はてなキーワード: メンタルとは
大学から付き合っている彼女が、転職を機にコンサータを飲みはじめた。
飲み始める前は専業主婦志望だったけど、飲み始めてからは、頑張って働き続けられそうらしい。
でも、飲みはじめてから、確かにマイナス方向へのメンタルのブレが減ったかわりに、昔のように笑うことも減った。
別に決して無表情とか無愛想ではないけど、昔と比べると正方向にも負方向にも感情の振れ幅が減っている。
自分は別ににこにこ笑ってくれていれば、正直彼女が専業主婦でいてくれてもいいと思っている。
本人には言えないし、辛い思いをしてほしいわけじゃないけど、昔みたいにこちらがびっくりするほど泣いたり落ち込んだり笑ったりはしゃいだりしている彼女が好きだったな。
問題解決に使えるリソースが人によって異なり、他人がその人のリソースを知るために踏み込むのは非礼だから。
次に、その人の持っているリソースや阻害要因もわからないのに問題解決策を出すのは単なるクソバイスだから。
これは女性に限らず、はてブなんか見てたら「仕事上の問題をこう解決しました!」みたいなドヤエントリーに対して「参考にならない」「素人が真似したら詰む」「こいつは恵まれているだけ」みたいなコメントがむちゃくちゃつく。自炊レシピにすら「ナンプラーなんて使い切れないから買わねえよ」だの「まず、調理するスペースがない」だの言う。結局、男でも女でも、自分のもってないリソースを前提とした問題解決策を出されたら不快になるものなのだ。
問題解決大好きマンには、おそらく友達がいない。たとえ相手を不快にさせても「問題解決させてやった」って自己満足したいメンタルが幼い人間だから。
中高生ぐらいの年代だと、同級生であればそんなに持ってるリソースに違いはないし、毎日一緒にいる相手の持ってるリソースを理解できてる前提があるから、問題解決志向でも特に嫌われることはないかもしれない。しかし、大学に上がるともう友達の生育歴とか実家の状況とかは全然異なってくる。普通にコミュニケーションをしていたらだいたいその段階で「問題解決志向は限定的な関係性でしか成立しない」ということを理解する。一部の共感力に乏しい人だけが問題解決にこだわったまま中高年になる。
(女は共感ベース、男は問題解決ベースっていう話も、男が男同士で話すときには距離感を見誤ってクソバイスすることは少ないが、男女で話すときに男は「女の持っているリソースを把握できていて問題解決ができる距離感にいる」と思い込んでしまいがちであるということではなかろうか?)
女に問題解決視点がないのではなく、問題解決策を出すことに対して慎重な人が多いのだ。
特に、白ハゲ漫画の読者層である主婦や非正規労働の若い女子はその傾向が顕著になる。
たとえば、同じように子供を公園で遊ばせている仲よさげなママ友グループがあったとしても、彼女ら個人個人の経済状態、住宅環境、実家や義実家との折り合い、家族構成、夫婦仲の良し悪し、自身の学歴職歴や特殊な技能、職業面でのコネの有無、友達の有無、運の良し悪し、子供の性格や能力、何もかもすべてが違う。
そんな中で相手があるリソースを持っていること前提でアドバイスをすると、クソバイス、ヘタをすると加害になってしまいかねない。人間関係においてそんなリスクを負うわけにはいかないので儀礼的共感にとどめている、というのが実情かと思う。(バリキャリ層ではそこまでの多様性はないので、問題解決志向でもトラブルにはならない)
嫁も昔どえらいやらかしをして流石にメンタル連れていかないと…となり知能検査と診断をもらった。
そしたらADHDはグレーゾーン、知能指数は80前半で文章もここまでしっかり書けるような物でもなかった。
0→1を組み立てたり理解したり、物事のリスク管理が出来なかったので、とにかく地雷を全部踏み抜いてから覚える…
みたいなやべぇ生き方をしていた。
*ただし、単純作業だけは人よりも優れている…みたいな特性があったので踏み抜く瞬間以外は一般人と変わらないのでわかりづらかった。
そんな訳で貴方は恐らくtodoリストを作るなど簡単なツールで対策が出来ると思う。
医者を擁護する訳ではないし、身内を貶す形になるが本当にやばい奴は自力でメンタルクリニックには辿り着かないのよ…
なので医者の言っている事は半分真理だと思う。
この前確定申告終わって厳密には1800万ちょいだったんだけど経費化してるものとかもあるから実質的には所得が2000万くらいで
しがない個人事業主だからそんなことも続かないだろうと思ってたけどその水準維持して3年目になったよ
残業250時間くらいで残業代1円も出ないブラックでメンタル壊した若かりし頃もあったけど
ごくごく一部の例外でしかない「子供の頃にちゃんと遊んだ思い出がなくて大人になってから殺人鬼に」みたいな話を言い訳にして、ダラダラ学生時代を楽しく過ごして、今めっちゃつまらない仕事をひたすらやっているけど、この人生がこのままずっと続くと思うと絶望しかない。
学生時代に、少なくとも就活で、せめて第二新卒カードのときに、もっと真剣に「一生この仕事をするのか」と自分に問いかけるべきだった。
「仕事は金を稼ぐ手段だと割り切って趣味で楽しく生きる」なんてのは欺瞞にも程がある。
モテないって。
トラバしてなかったら。
それかせめて、X(旧Twitter)すらもしてなかったら。
厳しいって。パーツが足りてないって。男として。
これはもう、顕著に現れてると思う。
情報収集力の違い。
やばいって。
人生において、何らかのネット上のコミュニティに参加してないと、
パーツに欠けるんだよね。
ほかの男と議論したのいつ?
ないでしょそういう経験。
って考えることがたまにある。なんでだろうと考えて、結局は打たれ弱すぎるからなんじゃないかという結論に至った。
ちょっとやそっとのトラブルで凹んじゃうんだよね。自分が原因のトラブルで「やっちまったなあ」と落ち込むのはもちろん、自分が原因じゃないトラブルでもなぜか神経をすり減らしてしまう。
奥さんは本当にそれに満足しているんだろうか?
少なくとも自分なら「25年も我慢したんだからもう引退させてくれ」と考えてると思う。
むしろ「したくないセックスを強いられる事でメンタルを病む」女性も沢山いると思うんだけど、男性にはそういうのは想像も理解もできないらしい。
https://togetter.com/li/2337381
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2337381
白けるのは、それはそうだろう。
少々わざとらしい、つまりは練度の低いそれも別に話の本題にとって全くの壁となるわけではないのだからと、敢えて気にしないように務めるという方法もあるが。
そのような努力を要する時点で、厳しく言えばそれは傾聴スキルとして認められないレベルの、かたちだけの真似事だという意見もある。
つまり本物のカウンセリング、本物の傾聴スキルというものがどこかには確立されてあるというのだな。本当だろうか?
対象者を都合よく操作するのでなく、対象者にとって侵襲的でなく、また聞き手側のメンタルも安全にガードするセッションのノウハウが、非属人的なものとして存在する?
ハイレベルな傾聴ということを本気でやろうとしたらカウンセラーの身がもたないだろう。カウンセラーが職業的に成立しうるのは結局のところおためごかしでしかないからではないのか。
人の話を深く聞くには個人的な関係を強めるか、そうでなければ「なるべく親身になって、礼儀正しく」ぐらいのことが望みうる最善であって、それ以上の達人の領域があるみたいな幻想を振りまくのは河合隼雄の二番煎じでしかない。
ただの愚痴。
職業差別のようで申し訳ないのだが、自分は社会人になって、教員という職業を持つ人間に対してマイナスイメージを持つようになってしまった。
詳細は伏せるが自分がお世話になっているスポーツ系の社会人サークルに所属している知り合いの教員はどなたも癖が強く、周囲から妙に浮いてしまう特徴がある。思いつくままに列挙する。
→例えば試合の後疲れて少しみんながダラけているとき、2☓歳くらいの小学校教師が「お前ら、とっとと動けぇ!」と罵倒混じりで叫ぶ。
本人は「仕事のクセで〜」と言ってるのだが、異常な行為に周りが引いていることに気付いていない。
試合中も他人への非難や半ば指示に近い提案をされることが多く、自分もその人にはとても気を遣いながらプレーしている。
そもそも、仕事ですらない対人コミュニーケーションにおいて、人に何かを強制・命令するということに違和感が拭えない。
「あの人のプレーは雑だ」「あの人はうまいけど一緒にやりたくない」など、他人のプレーや言動を当たり前のように批評する。
後は「〇〇ちゃん、〇〇に言い寄られて嫌いになったらしいですよ」などと他人のネガキャンもしないで欲しい。
これに関しては、もうなんというか、「普通言わんだろ」としか言いようが無い。
それなりに勉強がてきなければ教員にはなれないと思う。社会的地位、イメージ、高い仕事だ。教員というだけで立派に見える。それはわかる。
だが、「私昔から勉強はできたんですよね」とか、「地元の中では一番の高校へ〜」とか言わんでくれ。シンプルに痛々しい。
褒めて欲しそうだから褒めてやってるが、一般的な社会人の運動系サークルで学歴自慢なんて普通はしないんだよボケが。
優秀か否かなんて、「どこを基準に置くか」でどうとでも変わるだろうが。
勝てるフィールドを基準に選んでイキるなんて謙虚さの対極だろう。
申し訳ないが、自分は教員をそんなに頭の良い人間と思っていない。
自分は学生時代、理学の専攻だったので「アカデミックな研究や技術の世界について行けなかった人が目指すもの」というのが実態としてあった。
ただ、理学の人間が教員免許を取るには卒業に必要な単位に加えて追加での単位取得や実習が必要。
実際、教員免許はあるが民間で技術者をやっている知人は頭の回転が早く、尊敬できる人が多い。
・上記の問題に本人達が一切気付かない、もしくは気付いていても全く気にしない。
サークルで問題を起こしたり、主催に注意を受けても翌週しれっとやってくるのが彼らで、あまり反省しないというか、異常にメンタルが強い。
あと一切練習に来ないのに試合だけ出たがる人、若者が多い中にオッサン(どっかの中学の教頭らしい)が話割って入ってきたり。
なんなら関わりたくねえんだ、俺は。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/courrier.jp/news/archives/359090/
妻以外にはほとんど性欲を感じなくなり、大変人生に満足しているのだが、
インターネット上には自分と同じような夫婦が少なくて戸惑っている
日本の夫婦の7割がセックスレスというデータがありブコメの大半がそれに肯定的であるという現状は理解し難いものがある
自分は特別性欲が強い方でもないし体力も少ない方だが、意識して週に1回以上はセックスするようにしている
その結果(もちろんそれだけではないだろうが)、恋人時代と変わらない愛情をお互いに感じ続けている
明らかに最善の選択をしたと思うのだが、滅多にご同意いただけないのはなぜだろうか
だとするとなぜ夫婦がお互いに楽しんでセックスし続けることがそんなに難しいのだろうか
今朝方も妻とセックスをし、お互いに大変満足して休日を過ごした今、
これは一番あり得るパターンだろう。太る、禿げる、体臭口臭加齢臭、ED、男が性的魅力を失う要素は人生に多すぎる。自分は幸運にも20代の頃からあまり変わっていないが、それでも確実に老化はしているし今後性的魅力が大幅に減退するほどの老化に直面する可能性はある。
・妻の姓的魅力が減退する
これもよく聞くパターンで、男ほどではないにしても太る、体臭、老化の影響はあるだろう。特に老化してなくても数年同じ相手とセックスすると飽きてしまうというタイプの男も少なくないらしい。自分からするとそれは浅いセックスしかしてないからでは?と思ってしまうのだが生物学的にオスは同じ相手と交尾し続けられないのだ、と主張される方も多い。全然そんなことはないと思うが飽きてしまったものは仕方がない。そうなると、他の女で性欲を満たすことになるが、妾の生活の面倒を見たり、たくさんの婚外子を育てる財力がある極めて稀なケースを除き、妻以外の女とセックスをしたり、エロコンテンツを探してオナニーをしたりしても気持ちいい以外になんの得もないのである。反対に、妻とセックスすることはお互いに気持ちいいだけではなく共同生活するパートナーとの絆が深まり、相手の体調やコンディションも肌で感じることができる。得しかないのである。
外見的魅力の減退については、部屋を暗くすることで8割解決するといっていいだろう。目で見たもので興奮するのは20代で卒業すべきだ。耐え難い悪臭などの困難も起こりうるかもしれない。香水やお香などでカバーするしかないだろう。
当たり前だが、セックスは疲れる。疲れや徒労感が快感や興奮を上回った時、セックスしたくなくなる時がくる。自分も付き合って5年ほど経った時、徒労感を感じ「このままマンネリになってセックスに飽きてしまうかもしれない」と思ったことがあった。性欲も加齢とともに確実に減退する。この時になんの対策も打たなければ、自然消滅していくこともあるだろう。それでいいと考えているなら仕方がないが、自分はしたくないからセックスをしないというのはあまりにももったいないと思う。
・妻がセックスしたくない
これも非常に多いパターンで、男の性的魅力が減退していなくても、妻にセックスする余裕がない、特に出産後そうなるパターンがよく見られる。女性は男とは性欲の形が異なるもので、溜まってくると分かりやすくムラムラするというものではないと理解している。その気がなくなれば徹底的に性欲を感じなくなるものらしい。しかし、性欲を感じないからといってセックスをしない方がいいというものではないと思う。適度にセックスをして愛情を実感し快感とともに体を解放状態にすることが、メンタルを長期的に安定させることにつながる。このことを長い時間をかけてお互いに理解していければ、安定して円満な夫婦関係を築けるのだと思う。
もちろんセックスしなくても円満な夫婦関係は築けるのだろう。しかしセックスしてる方が簡単だと思う。
セックスし続けることが難しいのだろうか。自分はそんなに難しくはなかった。ただの幸運だろうか。
ただ自分はかなり早い段階で(第一子が生まれ第二子を作る間ぐらいだろうか)、妻とのセックスが夫婦関係において最重要だと思い至り、
これを維持することが人生の最重要課題だと認識した。20代で性欲が人並みに盛んだった頃、セックス以上にインターネットを通じたエロコンテンツ収集に情熱を燃やしていたが、
35歳を過ぎて性欲が減退し始めたことに気づいた時、妻とのセックスよりも優先すべきオナニーは論理的に考えて存在し得ないことに気づき、
エロコンテンツ収集とオナニーの人生における優先度を下げると、妻以外にはほとんど性欲を感じなくなり、結果的にオナニーもしなくなり、無駄な時間が減ってQoLが高まったと感じている。