11/09/24
5月頃、福島から関東に避難してきた。
それまでの地元は避難制定地域よりも、わずか数キロ離れているってだけ。数キロ先は「もと人里」で誰もいない、でも自分達の場所は衣食住していいよ、の地域。
目に見えない恐ろしいものと戦い続けるくらいなら、と転居を決意。
転居にともない、子どもは4月末まで保育所に預けていたんだけど、その保育所の登所最終日に起こったことを今から書こうと思う。
その最後の日も、変わらず朝からあずけにいった。
「寂しくなります。お世話になりました」と先生方へあいさつし、園児達へのささやかなものを渡し、いつものように子どものクラスでおむつなどを準備していた。
そこへおじいちゃん(見た目判断だが)と一緒にAくんが登所してきた。4才クラスに4月から入所した子で、何度か「おはよー」と声かけしたことがある。
その時もいつものように「Aくんおはよう」と声をかけた。するとAくんは私のところにまっすぐ歩いてきて、両手でおにぎりのようにしている手を差し出してくる。
なんだろう、泥だんご?折り紙のなにか?など色々考えているとAくんは無表情のまま、三角にしているおにぎり型の手、指と指の間からその中身を見せてきた。
知っているだろうか、カマドウマという虫を。うさぎ虫とか、ぴょんぴょん虫とか、そんな呼び名もある。鳴きもせず、音も出さず、個人的に生命力の強い虫だと思っている。
ティッシュ箱で思い切り「べし!!」と上からつぶし、死骸が気持ち悪いので旦那にとってもらおうと呼んできて、ティッシュをそっとどけるとすでにいない。え!?どこ行った!?と見回すと、天井に張りついていたり。
前に飛ぶかと思いきや、真横ジャンプもしてくるというキモさ。私はこの、はちきれんばかりの腹をした、グロテスクでちょうやく力の高いカマドウマが大嫌いだった。
Aくんの手の中には、カマドウマの中でも特大クラスに入るようなものが入っていた。
たぶん私の顔が物凄いことになっていたんだろうと思う、先生が「どうしました?」と駆け寄ってきた。まさに、その時。
はがしょっ
というような音がしたと思う。言葉に書くとうまく伝わらないけれど。Aくんは、物凄い速さで、私の目の前で、カマドウマを、食べた。
「ぎゃあああああああ!!!!」
と先生の声。Aくんの口から4本くらいはみ出ているカマドウマの足。私、頭真っ白。でも次の瞬間、私はAくんの口に左手を突っ込んでいた。
焦点はAくんに定まっておらず、ずっと床のシミみたいなものを見つめていた記憶がある。だけど、どこかで冷静な思考の自分がいて「なんとかしなくては」とも思っていた。
直視しないように視界のはしに見えるAくんをとらええながら、右手でAくんの頭を押さえ、左手の指でAくんの口の中身をかき出していた。
そのうちAくんが「うえっ、ぐぇっ」と言ったと思うと、大量に嘔吐。私の左手から肘にかけて、ゲロまみれ。
「おめぇAさ何してんだ!!」と、Aくんのおじいちゃんが私を引き離し、突き飛ばされた。そこでようやく先生方数人が間に入ってくれた。
はーっ、はーっ、となかば放心しながら必死に呼吸して、手を洗いに行ったのだが「だってうぢのばーちゃが!食べろって言っでだ~うあ~」と泣いているAくんの声が聞こえた。
その後は当時の状況など話すべきことを話し、先生達にお礼?を言われ保育所をあとにした。足が地に着かず、脳内ヒューズ飛んだみたいなまま車に乗って…色々考えた。
こんなことがあってもその場の処置は3分とかからず、次見た瞬間には主任先生の呼びかけでみんなが楽しそうに歌を歌っていたので「さすが長年の保育士はすごいなあ」とか。
おじいちゃんに突き飛ばされてひっくり返った私の格好ダサッ、とか。でも、それでも忘れられない。Aくんが無表情でカマドウマを食べた、あの瞬間の音。はみ出た足。
その一件をふくむ最近の園児について所長先生からお話されたことも。
「震災から1ヶ月…Aくんだけじゃない、たくさんの子が不安定になっている。切り刻んだ人形を持ってきた子もいた。友達の首を絞めて「苦しい?」と聞いている子も。子ども達もギリギリのところなんだと思う」
そのお話が頭から離れず、自分の子達の顔を思い出しては切なくなるばかりだった。
一変した環境、生活、ピリピリした街の雰囲気、屋内遊びしか出来ないもどかしさ。コントロールできる範囲では笑えている子ども達でも、その奥には深い傷を負っている。
そんなストレスをどうにかできるすべや思考を、子ども達は持っていない。だからAくんのようにいきなり虫を食べてしまったり…ん?と、ここでようやく所長先生の最後のお話が気にかかった。
お話のあと、
「よけいなお世話かとは思うんですが」
と私が切り出した話。
私「Aくんのおばあちゃんにはちょっとお話したほうがいいかと思いますが…」
先生「うん、Aくんちね、おばあちゃんはいないんですよ」
なんだろね、と苦笑いされていた。
コメント
コメント一覧
戦時中でもないのに、街中に死体がゴロゴロある状態って異常な事だと思う。大人が身構えて対峙できた戦時中と比べると天災は本当に不意打ちだし。
犯罪者としての彼はとても擁護なんてできないし、震災がなくてもギリギリの所で何かに背中を押されてしまったかもしれないけど。
まだ 暑くて後手に回って腐っていく人間の腐臭が漂う街で思春期を過ごした彼の最後の何かを破壊してしまったんじゃないかと思えてならない。
3.11は津波のせいで電線に………と聞く。
子供たちの心が困難に強く 逞しくある事を願ってやまない。
子どもの言い訳の中には
(ボクが悪いんじゃないもーん、ピコーン、ばっちゃのせいにしよっ)
っていう、とっさの嘘の可能性も
まだ 暑くて~
阪神淡路大震災は1月だけど?
どこの世界の方ですか??
・大正生まれの人生
関東大震災⇒世界恐慌⇒太平洋戦争⇒戦後シベリアで強制労働 or 極貧の配給生活⇒帰国後日本で週6過激労働、労働三権無し
どれくらいいるかわからないが、父の実家の近所に住んでた人は空襲にあっておかしくなっていつも股間を片手で隠しながら素っ裸で歩いてた。
服を着たがらないのは服が焼けて張り付くのが怖いからじゃないかと言ってた。
全身真っ黒焦げでポ〇〇ンだけ生焼けで残る予感しかしない。
何か悲しくなる話だな…
笑えねーよ!クソガキ!
なぜ、投稿者は幼い子供が差し出したものを、「ティッシュ箱で思い切り「べし!!」と上からつぶし・・・・」たのかが理解できない。
それ、別の場面の話だから
もう1回、そこだけ読み直してみよう!
全員まとめて受け止めてやりてぇわ
記事は綴るが逃げるような大人には
なりたくないものよの
カマドウマ カアイソウ
どこをどう読んだら「殺人の理由」なんて感想が出てきたの?
長田がクローズアップされがちで神戸市=震災映像のイメージなんだろうが、実際に震災があったのは名前の通り「阪神間」。
サカキバラがいたところは神戸市内ではあるが西宮市や芦屋市よりも被害は少ない。
神戸市ってのは広いんだよ。
しかも須磨区の北部だから被害なんて殆ど無い。
家の中の片付けが大変だ程度かな。電気も午前中には回復してるレベル。
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