トランプのゴーストライター、良心の告白

支持者たちがドナルド・トランプに投影しているのは、「米国に威信を取り戻す強いリーダー」像だ。そしてその姿のルーツは、1987年に刊行されベストセラーとなった『トランプ自伝』にこそある。しかし、本をすべて執筆したというゴーストライターが、その人物像はまったくの偽りだと『ニューヨーカー』誌に告白した。大統領選の投開票を前に、次々に露わになるトランプの実像。その暴露は、自伝発売から29年目のこの告白から始まった。
トランプのゴーストライター、良心の告白
ILLUSTRATION BY by JAVIER JAÉN

*[#image: /photos/61e9b2ad4ced29ceda8cfcb1]

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天才的なビジネスセンスの持ち主にして、頼りになる好人物──トニー・シュウォルツの筆による『トランプ自伝──不動産王にビジネスを学ぶ』(原題:The Art of the Deal)は、まさにそんなドナルド・トランプ神話をつくり上げた。そしていま、シュウォルツはそのことを心から悔やんでいる。

2015年6月のある夕暮れ、ニューヨーク州リヴァーデイルの広大な自宅に至る緑豊かな小道で、トニー・シュウォルツはノートパソコンを取り出し、その日発表されたビッグニュースを読んだ。ドナルド・J・トランプの大統領選出馬のニュースだ。動画のなかで熱弁をふるうトランプを見て、これは他人事ではないとシュウォルツは感じ始めた。

1985年の末から

18カ月にわたり、
シュウォルツはトランプと
行動をともにした。
家族を除けば
誰よりもトランプのことを
よく知っている
のではないか
と思えるまでになった。

「いまアメリカには、この本を書いた男のような指導者が必要だ」。ニューヨーク5番街にそびえるトランプタワーのロビーに集まった聴衆を前に、トランプはいかに自分が大統領候補にふさわしいかを力説していた。

ならば、立候補するのはトランプではなく自分であるはずだ、とシュウォルツは思った。彼は、すぐに次のようにツイートした。「ドナルド・トランプに多大なる感謝を。彼は、ぼくに立候補の資格があると教えてくれた。なぜなら、『トランプ自伝』を書いたのはこのぼくなのだから」

実際のところ、1987年に出版され大ベストセラーとなったこの自伝のほとんどすべてを執筆したのが、シュウォルツだ。シュウォルツは共著者として表紙に名を連ね、契約金50万ドルと印税それぞれの半分を報酬として受け取った。本は爆発的に売れ、『ニューヨーク・タイムズ』では48週ベストセラー入りし、1位を13度獲得した。売り上げは100万部を超え、印税は数百万ドルにのぼった。トランプの名はニューヨーク内外に広く知れ渡り、成功した実業家の代名詞になった。シュウォルツがライターを務めていた『ニューヨーク』誌の元編集者で発行人のエドワード・コスナーは言う。「トニーがトランプをつくった。トニーこそがフランケンシュタイン博士だ」

1985年の末から18カ月にわたり、シュウォルツはトランプと行動をともにした。トランプのオフィスに入り浸り、ヘリコプターに同乗し、会議にも同席し、週末はマンハッタンのマンションやフロリダの豪邸でともに過ごした。家族を除けば誰よりもトランプのことをよく知っているのではないかと思えるまでになった。

件のツイートを投稿するに至るまで、30年近くシュウォルツは沈黙を守った。ゴーストライターをやりたくてやったわけではなかったし、トランプと縁が切れたことを喜んでいた。だが、大統領候補として45分ものあいだ弁舌を振るうトランプの動画を見て何かがおかしいと感じた。ひょっとして、トランプは30年のあいだずっと、自分ひとりであの本を書いたと信じ込んでいるのではないか? シュウォルツは当時を回想しながらこう言う。「どんなに見え見えの嘘だろうと、いちど嘘が通ると、トランプは、あらゆることを嘘で塗り固めるのです」

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シュウォルツは、まさかトランプの選挙キャンペーンが成功するとは思いもしなかったので、さほど気にかけることもないと自分に言い聞かせていた。

だが、演説の終盤になってトランプがメキシコ移民を「レイプ常習犯」と罵倒したとき、シュウォルツは不安に襲われた。かつてトランプをそのすぐそばで何百時間も観察したシュウォルツは、トランプの見せかけの長所と致命的な欠点を知り尽くしている。だが、多くの米国人はトランプのことを天才的なビジネス感覚をもった、口は悪いが憎めない大物実業家だと思っている。

これこそ、シュウォルツがつくり上げたトランプ神話だ。例えばその自伝には、「自分の直感を信じろ」というトランプの言葉とともに、ろくに下見もせず買収したホテルで何百万ドルも稼いだというエピソードが記されている。

選挙戦を

見るのが苦痛だった。
もし自分が
何も言わないまま
トランプが大統領に選ばれたら、
一生自分を許すことが
できないだろう。
シュウォルツは
覚悟を決めた。

それから数カ月が経ち、大方の予想に反してトランプが共和党の第1候補にのし上がっていくと、事実をはっきりさせておきたいという思いがシュウォルツのなかで高まっていった。シュウォルツはかなり前からジャーナリズムの世界を離れて、「フィジカル、エモーショナル、メンタル、スピリチュアルな面で顧客をサポートし、生産性を高める」コンサルタント企業、エナジープロジェクトを設立していた。起業は成功し、フェイスブックをはじめとする多くの企業を顧客として抱えている。

政治には関わるなと同僚たちから助言されたものの、もしトランプが大統領になったらと思うとシュウォルツは恐怖に苛まれる。それはトランプの政治的主張ゆえではない。むしろ、トランプにひとつでも政治的主張があるか疑わしいものだとシュウォルツは考えている。それよりも問題なのは異常なほど衝動的で自己中心的なトランプの性格だと、シュウォルツは言う。

トランプの秘密を暴露する記事を発表しようかとも考えた。だが、かつて『トランプ自伝』を書いて報酬を得たという事実があるため、その信憑性や動機を疑われることになるかもしれないと思うと躊躇せずにはいられなかった。選挙戦を見るのが苦痛だった。もし自分が何も言わないままトランプが大統領に選ばれたら、一生自分を許すことができないだろう。シュウォルツは覚悟を決めた。そして2016年6月、彼は沈黙を破り、ゴーストライター時代に知ったトランプの真の姿について、初めてインタヴューに応じたのだ。

「トランプに対する世間の注目を集め、実際よりも魅力的な人物に見えるよう大げさに飾り立ててしまいました。いまはあの本に協力したことを深く後悔しています」とシュウォルツは言う。「もしトランプが大統領にでもなって核ミサイル発射コードを手に入れたなら、文明社会は崩壊しかねません。そう本気で思っています」

もしいま、トランプ自伝を書くとしたら、内容もタイトルもまったく違う本になるだろうと、シュウォルツは言う。どんなタイトルになるかという問いに、シュウォルツはこう答えた。『Sociopath』(社会病質者の意)だ、と。

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そもそも、自伝の企画を出したのはトランプでもなければシュウォルツでもない。当時ランダムハウスを傘下に擁し、また『ニューヨーカー』誌の発行元コンデナストの親会社でもあるアドヴァンス・パブリケーションのオーナーで、メディア界の大物として知られるサイ・ニューハウスのアイデアだった。

「サイ・ニューハウスは、間違いなくほぼ彼ひとりであの本を企画した」と、『トランプ自伝』の編集を担当したピーター・オスノスは言う。それ以前に、同じくコンデナストの雑誌である『GQ』誌がトランプの特集記事を組んでおり、その売れ行きがきわめてよかったことにニューハウスは注目したのだ。

ニューハウスは電話で、そして直接トランプのもとを訪れてこの企画について話し合った。一連の打ち合わせと並行して、ランダムハウスは着々と準備を進めていた。ある時、ランダムハウス社社長(当時)のハワード・カミンスキーは、分厚いロシア小説に仮の表紙を付けた見本を持っていった。表紙にはヒーローのように不敵にほほ笑むトランプの写真、その上に金色のブロック体ででかでかとトランプの名が輝いている。カミンスキーによれば、トランプはこの見本を大いに喜んだが、「わたしの名前をもっと大きくしてくれ」と注文をつけたという。契約金は50万ドルで合意し、トランプは契約書にサインした。

新進気鋭のジャーナリストだったシュウォルツがトランプタワーのトランプのオフィスを訪ねたのはそのころだった。

「ぼくなら、

『The Art of the Deal』という
タイトルにしますね。
そうすれば
読者は食いつきますよ」
「それ、いいじゃないか」
トランプは同意した。
「あんたが書いてみないか?」

それ以前にもシュウォルツはトランプの記事を手がけたことがあった。1985年の『ニューヨーク・マガジン』誌に掲載された「知られざるドナルド・トランプの物語」という記事だ。この記事で、シュウォルツはトランプを輝かしいカリスマ経営者としてではなく、セントラルパークサウスのマンションを買収したものの家賃統制条例のために家賃を値上げできず、ホームレスを建物に住まわせるなどあの手この手の嫌がらせで住民を強引に追い出そうとして失敗した間抜けな不動産王として面白おかしく描いた。その号の表紙には、無精髭の生えた顔を汗で光らせた不機嫌そうなトランプの顔がでかでかと載った。

だが、シュウォルツにとっては驚くべきことに、トランプはこの記事をすっかり気に入ってしまったのだ。トランプはこの表紙をオフィスの壁に飾り、金色の型押しがされた専用の便箋でシュウォルツに礼状を送った。「会う人会う人、皆があの記事を読んでくれているようだ」と、トランプは嬉しそうに書いていた。シュウォルツはまだその手紙を持っている。

「これにはショックを受けました」とシュウォルツは言う。「トランプはそれまでに出会ったどんなタイプの人間とも違っていました。彼は、有名になることに取りつかれていました。そして、そのためであれば何を書かれても平気だったのです」。そして、次のように続けた。

「トランプがとる態度は、『おまえはクズだ、嘘つきのクソ野郎だ』と相手を罵倒するか、『おまえは最高だ』とおだてるか、この2つしかありません。そして、わたしに対しては『最高』のほうだったということです。トランプは大物扱いされ、表紙に顔が載ることが何より嬉しいようでした」

シュウォルツは当時、トランプに返事を書いている。「長年いろいろな人物の記事を書いてきましたが、あなたの記事がいちばん書き甲斐がありました」と。

それをきっかけに、シュウォルツは再びトランプの記事を書くことになった。今度は『プレイボーイ』誌のインタヴュー記事だ。だがトランプはそっけない言葉で話をはぐらかすばかりで、シュウォルツは物足りなく感じた。「彼はもったいぶって、わたしの質問に答えようとしませんでした」とシュウォルツは言う。ようやく20分たったころ、トランプは、身の上話をするつもりはない、金になりそうな出版契約にサインしたばかりなので、ネタはその本にとっておくつもりだ、と言った。

「どんな本ですか?」とシュウォルツは訊ねた。

「わたしの自伝だよ」とトランプは答えた。

「あなたはまだ38歳でしょう? 自伝を書くには早いんじゃないですか?」。シュウォルツは冗談めかして言った。

「まあ、そうかもな」とトランプは言った。

「ぼくなら、『The Art of the Deal』というタイトルにしますね。そうすれば読者は食いつきますよ」

「それ、いいじゃないか」トランプは同意した。「あんたが書いてみないか?」

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シュウォルツは何週間も悩んだ。これが悪魔との取引だということはわかっていた。生粋のリベラル派であるシュウォルツとしては、金儲けのためならどんな冷酷な手段もいとわないトランプの肩をもつのは耐えがたかった。

「人生のなかで心が天使と悪魔に別れることは何度もありました。あのときも、そのひとつでした」とシュウォルツは言う。マンハッタンの裕福で知的な家庭に育ち、エリート私立学校に通ったシュウォルツだったが、彼の周りにはさらに裕福なクラスメイトが何人かいた。彼らとは違い、シュウォルツには財産と呼べるものがなかった。「恵まれた家庭に生まれたのは確かですが、両親の教育方針ははっきりしていました。つまり、『自分のことは自分でやれ』ってことです」

ゴーストライター

などというものは
金目当ての
不毛な仕事に思えた。
だが、シュウォルツは
結局金を選んだ。

トランプからゴーストライターのオファーがあったころ、シュウォルツの妻デボラ・パインズが2人目の娘を身ごもり、住んでいるマンハッタンのアパートが手狭になるのではとシュウォルツは心配していた。当時のローンですらすでに負担になっていたというのに。

「金のことを気にしすぎていたかもしれません」とシュウォルツは言う。「金さえあれば生活も安定し、安心できると思ったのです。あるいは、そう考えることで自分を正当化しようとしていたのかもしれません」

だが、もし金を受け取ってトランプの言いなりになったなら、それはジャーナリストとしての経歴に大きな汚点となるだろうとも思った。トム・ウルフやジョン・マクフィー、デイヴィッド・ハルバースタムのような文学的ノンフィクション作家たちを敬愛するシュウォルツにとって、ゴーストライターなどというものは金目当ての不毛な仕事に思えた。だが、シュウォルツは結局金を選んだ。契約金と印税のそれぞれ半分を貰えるなら引き受けると、彼はトランプに告げた。

一介のゴーストライターにはありえない高額な報酬にもかかわらず、交渉の達人という名声とはうらはらに、トランプはあっさりとその条件を飲んだ。「想像以上に割のいい仕事でしたが、我が身を金で売ったんだと分かっていたのです。結果、わたしのしたことをうまく言い表すぴったりの呼び名がつきました」。“元ジャーナリストのトニー・シュウォルツ”。風刺雑誌『スパイ』は、彼をそう呼んだ。

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『トランプ自伝』を書くのは楽な仕事に思えた。内容はいたって単純、トランプの数々の不動産取引を時系列順に紹介し、ビジネスで成功するための決めゼリフをいくつかちりばめ、あとはトランプのバイオグラフィーで埋めればいい。シュウォルツは毎週土曜日の午前中にトランプにインタヴューし、ネタを集めようと考えた。だが、最初のインタヴューから計画通りには進まなかった。

トランプはまず、シュウォルツを、これからシュウォルツの住居となるトランプタワー最上階の大理石尽くめの金ぴかな部屋に案内した。生活感のないその部屋は、まるでホテルのロビーみたいだった。そのあとでインタヴューを始めたが、会話はすぐに途切れた。ほどなくシュウォルツはトランプの重大な特徴のひとつに気づく。「この男には、集中力というものがない」

シュウォルツの記憶では、当時のトランプはレポーターたちに対してわりに愛想がよく、求めに応じて読者や視聴者が喜びそうな簡潔で豪快な発言を提供していた。『ニューヨーク・マガジン』誌のインタヴューでも協力的だった。だが、そのときは短いインタヴューだったし、考えこまなければならないような質問もなかった。しかし、自伝となるとじっくり思い出さなければならないことも多い。シュウォルツはトランプの少年時代についてあれこれ質問した。だが、トランプはスーツとネクタイで2、3分座っているだけでいらいらと不機嫌になるのだった。

まったく落ち着きがなかったと、シュウォルツは回想する。「教室でじっとしていられない幼稚園児のようでした」。いくら訊ねても若いころのことをほとんど思い出せないようで、あからさまに面倒くさそうなそぶりを見せた。予定していた時間よりもずっと早くインタヴューを打ち切らざるを得なかった。次の週も、また次の週も同じことが繰り返された。シュウォルツは少しずつインタヴュー時間を延ばそうとしたが、それでもやはりおかしいくらいに断片的でとりとめのない情報しか得られずにいた。

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「トランプについては、ありとあらゆることが書かれてきました。ですが、『トランプとは何者なのか』という根本的な問いにきちんと答えられた者はいません」とシュウォルツは言う。「トランプについての膨大な記事から、漠然と感じ取ることはできるかもしれません。ただ、明確にとらえるのは不可能でしょう。少なくともわたしは、そのような記事を見たことがありません。というのも、トランプはどんな話題でも5分も集中できないのです。自己顕示欲を満足させる話題であればともかくですが、それにしたって…」。シュウォルツは言い淀み、言葉が見つからないかのように頭を振った。

大統領候補として、トランプの集中力の欠如は非常に危険だとシュウォルツは考えている。「トランプがホワイトハウスで報告を受けなければならない状況に陥ったらと思うとゾッとします。トランプは長時間集中するのが不可能な人間ですから」

しかし、最近筆者がトランプに行った電話インタヴューでは、彼は自分には危機管理においてもっとも重要なスキル、すなわち相手から合意を引き出す能力があると語っていた。トランプによれば、最近の大統領たちには彼のような粘り強さや駆け引きの手腕が欠けていたという。そして、だからこそさかんに『トランプ自伝』をアピールしているのだと言う。「中国との貿易赤字やイランとの外交を見るがいい。おれは駆け引きを通じて未来を切り開いてきた。おれならやれる。それも、手際よく。これがおれのやり方だ」と。

だが、シュウォルツは、その集中力のなさを根拠にトランプの知的水準が「きわめて浅く、恐ろしいほど無知」だと考えている。「トランプの情報源は、なによりもまず、テレビです。情報が理解しやすいフレーズで流れてきますからね」。そして、こう付け加えた。「トランプが成人してから本を1冊でも最後まで読み通したことがあるか、心底疑問です」。(自伝を執筆するために取材を続けた)18カ月の間、トランプを間近で観察していたが、シュウォルツはトランプのデスクにもオフィスにも住居にも、1冊の本も見かけなかったと言う。

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トランプは明らかに読書に関心がない。それに気づいたジャーナリストはほかにもいる。今年5月、FOXニュースのキャスターのメーガン・ケリーはトランプに対して聖書と『トランプ自伝』以外に好きな本があるかと質問しているが、トランプは1929年の小説『西部戦線異状なし』を挙げている。だが、それを読んだのはずっと前のことのようだったので改めて最近読んだ本について訊ねると、トランプはこう言った。「文章の一節を読んだり、ところどころ拾い読みしたりしてるんだ。そのうち何章かまとめて読むつもりだが、時間がなくてね」

政治雑誌『ニュー・リパブリック』誌は、このようなトランプの態度は、話題の新刊書には常に目を通しているバラク・オバマや、側近のカール・ローヴと熾烈な読書競争を繰り広げたことが話題となったジョージ・W・ブッシュをはじめとする多くのアメリカ大統領とはずいぶん違うとコメントしている。

トランプの最初の妻イヴァナは、アドルフ・ヒトラーの演説集『我が新秩序』がトランプの寝室にあったと主張している。この話を裏づけるように、トランプの友人で当時パラマウント社幹部だったマーティー・デイヴィスは、1990年に行われた『ヴァニティ・フェア』誌のマリー・ブレナーによるインタヴューで、「トランプなら興味をもつと思って」彼に『我が新秩序』を贈ったと述べている。ブレナーはトランプにも取材したが、トランプはその本をヒトラーの別の著作『我が闘争』と混同していた。どうやら題名すらろくに見ていなかったらしい。「その演説集を持っているとは言っていないが、もし持っていたとしても、そんなものは読まんよ」とトランプはブレナーに言った。

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行き詰まったシュウォルツは、トランプからもっと多くの材料を引き出そうと策を練った。そしてフロリダ州パームビーチにあるトランプの別荘「マール・ア・ラーゴ」で週末をともにしよう、そこなら邪魔も少ないだろうと考えた。ふたりが庭で話していると、イヴァナが不機嫌そうにそばを歩いていった。明らかに夫の限られた余暇をシュウォルツが奪っていることにいらだっている様子だった。トランプはまた落ち着きを失ってしまった。土曜日の朝、トランプはとうとう「キレた」と言った。席から立ち上がり、もう質問はたくさんだと宣言したのだ。

シュウォルツは用意された自室に行き、著作権エージェントのキャシー・ロビンズに電話をかけ、もう自分には書けないと告げた(ロビンズもこのことを認めている)。だが、ニューヨークに戻ると別の作戦を思いついた。普段の言動をすぐそばで記録するのはどうだろう。仕事に同行し、さらにオフィスでの電話も聞かせてもらうのだ。

このアイデアを伝えると、トランプは快諾した。それ以来、シュウォルツはトランプタワーのオフィスで常にトランプから2、3mの距離をとって座り、電話があればその内容を内線で盗み聞きした。銀行員も弁護士も株式仲買人もジャーナリストも、誰ひとりとして電話の内容が第三者に聞かれているとは知らされなかったとシュウォルツは言う。

日記にも、

トランプの性格を
目の当たりにした
シュウォルツの驚愕が
綴られている。
大衆の注目を浴びたい
という欲望だけが
トランプを突き動かしている
ようだ、と。

電話はいつもすぐ終わった。ひっきりなしにかかってくる電話を秘書がうまく取り次いでいた。トランプが誰かと話しているあいだ、しょっちゅう秘書が入ってきて、次は誰から電話がかかってきているかを書いたポストイットを貼っていった。

「人々はトランプにみごとに翻弄されていました」とシュウォルツは回想する。ビジネスの電話で、トランプは時に相手をおだて、時に威張り散らし、そして時に激怒した。だが、それらはすべて計算づくだった。

「話の最後に、トランプは最近の自分の成功を相手に知らせたがった」とシュウォルツは言う。電話を切るとき、あいさつがわりにいつも「おまえは最高だ!」と言った。シュウォルツに聞かせないようなプライヴェートな電話は1本もなかった。「トランプは、注目を浴びるのがとにかく嬉しいのです」とシュウォルツは言う。「できれば30万人くらいに聞かせたかったんじゃないでしょうか」

今年になって、「トランプには本当はもっと思慮深くて繊細な面もあるのだが、選挙戦ではあえてそれを隠しているのだ」という意見をシュウォルツは耳にした。「そんなわけがありません」と、シュウォルツは断言する。「あれがありのままのトランプの姿です」。いまだからそう言うのではない。『トランプ自伝』取材の間につけていた日記にも、トランプの性格を目の当たりにしたシュウォルツの驚愕が綴られている。大衆の注目を浴びたいという欲望だけがトランプを突き動かしているようだ、と。

1986年10月21日には、日誌に「トランプはこれみよがしにドスドス足を踏み鳴らしているだけだ。注目を浴びて、自分を実際より大物に見せようとしているだけで、実際にはどこにも歩みを進めているわけではない」と記している。だが、その数日後にはこうも書いている。「トランプをただ嫌な奴だとか、ましてや上っ面だけのホラ吹きだと書くよりも、不自然であろうが寛大な性格だと書いたほうがずっと売れるのだろう」

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会話を盗み聞きすることでインタヴュー問題は解決したが、別の問題が生じた。電話での商談が終わると、シュウォルツはトランプにいくつか補足質問をする。それから別の関係者に取材してトランプから得た情報に肉付けしようとするのだが、関係者からの情報とトランプの言葉があからさまに食い違うことがよくあったのだ。

「トランプは口を開けば嘘をつくのです」とシュウォルツは言う。「わたしの知る誰よりも、彼は、いついかなるときでも自分が言うことはすべて本当であるか、あるいは少なくとも本当であるべきだと信じてしまう能力をもっているのです」

トランプがシュウォルツについた嘘は、金に関することが多かった。「何をいくらで買ったとか所有するビルの時価がどれくらいだとか、買収したカジノがどれくらいの収益をあげているかとか。そのカジノは、本当は破産寸前だったのですが」

大豪邸「マール・ア・ラーゴ」をたった800万ドルで手に入れたというのがトランプの自慢だったが、それと一緒にビーチ沿いのショッピングモールを目の玉が飛び出るような値段で買ったことは隠していた。チャールズ王子がトランプタワーの物件の購入を検討しているとゴシップ雑誌が誤って報道したときは、どこからそんな噂が立ったのか見当もつかないと言い張った(『トランプ自伝』には「それはそれでよい宣伝になった」と書かれている)。だが、そのガセネタを流したのはほかならぬトランプ自身だったことが『ヴィレッジヴォイス』誌のウェイン・バレットの調査で明らかになった。

ほかにもそのようなメディア操作をしているのではないかと疑い、シュウォルツは巷に出回る噂についてトランプに質問してみた。あなたは匿名でマスコミに情報をリークしているようですね──トランプはこの噂を否定するかわりに、ニヤニヤ笑ってこう言ったという。「面白い話だよな?」

トランプの

素顔の上に、
もっと人当たりのよい
仮面を被せなければ
ならないと
シュウォルツは思った。
巧みに言葉を言い換え、
読者によい印象を
与えるようにした。

シュウォルツは言う。「トランプの嘘は口から出まかせではなく計算づく。人をだますことに何の良心の呵責も感じていないのです」。多くの人は事実と違うことであれば口に出すのをためらうものだが、トランプは事実かどうかといったことをまったく気にしないのだ。「トランプの得体のしれない自信は、そこからきているのでしょう」

発言が事実と違うと指摘されると、トランプはしばしばギャンブルでいう“倍プッシュ”をしたと、シュウォルツは言う。つまり、意見を変える代わりに喧嘩腰で自分が正しいと強弁するのだ。トランプのこの性格は、最近もテレビで見られた。トランプがツイッターに上げたヒラリー・クリントンを批判する画像に、白人至上主義者のウェブサイトから盗用したユダヤ教のダビデの星が含まれているとしてユダヤ人差別を非難されたときだ。トランプ陣営はすぐにその画像を削除したが、その2日後、ユダヤ人差別の意図などまったくないとトランプが猛烈に反論した。薄っぺらな虚栄心が危うくなるとますます強引に我を通そうとする。それは国のリーダーにふさわしい素質とはいえない、とシュウォルツは言う。

『トランプ自伝』を書き始めたとき、事実をないがしろにするトランプの素顔の上に、もっと人当たりのよい仮面を被せなければならないとシュウォルツは思った。巧みに言葉を言い換え、読者によい印象を与えるようにした。トランプの口を借りて、シュウォルツは読者にこう釈明している。「わたしは人々の空想に合わせて演技している。(中略)何よりも大きく、素晴らしく、見事なものがどこかにあってほしいと人々が願っているからだ。わたしはこれを“誠実な誇張”と呼んでいる」

しかし、いま、シュウォルツはこの言葉を否定する。「人をだますことが誠実であるはずがありません。“誠実な誇張”という言葉は矛盾に満ちています。『あれは嘘だ、文句あるか?』という意味を別の言い方に置き換えただけです」。実際、トランプは“誠実な誇張”というフレーズを気に入っていたという。

トランプの言葉を本のなかでどのように好ましい表現に言い換えるか、そのプロセスがシュウォルツの日記に残っている。不愛想で乱暴で独善的な口調を真似ながらも、トランプを少年のように無邪気で魅力的な人物に描くための、一種の“トリック”だとシュウォルツは書いている。トランプが仕事を心から楽しんでいるように書いたのもそのひとつだ。「過ぎたことはくよくよ考えないようにしたい。ゲームに参加すること自体が最高にエキサイティングなのだから」と『自伝』のなかのトランプは言う。

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日記のなかで、シュウォルツは次のように書いている。「わたしが忌み嫌っているものを、トランプは好んでいる。それはつまり、人を押しのけることや、派手で下品な誇大妄想、あるいは、金では買えないものがあると考えもしないことだ」

『トランプ自伝』を読み返して、シュウォルツはこう言った。「わたしはトランプを実物よりもずっと魅力的なキャラクターに描いてしまったのです」。(自伝の)巻頭の文章はその好例だ。「わたしがこの仕事をしているのは金のためではない。金はもう使い切れないほど稼いだ。わたしは仕事をしたいからしている。わたしにとって取引とはアートに似ている。ある者はカンヴァスに美しい絵を描き、ある者は見事な詩を書く。わたしが愛するのは取引で、それもできるだけ大きな取引がいい。それがわたしの生きがいだ」

仕事そのものを愛する職人肌のビジネスマン──このトランプ像を、シュウォルツは鼻で笑った。「いうまでもなく、トランプにとっては金がすべてです。『おれはおまえよりリッチだ』と言うことが何よりも大事なのです」。取引を詩に例えていることについては、「トランプが詩を理解しているはずがありません。そもそも詩という単語を知っているかすらあやしいものです」

トランプを動かしているのは仕事への愛着などではなく、ただひたすら「金が欲しい、称賛されたい、有名になりたい」という尽きることのない欲望なのだとシュウォルツは言う。トランプとともに過ごし、想像を絶するような大金が動く取引を、まるでサーカスの皿回し芸人のように次から次へと積み重ねていくトランプを見て、シュウォルツは家に帰るとよく妻にこう言った。「トランプは生きたブラックホールだよ」

ゴーストライター

としての
シュウォルツは、
なんとかこの「犯罪とは
いえないにせよ、
少なくとも
モラル的には問題のある」
トランプの行動を
ごまかさなければ
ならなかった。

自分はトランプの自伝を書くために雇われたのであって、自分自身のことを書くためではない。シュワルツはそう自分に言い聞かせていたが、書けば書くほどその仕事に嫌気がさした。トランプと過ごす数時間は「しんどくて気が滅入る」とシュウォルツは日誌に書いている。

トランプは完全に「注目を浴びたい」という強迫観念にとらわれていて、大統領選に出馬したのもそのためだとシュウォルツは言う。「40年間、トランプはひたすらその欲望を満足させるためだけに生きてきたのです。何十年もマスコミの注目の的でいたトランプにとって、これ以上の注目を浴びるには大統領への立候補くらいしかなかったのです。もし“世界の皇帝”というものでもあったなら、トランプはまちがいなく立候補するでしょう」

シュウォルツは、『トランプ自伝』のなかのトランプをあらゆる面でヒーローのように描こうと手を尽くした。だが一見華々しいトランプの取引も、実態を知るとトランプをよく書くのは無理だというケースがいくつもあったとシュウォルツは言う。しかたなく、都合の悪い出来事やディテールはすべて無視しなければならなかった。「これはわたしのようなジャーナリストがする仕事ではないと思いました」とシュウォルツは語る。

明らかに不正と思われる取引もあったが、それも書かないようにした。トランプの初めての成功をさもよいことのように描くのは至難のわざだったとシュウォルツは1986年の日誌に記している。

1975年、トランプはニューヨーク、グランドセントラル駅に隣接するグランドコモドアホテルを買収し、その跡地にグランドハイアットホテルを誘致しようともくろんだが、そのためには大幅な減税措置が必要だった。開発業者への減税の可否を決めるのは市の予算委員会だが、委員長のリチャード・ラヴィッチは減税を却下した。ラヴィッチによればそのときトランプは「きわめて不適切な態度を取ったため、退席を命じなければならなかった」という。

最終的にトランプは減税を勝ち取ったが、それにはニューヨーク、クイーンズ区の大手不動産業者だったトランプの父、フレッド・トランプが長年にわたり市の有力者に莫大な寄付を行っていたことが大きかった。『ヴィレッジヴォイス』誌のウェイン・バレットが1991年に刊行した『トランプ、その取引と転落』には、「この減税措置はフレッドの政治的なコネがなければ不可能だった」と書かれている。加えて、トランプはこの事業計画に関して市から独占契約権を得たという事実無根のデマを流し競合企業を牽制した。

また、取引相手であるハイアットホテルチェーン経営者のジェイ・プリツカーもトランプに裏切られた。合意していない条件があったにもかかわらず、プリツカーがネパール山中にいたのをいいことに強引に契約を結んでしまったのだ。シュウォルツの日誌によると、この取引は「ほとんど始めから終わりまでビジネスのモラルに反していた」という。だがゴーストライターとしてのシュウォルツは、なんとかこの「犯罪とはいえないにせよ、少なくともモラル的には問題のある」トランプの行動をごまかさなければならなかった。

トランプがシュウォルツに語ったことには、まれに事実も混じってはいたが、ほとんどは自分を実際より有能に見せるためのホラ話だった。ホリデイ・インの親会社をアトランティックシティのカジノ経営のパートナーに引き込むため一芝居打った話はトランプのお気に入りのひとつだ。工事の遅れを気にするホリデイ・インの幹部を安心させるため、工事の現場監督に命じて、買収済みの空き地を「いまだかつてないほどに活発な工事現場」に見せかけたのだ。『トランプ自伝』によれば、ホリデイ・インの幹部が工事現場を訪れると、数え切れないほどのダンプカーやブルドーザーが土を運び、穴を掘っては埋めていた。その光景はまるで「巨大ダムの建設現場にいるようだった」という。

大胆なハッタリが取引を成功に導くと、トランプは主張する。だが、『自伝』の出版後、当時トランプが経営するカジノのコンサルタントだったアル・グラスゴー(故人)はこう言った。「あれはデタラメだよ」。ハッタリもひとつかふたつはあったかもしれないが、ダンプカーやブルドーザーを動員して取引を成功させたというのは嘘だ、と。

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シュウォルツはトランプの傲慢な態度を少しでも和らげて書こうとしたが、どうにも隠しきれないことが多かった。ランダムハウス社から出版されたこの自伝は、読む人の見方によって痛快な人生論の本にもなるし、いけすかない自画自賛の本にもなる。トランプが経営するアトランティックシティのホテルでよくボクシングの試合を観戦したというノンフィクション作家、ノーマン・メイラーの著書から借りて、次のような題名にしてもよかったかもしれない。『ぼく自身のための広告』と。

受賞歴もあるジャーナリストで現在は『ブルーミング・ヴュー』誌の編集長を務めるティモシー・L・オブライエンは、2005年、詳細な調査にもとづくトランプの伝記『トランプ・ネーション』を出版した(トランプはオブライエンを名誉棄損で訴えたが却下された)。『トランプ自伝』を隅々まで検証したオブライエンはわたしにこう言った。「この本は自伝というより『架空のノンフィクション』というべきだ」

シュウォルツによるトランプの「自伝」には、いくつかの失敗も正直に書かれている。例えば1983年、赤字に苦しむ全米フットボール連盟(USFL)の1チーム、ニュージャージー・ジェネラルズのオーナーとなったが、惨憺たる結果に終わったことがそのひとつだ。だが、オブライエンは、トランプがこの本を書かせたのは、個人的なこともビジネスのこともひっくるめて自分の人生全体を輝かしい「トランプ伝説」に仕立て上げたかったからではないかと考えている。

シュウォルツの

知る限り、
トランプが
家族と過ごす時間は
ほとんどなく、
親友と呼べる
人間もいなかった。

つまらない嘘もついた。トランプは妻イヴァナが元「トップモデル」で、チェコのオリンピック・スキーチームの補欠選手だったと主張していたが、ゴシップ雑誌『スパイ』誌はそんな事実はないことを暴露した。『トランプ自伝』ではトランプの父親はニュージャージー州生まれで両親はスウェーデン人だったことになっているが、『ヴィレッジヴォイス』誌のウェイン・バレットによれば、実際には父親はニューヨーク、ブロンクス生まれで両親はドイツ人だった(その何十年かのち、トランプはバラク・オバマを槍玉にあげ、大統領はアフリカ生まれなのではないかと言いがかりをつけている)。

『トランプ自伝』に描かれるのは、多くの信奉者に囲まれた温かい家庭人としてのトランプだ。妻イヴァナについては、そのセンスやビジネススキルを称賛し、「かつて『イヴァナに賭けない手はない』と言ったことがあるが、それは間違ってはいなかった」と書いている。

だが、シュウォルツが見たところ、トランプとイヴァナの関係はほとんど冷え切っているようだった。のちに知ったことだが、『トランプ自伝』の制作期間中、トランプはのちに2番目の妻となるマーラ・メイプルズと浮気していた(イヴァナとは1992年離婚)。

シュウォルツの知る限り、トランプが家族と過ごす時間はほとんどなく、親友と呼べる人間もいなかった。『自伝』では、「死の床で最後まで付き添ってくれそうな男」という最上級の賛辞を顧問弁護士のロイ・コーンに送っている。1950年代、共産主義者に対して熾烈な迫害を行った上院議員ジョセフ・マッカーシーの右腕として知られたロイ・コーンは、隠れた同性愛者だった。のちにエイズを原因とする不治の病におかされたとき、コーンはトランプに見捨てられたと感じ、こう言った。「ドナルドは小便すら氷のように冷たいに違いない」と。

シュウォルツは言う。「自分の役に立っているうちは、トランプは誰にでも愛想よくしています。そして、役に立たないとわかるととたんに手のひらを返すのです。そこに個人的な友情などというものはなく、損得勘定でしかものを考えません。彼は、自分の利益になるかどうかしか眼中にない男なのです」

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ウェイン・バレットによれば、『トランプ自伝』には読者に間違った印象を与える記述がいくつもあって、とりわけ、父フレッドから受けた助力が最小限のもので、多くは独力で成功したかのように書いているのはその最たるものだという。トランプがかつて「労働者階級の人々はわたしを愛する。わたしが親の七光りではなく叩き上げで成功したことを知っているからだ」と断言したこと、『トランプ自伝』では裕福な家庭に生まれた人々を「ラッキー精子クラブ」と揶揄していることをバレットは指摘している。

今年、トランプは自らをホレイショ・アルジャー(立身出世の小説を多く書いた19世紀の作家)の登場人物に例えて庶民派であるとアピールした。だが、トランプがつつましい家庭に育ったとはとてもいえない。

父フレッドが所有していた物件の多くは中所得者向けだったので資産としては目立つものではなかったが、その不動産価値はかなりのものだった。フレッドが亡くなって数年後の2003年、トランプと兄弟たちが父親から受け継いだ不動産の一部を売却したが、その価格は5億ドルに上ったことが報じられた。『トランプ自伝』のなかで、トランプは父親を「わたしがもっとも重要な影響を受けた人物」と呼び、“辛抱強くやること”の大切さを教わったことこそが父親から受け継いだ最大の遺産だと述べている。

シュウォルツによると、トランプは「めったに父親の話はせず、自分の成功は父親とは無関係だと見せようとしていた」という。だが、バレットの詳細な調査の結果、トランプの成功の裏には父親の金銭的、政治的バックアップがあったことが明らかになった。29歳でろくに実績もないトランプがグランドハイアットホテルを手中に収めたのは、ひとえに「活力と熱心さのたまもの」と『自伝』には書かれているが、バレットの調査によると、多くの契約で父親が連帯保証人としてサインしていたという。また、アトランティックシティでカジノ経営に乗り出す際にも、トランプは父親から7,500万ドルを借りている。ある時には、ローンが支払えなくなったトランプのために父親が弁護士を派遣し、カジノのチップ約300万ドル分を現金化させたこともあった。

バレットはわたしにこう言った。「ドナルドが自力で成功させた案件もある。とくにトランプタワーの建設用地を確保した手腕は見事だったと言っていい。だがトランプが独力で成功した立身出世の人物だなどという考えはお笑い種だ。まさか本の題名を『パパの取引の技術』にするわけにもいかないだろうがね」

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『トランプ自伝』がつくり上げた神話はほかにもある。ほとんど誤ることのない天才的なビジネス感覚の持ち主だという神話だ。「トランプ不敗伝説はあの本から広まった」とバレットは言う。だが、1987年に『自伝』が出版されたとき、シュウォルツも読者も知らなかったことがある。バレットによれば、当時トランプは「個人的にも事業的にも破滅寸前だった」というのだ。

オブライエンも、『自伝』出版後の数年間、トランプは危機に陥っていたことに同意している。イヴァナとの離婚では2,500万ドルを支払ったと報じられ、また同時期に、オブライエンによれば「手あたり次第に物件を買い漁ったために借金で首が回らなくなっていた」という。プラザホテルを買収し、ウェストサイドの操車場の跡地に「世界一高いビル」を建てる計画もあった。1987年、ニューヨーク市はビルの建設許可を却下した。『トランプ自伝』にはこの挫折について、たった1行、「気長に待つつもりだ」とだけ書かれているが、オブライエンによれば、「『もう待てなかった』というのが真相だ。300万ドルの経費がかかると説明していたが、本当は2,000万ドルを超えていた」

トランプはまた、アトランティックシティに3つめのカジノ「タージ マハール」を建設中でもあった。トランプによれば、それは「史上最大のカジノ」になるはずだった。さらにウェスタン航空のニューヨーク、ボストン、ワシントン間のシャトル便を買収してトランプシャトルと名付けたり、豪華クルージング船トランプ・プリンセス号を手に入れたりした。「トランプは完全に無我夢中で、周りが見えていなかった」とバレットは言い、こう付け加えた。「いまも同じようなものだ」

「『トランプ自伝』を書いていたころ、トランプが所有する資産の大半はカジノでしたが、どのカジノもそこそこ収益を上げているように見せかけられていました。ですが、実はすべて赤字だったのです」とシュウォルツは言う。「トランプは空回りしているようでした。とても信じられない気持ちだったでしょう。毎日数百万ドルが消えていきました。トランプは恐れていたに違いありません」

1992年、ジャーナリストのデヴィッド・ケイ・ジョンストンはカジノについてのノンフィクション『テンプルズ・オブ・チャンス』を出版し、そのなかでトランプの1990年からの推定総資産額を引用しているが、トランプの負債はその資産を3億ドル近く上回っていたという。翌年、トランプの会社は、トランプにとって最初の経営破綻に追い込まれた。その後トランプは5回倒産を経験することになる。トランプという彗星はすでに輝きを失い墜落していたのだ。

だが、オブライエンはわたしにこう語った。「トランプは『自伝』を通じて、いかなる場合でも判断を誤らない交渉の達人という自己イメージを巧妙につくり上げ、売り出した。そして、そのイメージをいままた利用しようとしている。トランプこそアメリカを停滞から救い出すことができる人間だ、と」

かつて『トランプ自伝』を読んだリアリティ番組のプロデューサー、マーク・バーネットは、トランプをホストとする新番組「アプレンティス」(“見習い”の意)を企画した。現在のような誇張されたトランプ像が爆発的に世間に知れ渡ったのはこの番組からだとオブライエンは言う。2004年に放映開始された第1シーズンの冒頭、リムジンの後部座席でトランプが豪語する。「わたしは『取引の極意』(art of deal)を極めた男だ。トランプという名はいまや世界最高のブランドになった」。そして「見習い」を募集しているというトランプの説明とともに画面に映し出されるのは『トランプ自伝』の表紙だ。「『アプレンティス』はトランプ神話をゴリ押しした。『自伝』の出版、『アプレンティス』の放送、そして2016年の選挙戦、これらはすべて1本の直線上でつながっている」とオブライエンは言う。

『トランプ自伝』の執筆には1年と少しかかった。1987年の春、シュウォルツが書きあげた原稿をトランプに送ると、原稿はすぐに送り返されてきた。何カ所かに太い赤マジックで修正が入っていた。その多くは、クライスラー元CEOのリー・アイアコッカなど、トランプが怒りを買うのを恐れた業界の大物への批判だった。「それ以外はほとんどすべてわたしが書いたままでした」とシュウォルツは言う。

筆者からの電話インタヴューにおいて、トランプはすぐにシュウォルツを話題にした。「トニーは有能な男だ。あの本はトニーと共同で書いたんだ」。だが、執筆プロセスについてのシュウォルツの説明を伝えると、トランプは即座に否定した。「あの本を書いたのはトニーじゃない、書いたのはおれだよ。おれが書いたんだ。あれはおれの本だ。売り上げは1位になったし、いまでもビジネス書のベストセラー入りしている。出版史上いちばん売れたビジネス書だ(※著者註:これは誤り)」。

元ランダムハウス社社長のハワード・カミンスキーは苦笑して言った。「トランプはハガキ1枚だって書いてくれたことはないよ」。それよりもトランプは『自伝』の宣伝に力を注いだ。書店に営業をかけ、次から次へとテレビ番組に出演した。印税のうち自分の取り分は慈善事業に寄付すると宣言した。ニューハンプシャー州でのサプライズプロモーションでは、のちの大統領選出馬を匂わせる発言もしている。

1987年11月に刊行された『The Art of the Deal』(邦題『トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ』〈筑摩書房〉)。発売時には13週にわたって『New York Times』のベストセラーNo.1を記録。売り上げは100万部以上といわれている。

『自伝』の発売から1カ月後の1987年12月、トランプはトランプタワーの大理石張りのエントランスホールで、豪華絢爛たる出版記念パーティを開いた。ビルの外に伸びるレッドカーペットを強力なライトが照らした。建物の中では1,000人もの正装した招待客が、シャンパンを片手に、いましがた運ばれてきた巨大なトランプタワー・ケーキを口に運んでいる。ボクシングの大物プロモーターとして知られるドン・キングが床まで届くミンクのコートを着たゲストたちを相手にスピーチし、コメディアンのジャッキー・メイソンがトランプとイヴァナを「キングとクイーンの登場です!」と紹介した。トランプはシュウォルツと乾杯し、金を稼ぐにはどうしたらいいか少しはわかったかと、からかうように言った。

その翌日シュウォルツがトランプに電話すると、思いもしない「授業料」が彼を待っていた。前夜のパーティをひとしきり話題にしたあと、トランプは、共同執筆者であるからにはパーティの費用も半分負担するようにシュウォルツに告げたのだ。その額は6桁にも上りそうだった。シュウォルツはあきれてものも言えなかった。「トランプが勝手に招いた900人もの二流セレブの接待費を折半しなければならないって?」

シュウォルツはトランプを観察するなかで、いくつか交渉の手口を学んでいた。シュウォルツは自分の負担金が数千ドルになるまで徹底的にトランプと交渉し、そしてトランプ宛てではなくシュウォルツの指定する慈善団体宛てに小切手を切ることを約束する手紙をトランプに送った。トランプのやり方を真似たにすぎない。トランプはここ7年間で何百万ドルもの金を慈善事業に寄付すると約束しているが、『ワシントンポスト』紙の調査では、確かに寄付されたと確認できたのはわずか1万ドルで、『自伝』の収益が寄付に回されたという証拠はまだ見つかっていない。

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パーティの代金のことで言い合ってからまもなく、トランプから続編の執筆を持ち掛けられた。すでに7桁の契約金でオファーを受けているという。今回のシュウォルツの取り分は利益の3分の1だが、契約金は前作よりずっと多いのだから報酬も上がるはずだということだった。だが、シュウォルツは断った。その代わりに、人生の意味を問う『ほんとうに大切なものは何か』という本を書きあげた。トランプとの仕事を終え、シュウォルツは「底知れない空しさ」を感じていた。「何か時間を超えた本質的なもの、確かなものとのつながりが欲しかった」とシュウォルツは書いている。

数分後、

シュウォルツの
携帯電話が鳴った。
「おれに投票しない
つもりらしいな。
いま『ニューヨーカー』って
雑誌のインタヴューを
受けたが、
あんなゴミ雑誌、
誰も読まんだろう」

2016年に『トランプ自伝』から得た印税は、自分が選んだ慈善団体に全額寄付するつもりだと、シュウォルツはわたしに言った。全米移民法センター、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、拷問被害者センター、全国移民フォーラム、タヒリ正義センター。だが罪の意識は消えないとシュウォルツは言う。「罪の意識は死ぬまで消えないでしょう。もう取り返しはつきません。それでも、『トランプ自伝』が売れれば売れるほど、トランプに権利が脅かされている人たちに多くの寄付ができると思えば、少しは気が休まります」

秘密を暴露したことでトランプの怒りを買うことは予想していた。そしてその予想は当たった。シュウォルツがトランプに対して批判的で、トランプに投票するつもりがないことを伝えると、トランプは言った。「あいつはただ有名になりたいだけなんだろう」。そして、こうも言った。「ひどい裏切りだよ。トニーをリッチにしてやったのはこのおれだ。あいつはおれに大きな借りがあるはずだ。金に困っていたあいつをおれが拾ってやったんだ。恩を仇で返された。そうしたほうが自分にとって得だと思ったのかもしれないが、それは間違いだったとじきに知ることになるだろう」

わたしとトランプとの電話が終わってから数分後、シュウォルツの携帯電話が鳴った。「おれに投票しないつもりらしいな。いま『ニューヨーカー』って雑誌のインタヴューを受けたが、あんなゴミ雑誌、誰も読まんだろう。ところで、ずいぶんおれを批判しているそうじゃないか」

「あなたは大統領の候補者ですが、あなたの考え方には賛成できません」とシュウォルツは答えた。

「それはおまえの勝手だ。だが、それならただ黙っていればよかった。はっきり言うが、おまえは裏切り者だ。いまのおまえがあるのは誰のおかげだと思う? あの本を書けそうなライターは大勢いた。そのなかからおまえを選んだのはおれだ。おまえにはよくしてやったつもりだ。あの本をネタにして講演なんかでもずいぶん稼いだそうだな。おまえを訴えることもできたが、見逃してやっていたんだ」

「いまは『トランプ自伝』とは一切関係ない仕事をしています」とシュウォルツは答えた。

「それは初耳だな」

「大統領選に出馬するとは、思い切った賭けに出ましたね」。

「そう、大きな賭けだ」とトランプは言った。「せいぜい長生きすることだな」。トランプは電話を切った。

トランプがなぜ気分を害しているかはよくわかっている。だが手遅れになる前にすべてを話してしまわなければとシュウォルツは思っている。トランプの怒りに関しては、「気にしてはいません。本当はわたしなど眼中にもないでしょう。トランプにとって自分以外の人間はいてもいなくてもいい、使い捨てのものにすぎないのですから」

シュウォルツは警告する。「もしトランプが大統領に選出されたら、自分たちの利害を代表してくれると信じて投票した人々は、トランプに間近で接した人ならすぐに気づく重大な事実を知ることになるでしょう。この男は自分以外の人間に少しも興味がないのだ、と」

TEXT BY by JANE MAYER

ILLUSTRATION BY by JAVIER JAÉN

TRANSLATION BY by EIJU TSUJIMURA