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『精神科医は腹の底で何を考えているか』:紙魚:So-netブログ (via orekane)
あたりまえじゃないか。真面目すぎて現実に適応できないから病むんだよ。
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- 人生はニャンとかなる!-明日に幸福をまねく68の方法 / 水野敬也 (via ebook-q)
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- 仏教は宗教ではない ~お釈迦様が教えた完成された科学~ / アルボムッレ スマナサーラ (via ebook-q)
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- 無駄な知識などない - マジな話、自宅と病院が一緒になっているところがいい (via raitu)
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甘えのアホ・メカニズム
甘えの構造にはいろいろな類型があるが、わざといやなことを言うというのもあきらかにそのひとつである。これは当然、相手が親しい人である場合が多い。
この根底にあるのはナルシシズムで、自分がどれほど愛されているかを確認しなければ気がすまない時など、直截に「愛してくれていますか」とは訊けないため、悪口を小出しにし、どこまで悪口を言えば相手が怒り出すかを試すことによって、愛されている度合いを測ろうとするものだ。
嫌味を小出しに言い募りながら相手の顔色を窺い、ここまで言えば怒るのではないか、これならどうだと徐徐にエスカレートさせていく、そんな人物もしばしば見かけるところである。
自分は愛されているというナルシシズムがあるから、相手は怒るまいと思っているし、怒っても本気ではあるまいと思っているし、自分への愛は変わるまいと思っている。
それでも結局、最後には相手を怒らせてしまう。その場合には冗談めかして「あはははは。やっぱり怒った怒った」と言って喜んで見せたりする。それが相手の怒りを宥めるに足る可愛らしい行為だと思っているのである。「そんなことくらいで怒るなよ」と心外そうにすることもある。拗ねて見せているわけである。「これくらいのことで怒るのか」と、逆に怒るやつもいる。
どちらにしても、相手を怒らせて何も得をすることはなく、むしろ損をすることは明らかなのだから、アホという他ない。絶交されたり逃げられたりするのだから。
ナルシシズムに振りまわされ、結局そのナルシシズムは報われず、愛されていないとわかって尚さら自己愛に埋没し、惑溺してしまうこともある。誰もおれのことをわかってくれない、と言って拗ねたりもするのである。
- 筒井康隆『アホの壁』新潮新書、2010年 (via shbttsy74)
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- HINT / 根岸 明広 (via ebook-q)
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