"前田 - それはあったと思います。コンセプトであったり文脈に対してどう存在するのかなどのコンテクストの不在だけを批判していると単なるゲームになってしまって、本当の意味での価値を見出せなくなってしまうと思うんです。そこはコンセプチュアルアートの本当にダメなところで、批評的な価値というものが一方にあったとしても、ただ単純に誰もが楽しめるという側面も同時に存在するはず。だから、印象派とかオーセンティックな作品が今だに人気で上野の美術館とかが盛況なのは、誰でも美しいと思ったり心が洗われる瞬間があるからだと思うんです。普通のことすぎてカビ臭いけど。"
【対談】荏開津広 × 前田晃伸 | ストリートアートの原点的存在ゴードン・マッタ゠クラークの重要性 - FNMNL (フェノメナル)
"機械は人間に、人間は機械に接近していく。アートはポルノに、ポルノはアートに接近していく。男は女に、女は男に接近していく。遊びは仕事に、仕事は遊びに接近していく。とにかく、「接近していく」と意識していよう。"
"グローバルな時代だからこそ、ローカルに潜む価値が相対的に高まる。グローバルな文化というものはない。文化の本質はローカル。ここに潜む価値をいかに最大化するか。そういう局面で働きたい。"
"「心に怒りを持て、我慢は美徳ではない」"
"僕含め、モーショングラフィッカーやUIデザイナーって、グラフィックの質感を深く分析せずに、一様に「気持ちいいモーション」に凝ろうとする傾向があると思っているのですが、その過剰な気持ちよさが却って邪魔くさく感じることが多くて。だからある種のリッチさ/きめ細やかさはなくとも、あくまでグラフィックに寄り添った、「なるほど奴ら(グラフィックの要素たち)ならそういう動きをしていそうだな」という納得感のあるモーションが好きです。いや、イージングとかもうよくね? というか、カクついたリニア補間が個人的に好きなだけなのですが。"
"
それに、コミュニケーションがなくて自分だけでやると、化学反応が起きなくて、だいたい予定どおりになる……たとえば、ここに「あ」を書いてみてください。右利きですか?
ーー はい。右利きです。
谷尻:そしたら、まずは右手で。書けたら、左手でも。この2つの「あ」って、どちらが作品だと思いますか?
ーー 作品というなら、左手です。がんばった感があるからかもしれませんが。
谷尻:右手の「あ」はみんなが「だいたいこんなものだろう」と想定した通りの出来だから、感動のロジックにはまらないんですよね。でも、左手の「あ」には、自分の意図的である部分と偶然性が同居しているじゃないですか。新しい「あ」をつくるという思想だけは間違いなく存在していて、思いがけないものに出会えるというロジックが組まれている。
つまり、どんな「あ」ができるかは分からないけれども、未体験の「あ」ができるということは確実に理解できている状態をつくるんです。同じようなことは個人でもできるし、他者と共同で仕事をすることによって起こることもある。そして、それは「左手」という負荷を選び取ったからこそ生まれるわけです。
ーー この負荷も「不便」のひとつですね。
谷尻:そう。不便がクリエイティブを生んでいるんです。
"「スーパー素人建築家」谷尻誠の発想法:「抽出」からイノベーションを、「不便」からクリエイティブを【前編】|FINDERS
"今は情報にかける時間が短いので、忘れゆく情報が増えていくわけですよね。そう考えると、現代においては利便性よりも「不便性」を採ったほうが思考が回転し始めるんじゃないかな、とか。そうやっていろんな仮説を立てながら、わざとそれにトライするんです。"
「スーパー素人建築家」谷尻誠の発想法:「抽出」からイノベーションを、「不便」からクリエイティブを【前編】|FINDERS