のあと、あやたんの車椅子のテーブルを見て、「あれ???」。あやたんの名前ではないシールが貼ってある。あとで聞いたら、「俺のこと忘れんなよー」って、(おそらく棚かどこかに貼ってあった名前シール)を、ここにペタッと貼っていった子がいたと先生から聞いた(感染対策のため、卒業式後のホームルームも保護者は教室に入れなかった)学ランのボタンならぬシール(ってあやたんが要求したわけじゃないけど)あやたん、4月からは女子高生。新しい環境で、また親子でがんばります。
今日は気温は低いけど、気持ちの良い青空。ということで午前中、お散歩。家を出る時、帽子を被った私が視界に入ったとたん「にあう〜」「かっく(こ)いぃぃ」と、言葉を発した娘さんに感激の朝。療育手帳A1(最重度)一般的な「会話」は難しい子。だけど、非言語だけど、彼女なりの方法で普段からたくさん、主に『要求』の気持ちを伝えてくれる。最近、構音機能がレベルアップしているようで、単語もフルで発音できるようになってきた。(今までは「たまご」は「ご」だけ、ハンバーグは「ぐ」だけしか音にならない)耳に聞こえてきた気に入ったフレーズをすぐに真似て発音できることも増えてきている。そして、今朝の「にあう」「かっこいい」は、単なる言葉の模倣・真似ではなく、気持ちを言葉にして伝えてくれたということに、もう感激。15歳。まだまだ言語領域、発達するぞー!!!
迷いに迷って、腹を決めいざ、接種へ。『あやたんのワクチン接種①(迷い編)』長らくブログ放置状態でしたが、元気に毎日過ごしています。とは言え、8月はさすがに心が疲れた。どこかに出かけるとその夜や翌日にそこにいた人がPCR検査を受けるこ…ameblo.jpあやたん、8月の上旬に1回目、下旬に2回目を無事に接種してきました。脳性麻痺てんかん知的障害そして、とにかく身体が小さい、細い(中3だけど140cm前後、30kg未満)マスクはつけれない感覚過敏で、知らない人、場所が苦手。待つのも苦手。そんなあやたんを連れ、いざ、市の集団接種会場へ!!!集団接種会場だけど、事前に確認していたので、市の職員さんに声をかけた。そして、順番待ちをするエリアではなく、個室に案内してもらった。この個室で、移動せず問診、接種、待機の全てを行ってもらえた。泣いても、大騒ぎしても周囲の目を気にしなくて済んだし(注射は、毎度大泣き、大騒ぎ)待機中はYouTubeの音を出してもOKと言ってもらい、なんとか機嫌を取りながら30分待機することができたホントに助かったみなさんと同じ場所を、車椅子で、問診、接種、待機エリアと移動していたらと思うと空恐ろしや。集団接種とは言え、完全、個別対応でホントに助かった。2回ともアナフィラキシーなども起こすことなく、無事に帰宅。以下、2回の経過。1回目2回目ちなみに接種したのはファイザーあやたんの夏場の平熱は36.7℃一人暮らしの兄ちゃん(大学の職域 モデルナ)の2回目は39度まで出て心配したけどあやたんは、ずっと横にいて顔色を見ながら判断できたし、解熱鎮痛剤もすぐに効いた。明らかに病気で高熱を出している時とはグッタリ感、顔色が違ったのでずいぶん安心感が違った。8月は濃厚接種者や陽性者がすぐ近くに続いてハラハラしっぱなしだったので、私のメンタルもこれで少し落ち着くかな。もちろん感染対策は今まで通り継続です!
長らくブログ放置状態でしたが、元気に毎日過ごしています。とは言え、8月はさすがに心が疲れた。どこかに出かけるとその夜や翌日にそこにいた人がPCR検査を受けることになりました。とかそこにいた人が濃厚接触者になるかもしれません。とかつまり、その人たちが陽性となれば、あやたん、濃厚接触者になりそうだ、と。ひと月にそんな事が3回。介助度や医療的ケア度が高い人たちが通うところに出かけることが多いので、事業所さんの横の連携は素早く、「疑い」の時点で連絡が入る。こんなそんなの8月になんとか、あやたん、無事にコロナワクチン2回完了。接種に至るまでの「迷い」の記録です。当初、16歳に満たないあやたんは対象外。それが5月末に12歳以上は対象になり、さぁてどうする??と悩みまくり。いろんな先生に聞きまくった。(ちなみに、大人の自分たちのことは接種に迷い無し)あやたんの危険因子…てんかん脳性麻痺知的障害NICU入院中は、長いこと人工呼吸器のお世話になっている。生後3日目には脳と肺、同時に出血。だから気管、肺に少なからずのダメージを受けている。めったに風邪を引かない子だけど、気道に悪さをするウイルスにはどうも弱いらしい。保育園時代、RSウイルスで肺炎になり入院(4歳目前)ヒトメタニューモウイルスでは気管支炎になり、この時は毎日通院して点滴。学校は1週間休んだ。(3年生になったばかりの春)食事、入浴、トイレ、着替え、全てにおいて介助が必要。マスクは、まともにつけれない。なんでも触る、その手はすぐ口の中つまり、自衛はかなり難しい利用している福祉サービス(放課後デイサービス、居宅介護)、リハビリ。全て「密」な関係。打つ打たないという問題だけでなく、もう一つ悩みの種が、住んでる市は集団接種会場のみということ。地域のクリニックでの個別接種は一切無しなのだ。つまり、いつもインフルエンザの予防接種をしてくれるクリニック、先生にお願いできないということ。初めての場所、人。しかも並ぶ、待つというのがとにかく苦手。こりゃあ、どうしたものか。市の保健センターにも「基礎疾患枠ですが」と状況を確認するも、そもそも子どもの接種が個別になるかどうかまだ検討中でまだ予約を受け付けられないとのこと。6月の大学病院(小児神経)定期受診では、「メリットの方が多いだろうから、打ってもいいと思うよ」と判断は保護者次第でね〜という(まだ軽い)感じ。「先生、大学病院で打てたら助かるのにー」「それはやってないんだよね」そんなやり取りをして帰宅した。7月中旬、夜。まさかの9年ぶりのてんかん痙攣発作。それで予定を早めて8月上旬に大学病院を受診することになった。受診の数日前、市から電話。結局、子どもも集団接種のみとなったけど、予約されますか?と。「大学病院の主治医の許可が出なかったらキャンセルしてくださいね」と市の担当者の方の言葉はありがたかった。7月後半に入り、感染者数がぐんぐんと増加してきたタイミングだったので、予約だけはしておくことにした。せっかく接種するなら学校が始まる前には終わらせておきたかった。とにかく最初の問い合わせからとても丁寧に、丁寧に、話を聞いてくださり、対応してくださったことに感謝。さて、大学病院の受診。7月の発作の状況などを伝える。久しぶりの痙攣とは言え、その後、続けて起きていないこと、その他、色々な状況から判断して接種OKが出た。しかも、7月から大学病院内で接種できるようなったというではないですか!!!ただ、院内接種とは言え、「小児科ではなく別の科(場所)だし、知らない先生だから、市の知らない場所、知らない先生というの条件は同じだよ」とも言われた。なるほど。そして「痙攣発作、アナフィラキシーは今までの経験値から対処できるけど、もし感染したら、今までの経験が通用しないかもしれない」「今日、予約を入れても一回目は8月下旬。市で早く予約が取れているなら早い方がいいと思う」先生のこの言葉に完全に背中を押され、市の集団接種を受ける決心がついた。6月の受診の時とは明らかにフェーズが変わったんだな、という感覚が伝わってきた。ということで、いつものお薬にプラスして、ダイアップ、顆粒のカロナール(錠剤飲めません)も処方箋を出してもらって帰宅。あ、あやたんは血液検査のため採血されて超ご機嫌ナナメ。大人でも痛くて嫌だよね。手の甲から採血されるのは。前腕の血管、なかなか見つけられないんだよねー。がんばった!!『あやたんのワクチン接種②(接種編)』迷いに迷って、腹を決めいざ、接種へ。『あやたんのワクチン接種①(迷い編)』長らくブログ放置状態でしたが、元気に毎日過ごしています。とは言え、8月はさすがに心が…ameblo.jp
日中一時支援のお迎えに行くと娘さん、ご機嫌に『春の小川』をハミングで歌いながら降りてきた。あやたん、話せませんが、音感・リズムはバッチリです!春だね〜。6年前の今頃。まさに春の小川沿いをお散歩。明日も天気良さそうだから、お花見散歩しなくちゃね。
2月2日 火曜日あやたんは超過敏さん赤ちゃんの頃も、冬場に可愛い毛糸の帽子を被せてベビーカーでお散歩して帰ってきたら、帽子はどこへやら?ってのは何度あったことかしら。帽子、手袋、注射のあとに貼ってもらうガーゼ…etc。でも、体操帽子、給食当番のマスクは、お友だちマジックで学校でみんながつけてるときは、なんとか頑張ってつけれるようになった。(もちろん短時間)このコロナ禍、世の中、終日マスク…もちろん無理。マスクも着けても秒速でポイっ。学校でも練習してるけど、最長1分。そんなこんなでもう一年。この日はリハビリ。ちょっと早めに着いたら、担当の先生が男の子とリハ中で廊下を介助歩行の練習中。それを見たあやたんは、「がんばってー」と声をかけていた。「ねぇねぇ、お友だち、マスクしてるよ。偉いねー。あやたんもマスクしてみない??」と声をかけてみた。いつものようにすぐにポイっとされるのを覚悟の上。あれ??ん??外さない。そして、しばらくして新たな発見をしたぞという表情(いつものと同じなんですけど)そうこうしてると先生がやってきて、「今日は実習の学生さんが一緒だけどいいかな?」と。あやたん、マスクのままお姉さんに戸惑い(観察)の表情。そして、そのままリハビリ突入。お姉さん気になる…。そして、マスクが噛めることも気がつき、なんだか嬉しい…。ちなみに、あやたん、普段、手を口に入れていることが多いのだけど、この日はマスクを噛むのが勝り、手は口に入らず。そして、リハビリも着々とこなす。で、結局、リハビリ中、ずーっとマスクをつけていた。いや、正確には、ずーっとマスクを噛んでいた。最後はこんな状態で、グチョグチョのグチョー泣こちらから「おしまい」と声をかけ強制終了!!あははは。でも、これだけ長いことつけれたのでたくさん褒めましたよ。もちろん。そして、このガーゼマスク。たくさんのお友だちがプレゼントしてくれたもの。やっとやっと出番が!!どうか今日だけの気まぐれでありませんように。(の、確率は高いけど笑)普段は車椅子の日除け(幌)に透明のカバーをつけていて感染対策。(写真よりもう少し深く下せます)とは言え、車椅子から降りることも多いし、何か見たい時は幌を自分で上げちゃうからなー。大学病院の定期受診は、ホント、気を使う。早くマスクしなくても安心して過ごせる世の中になりますように。というか、普段の生活に困らない程度に過敏が治りますように。
2021年新年あけましておめでとうございます一人暮らしを始めたお兄ちゃんバイトが忙しいらしく帰省しないお正月。(きっとコロナの影響もあるよね)初めて家族が揃わない年末年始。いや、家族が揃わないお正月は、あやたんがNICUに入院中もだったな。あの時は命と向き合う毎日だったからホントに辛かった。でも今年は、家族は揃わなかったけど我が子の成長、自立の証寂しくも嬉しかったというのもなんとなんとお兄ちゃんからお年賀のお菓子が(大晦日に)届いた!!(もちろんバイト先のお菓子の詰め合わせ)両じいちゃん・ばあちゃん家にも届いたとのことで、それぞれから大興奮でこちらに電話があった。(一筆まで入ってたらしい)ちなみに、じいちゃん・ばあちゃん宅に届いたお菓子とこちらに届いたお菓子は少し違うみたい。ちゃんと妹が食べそうなものをセレクトしたとのこと。さて元旦いつもなら、どちらかのおじいちゃん・おばあちゃん家に泊まるのだけど、さすがに今年は…ね。年始の挨拶のみマスクを外さなくて良いようにお屠蘇も無し一緒に食事も無し顔を合わせてご挨拶のみ私の母が一緒に食べるつもりで準備してくれていたお節をいただいて帰り、夜、のんびりと三人でいただくお正月。さあ、あやたん、義務教育最後の年。学校を卒業した後の長い長い人生を見据えて、高校(高等部)をどうするか、その先を考える時が来た。まだまだコロナ禍真っ只中の世の中。いつもやっていたこと(ダンスとか)が、安心してやれないけれどあやたんはあやたんらしく今年も楽しく健康第一で過ごしたいなと思います今年もよろしくお付き合いくださいませ
昨日、学校から健康通知表を持って帰ってきた。生まれた時は、身長26.8㎝、体重452g!この一年で、短下肢装具、車椅子、歩行器、体幹装具を作り替え。年明けには、カーシートも作り替え予定。これを見て、改めて「そりゃ、そうだ」と納得。再確認。衣服も、ほぼほぼ買い換えたしなー。そうそう昨年まで使っていた車椅子用の防寒アイテムもサイズアウト。だれか使ってくれる人、いないかなー。
12月15日 火曜日寒い寒い朝。福岡も初雪!!筋肉が少ないあやたんは、冬場はあっという間に手先足先は冷え冷えになってしまう。身体が大きくなり車椅子も大きくなり昨シーズンまで使っていたアイテムはサイズアウト。さ〜て、どうしよう。膝掛けは、こども服ひよこ屋さんのフリースレッグカバー。車いすフリースレッグカバー Bundle Bean車いすやバギーのためのレインカバーです。完全防水でしっかりカバー。軽くて丈夫、取り付けも簡単な優れものです。www.hiyokoya.comその下は、短下肢装具の上から、今年、手に入れたルームブーツを履いている。装具のつま先はあいてるから、冬場はいつも悩む。大きく開くルームブーツAmazon(アマゾン)3,046円商品一覧 | 公式 あゆみシューズ通販『あゆみシューズ』の商品一覧です。www.tokutake.co.jp昨年までは、こんな風にしてだけど、装具も大きくなり、さすがにちと厳しい。ということで、新しいルームブーツはポカポカで、学校でもずーっと履いてたらしい。そのまま歩いても大丈夫だったらしく、学校の廊下も歩行器で履いたまま歩いたとのこと。さて、そんな初雪の日。午後は大学病院受診日。診察終了間際に、「念のため、採血しとこ」と言われてしまい…あやたん、チーン(T . T)(今年始めから、薬の副作用である値が悪くなり、追加の薬で落ち着いたのだけど、その状態が落ち着いているかの確認)今回、すぐに針は入ったんだけど、その後が長かった。大人でも泣きたくなるレベル。針を動かすっっ。ただでさえ、手の甲。あやたん、終始、号泣。話せないあやたんに代わって言います。『看護師さんのヘタクソ〜〜!!!!』汗だくて、全身全霊で泣いたあやたん。予定外の採血のご褒美にケーキ。いつもは病院内のレストランで食べて帰るのだけど、この状況下なのでお持ち帰り。寒くて、痛い一日も、大好きなケーキで締めくくり!!
初日『修学旅行①』11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナのために変更。そして、コロ…ameblo.jp2日目『修学旅行②』初日はこちら『修学旅行①』11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナ…ameblo.jp2日目の夜はぐっすり眠ることができたあやたん。スッキリお目覚め。天気予報通り、寒い寒い朝。前日との気温差がすごすぎる。3日目の行き先は、平川動物園。あやたんより、私が一番行きたかった場所。なにせ40年ぶり!!(鹿児島市には父の転勤で2年間在住)私の母曰く、歩いて行ったこともあるよ、と言われたけど、そのことは全然、覚えてない私。(動物園には何度か行ったはず)でも、このシーンはよく覚えてる。生まれたばかりのオランウータンの公平くん。私は小学生だったから抱っこをさせてもらえなかった。ちょっとワクワクしながら、ホテルから通っていた小学校の横、通学路を通って動物園に向かった。そして、動物園の駐車場でみんなと合流。私は初日にお会いした先生と再び合流。この日は奥さま、娘さんもご一緒だ。ということで、ここからは大人の遠足タイム!!私の中に残っている動物園の印象は、門を入ってすぐのアフリカ草原ゾーン。やっぱり当時は子どもだったんだな。もっともっと広大な気がした。大人になって思い出の場所に来ると、よくある「あれ?こんなに小さかった?」「あれ?こんなに狭かった?」だ。さて、公平くんは、1992年に死去。今は、ポピーくん。青い空によく映える。初めましてコアラさん。鹿児島に居た当時は、コアラの受け入れが決まり、工事が始まった時だった。だから、コアラを見るのは今回が初めて。大人だけで気ままに散策していると、あっちから、こっちから、あやたんの車椅子を押して疾走していく一団に何度となく遭遇。順路なんてお構いなしだ。(その一団の後をついて行かなければいけない学校の先生は大変そう)よく考えたら、STの先生方ご家族と一緒に写真を撮ってないではないかヽ( ̄д ̄;)ノ2時間の動物園を楽しんで、先生ご家族とはここでお別れ。私たちは、昼食会場に移動。コロナ対策のため、昼食会場は二カ所に分かれる。お昼ご飯は「鶏飯」。奄美の郷土料理。もちろん、生徒とは離れて、バスの運転手さん、ガイドさんたちが食べる部屋にていただいた。あやたんの口にあったらしく、先生曰く、「よく食べた」そうだ。早めに食べ終え、売店でお買い物。懐かしい味、見っけ♡実は、奄美群島の一つ、徳之島にも転勤で住んだことがある。みそピーナツ。あやたんも気に入ったようで、帰宅後、ポリポリと食べていた。大島紬。大物は買えないから小さな物を。家にある大島紬の反物。どうしようかなと思っていたけど、なるほどこんな風にバッグや雑貨にするという手もあるな〜と思いながら店内をウロウロ。誰かに頼もー(私には「作る」という才能はないから)修学旅行のプログラムはこれで終了。ここで、駅に向かうみんなとバイバイして、一路、学校へ。桜島、バイバーイ!!そして、なんとか解散式に間に合った\(^^)/無事に2泊3日の全行程を終了。翌日は、珍しくゆっくり眠ったあやたん。その後の体調も問題無し。普通なら、同じ質問を何度もすると怒っちゃうけど今回は、何度「楽しかった?」と聞いても、怒らずに「はい!!」と返事をしてくれる。よほど楽しかったんだと思う。三日間、運転手をしてくれたパパもおつかれさまでした。
初日はこちら『修学旅行①』11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナのために変更。そして、コロ…ameblo.jp前の晩、眠りが浅く、朝食もあまり口にせず、先生は心配したけど、顔色もSpO2もOK。寝不足と便秘だな〜、これは。ちなみに朝食。さつま揚げあるけど、やっぱりお子さま仕様。(事前に聞いてはいたけど)修学旅行2日目は班別自由行動。一緒にホテル玄関前で写真撮影。その後、第一目的地に向け、車で移動。全部徒歩なら一緒に行かせたけど、市電使う予定らしいので。第一目的地は、水族館。↑写真は先生からもらったものを加工してみた。なんかいい感じ。もちろん、私たちは別行動。一体、何年ぶりだ?二人だけって。とは言え、時間が気になりゆっくりは見てられない。多分、もう少しゆっくり見つめていたい感じだったけど笑と言うのも、この後、フェリーに乗って桜島に行くと言う。(フェリーはデッキだから皆んなと一緒)あやたんの、キャーキャー言う声が聞こえてくる。一番上のデッキも階段を上がって行き、先生二人に挟まれてベンチに座っていた。(写真撮り忘れ、残念)足湯中↓手も突っ込んで水遊びが始まりそうで焦った。(水遊び、大好きさん)とにかく暑かった。あやたんも制服の上着を1枚脱いだ。ん?なんだか、あやたんの顔が汚れてる。なるほど、火山灰の道を車椅子で走るので、そのタイヤを触る手やシャツの袖口は真っ黒。顔も触るから火山灰まで顔まで真っ黒。よく見たらスカートもなかなかの汚れ。写真に撮れば良かった。道の駅では、あやたんも、みかんソフトを堪能。私は、いも飴を見つけて、「懐かしい〜!」と、思わず購入。実は小学生の頃、父の転勤で鹿児島市に2年住んでいたことがある。桜島大根のかわりにお漬物とふりかけも購入。もちろん、私たちもみかんソフトを食べた。(桜島大根 当時の社宅にて)再びフェリーに乗って、鹿児島港へ。ここから、みんなは天文館に向かい、昼食にラーメン、白熊を食べに行く予定。一旦、ここでみんなにバイバイ。一緒の食事はリスクが高いので、あやたんはホテルで昼食・休憩。暑さでぐったりして、その意味でもこの予定にしておいて正解だった。休憩し、復活したので、お土産買いとお散歩に、いざ天文館へ!やっぱり、不思議とちゃんとみんなに会うよね。予定していた集合場所、集合時間を前に自然と合流し、ホテルに戻った。さすが!!部屋でお風呂に入り、灰で汚れた顔も綺麗にして天文館で買ったさつま芋入りのさつま揚げをちょっとつまみ食い。(私が食べたくて買ったけど、子どもの時の記憶とちょっと違ったなー)夕食、班会へ。夕食を食べに行く時、ロビーでの様子がチラッと見えたけど、何やら楽しそう。この日のプラス1はシチューとフライドポテト。おじさん、おばさんには多かった笑さすがに夜はあやたん、ぐっすり熟睡。2日目、おつかれさまでした。
11月26、27、28日2泊3日 修学旅行&影武者旅行で鹿児島へ。元々は9月に予定されていたのだけど、行き先(民泊)も日にちもコロナのために変更。そして、コロナ感染対策のため、影武者として私も同行。新幹線、観光バス、自由行動での市電などの交通手段を利用させないため、全ての移動手段として自家用車を出動。なにせ、マスクしない子さん。そして、全介助っ子。加えて、手はすぐに口の中(つまり、そこら辺を触っては除菌する間もなく口の中)。学校でも給食は、今まで交流級で食べていたのを、人数が少ない支援級になってるし、休憩時間の廊下が密になる時間を避けてるし、プライベートでも公共交通機関も、大好きなショッピングモールもずーっと連れて行ってない。移動だけでなく、お互いマスクを外すであろう入浴と就寝も、こちらで引き受けることにした。5年生の自然教室、6年生の修学旅行、去年の自然教室もやれたので、もちろん今回もそのつもりだったけど、今回ばかりは過保護になりすぎても、し過ぎることはないと。学校側も、体調不良などの緊急時は、今回は保護者に迎えに来てもらうことになるとのことになった。一般生徒でも今年は対応がいつもとは違う。そんな中での修学旅行。出発の数日前、このところの関東関西での感染急拡大の報道に、急に中止にせざるを得ない状況にならないか心配だと校長先生は言っていた。それは、きっと、みんな、同じだったんじゃないかな。そして、無事に修学旅行出発日!!!みんなと一緒にグラウンドに集合し、出発式。みんながバスに乗り込むタイミングで、自家用車に乗り込み、いざ、出発!!この時の、「え??なんで私はバスじゃないの??」の表情に一気に変わったのを見て、修学旅行にみんなと一緒に行くことを理解してるし、楽しみにしていることも分かり嬉しかった。さぁ、急がないと第一目的地に間に合わない。(今回、パパが運転手を買ってでてくれた。九州全域、車で営業に走り回ってるからね)途中、途中、先生とクラスのみんなの様子を中継してもらいながら、鹿児島まで車を走らせ4時間。間に合ったー!第一目的地の知覧。みんなをお出迎え。ここで昼食。あやたんは、みんなと食事。私たちは別室にて同じものをいただいた。鹿児島に引っ越されたお世話になっていた言語聴覚士の先生と合流し、しばし、大人だけの時間。昼食後は、知覧特攻平和会館。私たちも平和会館へ。知覧特攻平和会館当サイトは、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館の公式サイトです。大東亜戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しています。www.chiran-tokkou.jp会館内の遺書、写真を見ていると込み上げてくるものがある。昔見た、特攻ピアノの映像が蘇る。同行してくださった先生(元々、鹿児島の方)も説明を添えてくださった。ご親戚の写真もこの中にあるらしい。…つまり、特攻隊のお一人。ガスコーヒーにてしばし休憩。戻ってきた。先生とはここでお別れして、ここからはバスのあとについてホテルへ。温泉の大浴場があるのだけど、今回は、子どもたちも部屋のユニットバス。例年のように全体レクリエーションなどもできないらしい。あやたんも私と部屋でお風呂に入り、その後、食事、班会などに送り出し、私たちも夕食。(ユニットバスの入浴介助は辛かった。先生に頼まなくて正解。慣れない人は大変すぎる狭さ)もちろん、子どもたちと同じもの。カレーが付いているところがお子さまメニューだ笑。(食べ盛り男子はこれでも足りないのかも)夕飯のあとは、女子部屋で盛り上がって帰ってきた。(先生から送られてきた写真が大爆笑の笑顔)おやすみなさい…。残念ながら、あやたんは、枕が違う、真っ暗じゃない、換気扇の音がするetc なかなか眠れずにいた。
11月15日 22時21分在胎週数23週1日 体重452gアプガースコア1/3の重症新生児仮死今にも消えてしまいそうな状態で生まれた娘がお転婆な14歳になりました。今年の誕生日プレゼントは、人生最大のプレゼント(大きさがね)好きなんです。ぴょんぴょん跳ねるのが。だから、トランポリン!!!↓↓東急スポーツオアシス トランポリン Active 36インチ ゴムバンド式 トランポリンエクササイズAmazon(アマゾン)9,350円この足が入り込まないというのが、ポイント高し!一人では立てない、歩けないあやたんですが、自分で乗り降りできる高さ。そして、ばあちゃんからもらった、音が出るバースデーカードに大興奮。だって、大好きなミッキー、ミニーの声なんだもん。彼女の笑い声は、周囲を幸せにしてくれます。そして、そんな今日、母は14年を振り返ってお話しする機会をいただきました。(@日本タッチケア協会)さあて、どんな1年になるのかなぁ。
新しい体幹装具(DSB)が完成。右が昨年春に作ったもの。左が今回。約1年半で作り替えとなった訳だけどつまり側弯、悪化。もちろん、背が伸び、身体が大きくなったのもあるそれ以上に側弯が悪化した。重力に負けてる感あり。と言うのも臥位でレントゲンを撮ると、カーブが少し改善されるから。コロナ禍 自粛期間の影響は大きすぎた。だって、学校も休校になった上にリハビリも全てストップ。運動量の激減筋肉の硬直しかも背が伸びて骨は伸びても筋肉が比例していかない家でどんなにマッサージしても追いついていなかった。身体にとってかなりのダメージ。側弯だけでなくハムストリングもかなりのもの。もうパッツン パッツン で ビンビン膝が真っ直ぐに伸びない…の角度がひどくなっている。左が自粛期間直前の今年春右が9月。ちなみに、お友だちも側弯が進み、春に手術することになった。顔を合わせるたびに、お互い、はぁぁ〜と深いため息のママふたり。半身麻痺で、左の手足しか使わない目も左眼でしか見ないからますます傾く側弯が進むと、心臓や肺などを圧迫し、呼吸や食事にも影響が出てくる。だからなんとしても、なんとしても…。側弯対策をした新しい車椅子とこのコルセットでなんとか頑張れたらよいな。