YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson751
   「話をすりかえるな」と言う前に


「話をすりかえるな」、と言われた。

すこしまえ、
オリンピック・エンブレムの取り下げが
世間をにぎわしていたころ、
それについて話していたときだ。

「話をすりかえるな」、と言われて

私の中に
複雑な、嫌な感じがうずまいた。

嫌な感じの正体は、2つある。
1つは、

「私は断じて話をすりかえてなどいない。
 なのに、私のことを、
 一方的にわからんちんのように決めつけて‥‥」

という悔しさ、腹立たしさだ。

もう1つは、

「自分もよく人に、
 “話をすりかえるな”と言ってる」

という気づき。

「つい先日も、家族とケンカしたときに
 言ってしまったな‥‥。
 あのとき、いまの私が感じてるような
 不快な気持ちにさせてしまったのでは‥‥」

という反省の念だった。

「話をすりかえるな」

と私たちは人に言う。

家族や友人と言い争いになったとき、

部下が、上司が、わかってくれず、
いっこうに話しが進まないとき。

「こんなに重要な点について、
 こんなに私が一生懸命話しているのに‥‥」、

相手は、つごうよく話をすりかえて、
逃げたり、ごまかしているように見える。

たしかにそういうずるい人もいるだろう。

でも単に、おたがいが、
その話題について、

「最も関心ある問い=論点」の採り方が違うだけ、

という場合もあるから、
一概に話をそらしているとは言えないんだと
気がついた。

自分が最も関心ある問い=「論点」と、
相手が一番関心ある問いは、くいちがっている。

常にくいちがっている、と言っても言い過ぎではない。

例えば、
立食パーティに出席していた夫婦の、

妻が、
見知らぬ男にぶつかられ、
赤ワインが大量にこぼれて洋服がだいなしになった、
というとき、

妻が夫に、

「あなた、あの男よ!
 行って、注意してよ!
 あやまりもせず、気づきもせず、
 ひどいじゃないの」と言う。

それにたいして夫は、

「駅前のデパート、
 たしか8時まであいてたよな‥‥」

こんなとき、妻が、

「話をすりかえないでよ!
 あなた、恐いんでしょう、
 あの男に注意するのが」

と夫に言いがちだ。
でもこの場合、

妻の論点が、
「だれが洋服を汚したか?
 その人をどうするか?」
であるのに対して、

夫の論点は、
「汚れた洋服の着替えをどう調達するか?」だ。

おなじ事実に遭遇しても、
自分と相手の関心ある問いはズレている。

なまの体験には、
無数の切り口があり、
疑問におもうところも無数。

いちばん関心ある「問い」が、
自分と相手とでピタッと一致することの方が、
奇跡に近い。

そして、人は、
いま自分が悩んだり苦しんだりしている
切実な「問い」がいちばんで、
その問いに同じ切実さで寄り添ってくれない相手に
不快を感じる。

洋服を汚された妻には、
夫が、話をそらし、男に注意することから
逃げているように見える。

しかし、客観的に妻の姿が見えている夫には、
血のような真っ赤にそまった服のままで、
まわりからヘンな目で見られている妻が
気の毒でしかたがない。
他はあとまわしでも、とにかく
「妻の着替えをどうするか?」が最優先だ。
駅前のデパートの閉店時間がこないうちに‥‥と、

夫は夫で、別の問いで、
妻のことを大切に考えている。

同じ出来事に遭遇したとき、

自分と相手とで、
いちばん関心ある「問い=論点」が同じ
それに対する「答え=意見」も同じ、
だったらこんなにハッピーなことはないが、

そういうことはほとんどない。

自分と相手の、
いちばん関心ある問い=論点は、
つねに食い違って不協和音をおこす。

それでも、論点はくいちがっていても、
おのおのの、問いについて意見を打ち出したなら、
意見そのものはくいちがっていない場合がある。

また、たがいに問いがずれたまま、
それについての答えが出ないままでも、
おなじ何かを大事に思っていることもある。

若手社員と、古株とでは、
会社について抱く、
問題意識のベクトルがまるで違っていても、
同じ切実さで会社のことを思っているときもある。

問いの持ち方がちがうからこそ、
多角的に出来事を見て、
のりこえる糸口が見つかることもある。

妻だけでは、「着替えの調達」という発想は
できなかったかもしれず、
夫婦が違う問いで出来事を見ているからこそ、
優先課題が発見できる。

オリンピックのエンブレム取り下げの話に戻ると、
あのとき私の関心ある問いは、
「新しいエンブレムはどうつくるのが望ましいか?」
だった。
「だれが悪いか? どう悪いか?」という問いは、
私のなかで、もういい、ような気がしていた。

でも、それが、相手には大切な問いだったのだ。

相手の生きてきた背景や、プロ意識にとって、
その問いは、決して雑に通り過ぎてはいけない
丁寧に検討しなければならないものだったのだ。

そう考えると、相手の大事にしている「問い」に
気づいたり、尊重したりすればよかったなあと
私は思う。

私たちは、
「話をそらすな」「はぐらかすな」「逃げるな」などと
人に言う。

けど、自分が切実に思っているほどには、
相手はその問いに関心がない、
他の問いに切実に関心がある、だけなのかもしれない。

そしてそれは必ずしも悪いことではない。

「話をすりかえるな」
と人にいう前に、

いま、相手の切実に関心ある「問い」はなんだろうか?
そしてそれは、なぜ、だろうか?


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2015-10-07-WED
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