「愛はコンビニでも買えるけれど、もう少し探そうよ」

高3ライティング採点終了。頑張りました。採点基準のブレを無くすためには、適宜休憩を挟んで、頭をフレッシュにしないといけないので、結構な時間がかかります。
今回、英文で気になったのは、理由付けの本論で、not/never … without などの、<否定+否定>での条件設定の表現が目立つこと。

  • My primary reason is that we cannot live happily without a steady income from a steady job. We cannot buy anything without much money.
  • If you cannot earn much money, you cannot be independent from your parents.

などという理由付けが続出。結局、肯定での立論をするだけの明確な理由付けが出来ていないのと、そのための語い・表現が足りないのだ。ディベートを授業に導入したことのある教師ならすぐにイメージできると思うが、「肯定側第一立論が弱いがために、反駁側が常に勝つ」というディベート初心者の論理「力」から脱しきれていないのである。高校卒業程度の英語力を考えた場合に、この論理の課題はクリアーして欲しいのだなぁ。
高2、高3ともに成績を集計して、週明けで学校のコンピュータに入力できる準備まで完了。あとは所見の記入とプリントアウト。ただ、学期末は事務方に提出する書類が煩雑でいつも困るのだなぁ。データをサーバーで一元管理しているのだったら、担任はみな専任で端末を持っているのだから、いつでもサーバにアクセスすれば成績が確認でき、必要な情報はペーパーレスで処理できるようにした方がよいと思うのだが…。
1月の英授研、福袋に向けて、生徒の答案やノートをコピーしておかねば。
午後からは、本業へ。日本代表合宿参加に必要な評価スコアを提出するために何人かがトライアル。まずチャレンジすることに意義があるのです。去年は12月合宿までは残っていたのだが、その後のセレクションで落とされてしまったので、今年は頑張ってもらいたい。
このブログの主題「英語教育」とは離れるが、本業にも関連することなので、スポーツについてここに書いておこうと思う。
週末のテレビで、「30人31脚」を大々的にやっていたのだが、これくらい運動生理学的に見て弊害の多いイベントもないものだと思う。なぜ、専門家は警鐘を鳴らさないのだろう?小学生では解糖系が未発達であるから、乳酸そのものを筋肉が産生しにくいので、いくら走っても疲れない子がいるのは確かである。そこで、熱心な教師はとにかくどんどん練習させて追い込もうとするわけだ。ところが、神経伝達系の回路がスムーズになり、歩幅とか、ピッチなどの改善でスピードが向上した後は、いくらトレーニングしても、まず記録が伸びることはない。必ず、頭打ちになる。練習の様子の取材を見ていると、記録が伸びないと叱咤激励する教師がいるのだが、記録が伸びないのは「気が緩んでいるから」では決してないのだ。そこから無理にトレーニングをさせれば怪我につながる。このイベントは、せいぜい、校内の運動会で、2週間くらい練習してスピードの改善が見られることを喜べばいい程度のもので、全国大会やギネスブックなどを考えるのがそもそも間違いなのである。教育再生会議でこの種目を採用しようなどと本気で考えているとしたら笑止千万。スポーツをしたいのなら、陸上競技でも水泳競技でもボート競技でも良いから、スポーツそのものにもっと普通に、もっとマジメに取り組ませればよい。そういう根本的な取り組みの改善をしていないのに、雰囲気やイメージだけでものを語る傾向は、小学校の英語教育・英語活動にも通ずるところがある。
たとえば、「ブラジルのサッカーが強いのは、貧しい環境で幼い頃からボロボロのボールでサッカーをしているから」では決してない。メジャーなスポーツでは、小さい頃にタレントを発掘して、それを強化するシステムがあり、そのシステムに乗っかった選手が、世に出ているのである。バレーボールも同じこと。彼らは適切なタレントを発掘し、最適な強化をしているのである。スポーツが文化となり、国を代表する選手を高みへと上らせるシステムがある国と、そうではない国との差があるだけなのだ。
タレント発掘のシステムにも強化のシステムにも理解を示さないくせに、スターになりそうな選手が出てくると、メディアもファンもそれに群がり、ブームが過ぎれば忘れてしまう。スポーツに対してもっと敬虔であるべきだ。

本日のBGM: God Save The Men (Keiichi Suzuki)