魔法の世紀 [Kindle]

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  • PLANETS
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感想・レビュー・書評

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  • 紙媒体で買おうと思ってましたがKindleのSALEで安かったのでこっちで購入。

    これが未来か……と圧倒される内容であったのは確かです。確かなんですが、本当にそれでいいのかなぁとも考え込まされるわけで。
    デジタルネイチャーと言いますが、その話なんか聞くと、漫画ドラえもんだったかな?に出てきた「人間は進化が行き着くとデータになる」みたいな話を思い出しましてね。
    漫画にしても、この本に関してもそうですが、私にはそんなにワクワクしない未来です。保守的なのかもしれませんが、私は「そこまでアップデートする意味、本当にある?」というか、「そっちに方向でアップデートするのってどうなの?」と非常に懐疑的になります。
    特にサザランドのディスプレイ観で、
    「究極のディスプレイは、コンピュータが物体の存在をコントロールできる部屋になる。椅子が表示されれば座れるし、手錠を表示すれば誰かの自由を奪い、弾丸を表示すれば命を奪う。適切なプログラミングを用いれば、そのようなディスプレイは文字通りアリスが歩いたような不思議の国を実現するだろう」
    とありますが、物騒ですねぇ。奴隷支配も人殺しも自由自在ですか。そこまでしてこの世界をアリスの国にしてどうするつもりなんだと思ってしまいます。
    尤も、デジタルネイチャーは多分人の生き死になんかデータ上の出来事でしかない世界だと思うので、銃弾で死んでも生き返るとか造作もないんでしょう。ただ、ここまで来ると、何が人間なのか分からなくなります。そこまで徹底して人をモノとして扱えるものなのか。扱っていいものかどうか。ここも、落合さんの立場から見れば、保守的と言われればそうかもしれません。古典的な物理法則、倫理道徳に必ずしも縛られなくていい世界だというのに、なぜこだわるのか、と。

    自分の思い通りにならないものが自然です。コンピューターやシステム自体を解体し滅ぼしていく働きがない、全くもってコンピューター上で制御されつくされている時空間を、私は自然とは呼びません。だから、デジタルネイチャーは存在しない。微分はどこまで行っても微分、積分はどこまでいっても積分です。こう思っているから、私はどうしてもこの本に書いてることにはうなずけないんだなぁ。

    ただ考えるべきは結局、コンピューターと「私」とが今どう向き合って生きているのか、そして、これからどう向き合って生きていけるのかということなんでしょう。コンピューターが単純に「人間に使われる道具」であることをやめて(あるいは超えて)、むしろコンピューターが人間を操作する、「コンピューターに使われる私」ということもある、というのは大変興味深い示唆です。「コンピューターに使われる私」だなんて、主体性を奪われているようで嫌ですけれども、現実問題我々の生活はスマートデバイス中心です。人間中心ではないですね。

    つくづく、落合さんは「コンピューターに帰命している」人なのだなぁと、感心させられる内容でしたね。「何者にも使われない私」というところに主体性や自由を感じて、その上でコンピューターに使われることを拒もうとする私とは方向性が真逆です。

  • メディアアーティスト・大学教員・起業家等々、縦横無尽に活躍する著者の処女作を今になって読了。

    著者のライフワーク的なキーワードである「デジタルネイチャー」がこの頃がでているとはちょっと驚き。

    「魔法の世紀」とは、あらゆる事象がデータとして記述され、自然とデジタルが有機的に結合されている世界ということだろうか?

    次作「デジタルネイチャー」も未読なので、早速注文。

  • 映像の世紀から魔法の世紀へ
    メディアアーティストの真意を理解した。
    本当の魔法使い、天才の思考を辿っていく作業はかなり大変。だが、読み応え抜群

  • 20世紀を「映像の世紀」と定義した場合、21世紀は「魔法の世紀」となる。「魔法の世紀」では、人間とコンピュータはどちらがどちらかを支配するような主従関係ではない。そうではなく、オブジェクト指向的な表現を使えば、「デジタルネイチャー」という共通の親クラスを持つ「人間」、「コンピュータ」という、同レベルのサブグラスがいる、とのことである。今、ChatGPTなどの「生成系AI」の急速な進化をみていると、その表現が大げさだったわけではないことがわかる。むしろ、控えめな表現であったのかも、とすら感じる。現実的には、「コンピュータ」が「人間」を支配するのでは?といった疑念すら起きてきているのだから。
    しかし、そうならないためにも、「人間」は頑張る必要がある。「コンピュータ」と共生していくこと、その道を模索することが、我々に課せられたことである、と約7年前に出版された本書を読んで思うのであった。

  • メディアアートを良くわからない人でも何となく価値が分かる一冊。人間の感覚が、その時代のメディアに影響されている事や、その感覚を揺さぶるようなメディアを作り出したいという落合さんの志が面白い。これまで考えていなかったような世界を堪能できる。

  • 論文読んでるみたいで専門用語などとにかく難しく、2年前は一読しても心が折れた。
    彼のnoteなどを併用したいまやっとすんなり読める。おもしろい

  • 「巷では現代の魔法使いと呼ばれる」(と自称する) 研究者にしてメディアアート作家、落合陽一氏の2015年の著書。
    落合陽一氏の本は初めて読むのだけどなかなか難解でした。「入門の一冊」としては不向きだったもよう。

    第一章 : なぜ「魔法の世紀」という言葉を提議しなくてはならないのかの説明
    第二章 : メディアアーティストの定義
    第三章 :「文脈のゲーム」での戦略とは。問題設定と問題解決を同時に行うのが大事。
    第四章 : 表層と深層。デザインとエンジニアリングについて
    第五章 : メディアの歴史。壁画から紙、写真、映像まで。まさか携帯電話のデコと縄文式土器に類似点があるなんて思わなかった。
    第六章 : コード化する自然 : デジタルネイチャー。「映像の世紀」では人間に指針を合わせてメディアを設計していたが、「魔法の世紀」では人間の感覚を超えた設計を行うことで、メディアが物質世界全体をプログラミングできるようになる。

  • 落合陽一氏の2015年作品。新著の前提として読んでみた。訪れる魔法の世紀に向けた事案が多種多様なテーマで深く考察されているので全力で生きてる人ならどこかワクワクする章があるはず。自分で言ったらデザインエクスペリエンスとICLの話。デジタルネイチャー文脈は次の作品で細かくみる!


    メモ

    映像の世紀から魔法の世紀へ
    ウェブが本気をだしてきたところからマスメディアにのせたコンテンツは権威を失ってきた
    メディアの上にのったコンテンツはプラットフォームの下位存在として地位を甘んじる。プラットフォームから出た瞬間に意味をなくす。だからこそプラットフォーマーの思想とぶつかりながらそれを乗り越えて原理を注入し続けて、人間に原初的な感動。赤子が泣いたり笑ったりする感動を上げる必要がある。


    テクノロジーとコンテンツが分離できなくなるテクノロジーコンテンツの時代。LINEやツイッターは機能的な一点突破をつかい力をつこた。


    自ら問題をつくり、自ら解決する。どう問題をつくり、どう解決するかイシュードリブンな時代。どう発見するか。

    コンピューターになくて我々にあるものは、意思ややる気。

    リアルとインターネットをどうつなぐか、からリアル、インターネットを包含したエクスペリエンスをデザインできるか。エクスペリエンスデザイン、例えばソニーがだしたウォークマン


  • 近ごろ話題の一冊。映像の世紀である20世紀から魔法の世紀である21世紀へ。テクノロジーが高度に発達し魔法と区別がつかなくなる世紀=21世紀における、メディア、アート、テクノロジーの在り方。
    ふむふむ、そうだよね、と頭では理解する反面、どうにも大きな違和感があって。なんか、発想がテクノロジードリブン過ぎるんだよな。 技術が社会的な構造に強く影響を与えることは事実としても、それだけが決定要因としての基底ではないと思う(たとえば、制度的な観点が抜け落ちている気がする)。

  • 「映像の世紀」から「魔法の世紀」へと移り変わっていく未来において、メディアアーティストという視点から、人間とコンピュータの共生を提唱している。
    この共生の捉え方が非常に面白かった。
    前半はコンピュータサイエンスの歴史についても触れられており、勉強になる部分もあった。

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著者プロフィール

メディアアーティスト。1987年生まれ。JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。
東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。
筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授、京都市立芸術大学客員教授、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授、金沢美術工芸大学客員教授。
2020年度、2021年度文化庁文化交流使、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサーなどを務める。
2017~2019年まで筑波大学学長補佐、2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、内閣府「ムーンショット型研究開発制度」ビジョナリー会議委員,デジタル改革関連法案WG構成員などを歴任。

「2023年 『xDiversityという可能性の挑戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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